恐怖は何によって生まれてるのか
皆さんこんにちはツトムです。
最近は、フランスやインドの友達ができ大慌てで英語を学んでおります。
そもそも、日本語しか扱えないということは究極この地球の2%の情報網にしかアクセスできないという事を痛感し、
まだまだ2%未満の世界しか知らないんだという事に嘆きかけてるという話はさておきとして、それでは本題。
今日のテーマは【恐怖は何によって生まれてるのか】について。
まず、我々はそもそも恐怖というものを察知する時、
大脳辺縁系(動物脳)に位置する扁桃体という部分が担っていて、
る。
それも遺伝子的に刻み込まれた恐怖を察知するコードがある。
実際に、サルなんかにヘビのおもちゃを見せると、まるでシステムのように恐怖を感じてしまうし、人間にも若干その働きが遺伝子レベルに存在している。
そういったものはある程度、発動してしまうのは仕方がないとして、
多くの場合の恐怖は何から来ているかというと
【無知】から来ていると言える。
ボクのnoteや、投稿を読んでいる方からすると
『空』という概念がなんとなく頭に入ってると思うのだが、
そもそもこの世の実体は空であり、有るとも言えるし無いとも言えるわけで
突き詰めると、苦しみや恐怖も空である。
これがまずはファーストステップとして知っておくべき知識で、
この知識を知る事で、例えば日々の中で締め切りに追われたり、自分にとって怖い存在のものが現れたとしても、
「ああ、確かに恐怖は感じるけど、これって今自分がそれに臨場感を感じてしまっているだけだし、究極は自分が作り出してるに過ぎないよな」
というように、『メタ認知』ができる。
メタ認知をする事で、情動優位の状態から前頭前野優位に戻すことができ、IQも元の状態まで意図的に戻すことができるわけだ。
実際人は、感情的になってしまうとIQが下がり、視野が大幅に狭まるし、実際にカルトなんかでも必ず恐怖を与えて、情報の遮断を行うことで、
いとも簡単にマインドコントロールをできるようにしているのだが、それはさておきとして。
恐怖というのは突き詰めると、
『それに恐怖を感じている状態』であり、
『恐怖として認識を作っている状態』である。
人は面白い事に『知らないものは怖い』
これは、当然の仕組みで『コンフォートゾーン』というものが備わっており、
自分にとって居心地の良い状態を維持するために『ホメオスタシス』という超強力な力が働いているからである。
実際にコンフォートゾーンが出来上がり、そこにいる事で
IQが上がっていくし、心理的安全は確保されていくのだが、
それによって次の成長や次の知識の習得の妨げにもなっていくのである。
少し自分自身の事例を出してお話をしていくのだが、
とあるコミニティーにいた時に、常に行動を監視されていて、
会話から何まで全て人工衛星で監視されているから、何をやってもお見通しだというカルトチックな環境で生活していた時があった。
実際に、外に出たいと思っても出てはいけないというような刷り込みがされていて
誰しもが本音を言えない状態だったが、
その時自分はそもそも何に恐怖を感じているのかを徹底的に知る為に、
崖の上で瞑想をし続けた経験がある。
突き詰めていくと、【死ぬことへの恐怖】によって
行動を制限されていることが分かったのだが、
死んでもいいからやりたいことは何だろうと考えた時に、
その死からの恐怖を乗り越えて、結果的にその場所から人生で初めて夜逃げをして山道を3時間走り続けて現在があるのだが、
まさに自分は何によって恐怖を感じているのか。
そして、その恐怖を植え付けてるものは本当に恐怖なのか。
例えば、水深1メートルくらいの川で溺れる人がいるが
彼らは水深1メートルであるという情報を認識できていない事によって、
パニックになり、溺れてしまうのだ。
冷静に水深1メートルと分かれば
「なーんだ、足が着くじゃん。こんな事で自分はパニックになっていたのか」
と気付くことが出来るはずである。
人は誰しも同じように世界を認識しておらず、
過去の情報の組み合わせによって、現在を認識しているに過ぎないのである。
つまり、知らないものはゲシュタルト(観方)が無いので、
途端に生体的に備わっているホメオスタシスは、戻ろうとする働きが始まり
結果的に創造的回避の行動が無意識下で始まって
自分にとって最高傑作の言い訳を作り出し、
知らないものを恐怖たらしめているのである。
これが分かっていくと、
初めて【WANT TOの世界】へ移行することが出来ると思っている。
人間の信念ってのは、おおよそ親や学校によって作られているわけで
その価値観が自分の信念にすり替わっている為、
正社員にならないと負け組だとか、
ローン35年でマイホームを買うことが幸せだとか、
お金持ちは悪い事をしてるやつだとかっていう風に
誰かの価値観の枠の中で人生を永遠に生き続けてしまう。
だいたいは、中心の軸にはいつも【HAVE TO】があり、
しっかりと奴隷の論理によって動かされている。
もちろん、それが楽しいのであるならばいいが
ゴールもなく、やりたくも無く、楽しくも無いのにやり続けなければならない。という論理なら、とても危険である。
それは、カルトに洗脳された信者と何ら大差はないように思える。
恐怖を乗り越える為には2つ
1つは知識を手に入れる事。
もうひとつは慣れる事である。
実際に、怖いと思ってるものも
実態を知れば怖く無くなるし、慣れてしまえば
何でもない話なのである。
水風呂に入る感覚と同じ感じ。
ということで、終わりにしたいと思います。
いつも読んでくださりありがとうございます。
ツトム
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