毒電波と有意義なツイッター

とにかく何かを書いていこうとこの二日くらい躍起になってシナリオや短編を書き殴っているのだが、その宣伝のためだけにツイッターを再開設した。

僕は最近のツイッターの情報が鬱陶しくなって二ヶ月くらいかけてフェードアウトしていったのだけれど、この頃なぜ辞めたのか、何故鬱陶しかったのかを忘れていた。やめてから友人たちととても有意義な時間を過ごしていたから忘れたのかもしれない。

そして、再開とともにどんなものだったかちらっと覗いてみたら、あーーーーーーーーーーっと・・・・・

(これはどこかしこでいろんな論客が警鐘を鳴らし、ほとんどの人間がそのことを知っていることであるが、肉体的にそれを実感することができた、ということの記録だ)

人間には情報のキャパシティがある。多い少ないは個人の差があるけれど、それは賢さには直結してこない。人間の賢さはその情報の量と質を操作し、うまく利用していくことにある。

ツイッターは人間にそのことを忘れさせるくらいに情報を流し込んでいく。いわば毒電波(©️水野しず)である。目の前にどんどん差し出された情報にいちいち一喜一憂し、反応していかなければならない。うんざりするくらい1日の疲弊が大きい。

それが毎日毎日続くから、どうにも疲れていってしまうのだ。本当にやり切れないくらい疲れる。いらないことばかり考えなければいけない。

本当ならば、まず自分のペースがあって、そこにうまく情報を沿わせていくのが健全であるけれど、ツイッターは自分がそういう体にされてしまうから良くない。精神レイプである。

これから再度向き合っていかなければならない。

最後に。とても有意義で、全ての人間がこうあるべき!と思うようなツイッターの使い手を見つけた。

僕は早くこれになりたい。

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