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【PODCAST書き起こし】オフィスエムズの加藤浩さんに和田尚久さん、三浦知之さんが落語会と寄席などについて聴いてみた(全5回)その1

【PODCAST書き起こし】オフィスエムズの加藤浩さんに和田尚久さん、三浦知之さんが落語会と寄席などについて聴いてみた(全5回)その1

【山下】集まれ伝統芸能部のお時間です。今日は、また新しいゲストに来ていただきました。オフィスエムズの加藤さんです。よろしくお願いします。

【加藤】よろしくお願いいたします。

【山下】Podcasterを務めるうちの三浦でございます。

【三浦】はい、三浦です。よろしくお願いいたします。

【山下】そして、放送作家の和田さんです。

【和田】よろしくお願いいたします。

【山下】この二人のレギュラーと共に、今日、新しいゲストの加藤さんに来ていただきましたので、三浦さん、ではよろしくお願いいたします。

【三浦】よろしくお願いいたします。本日は今、山下さんからご紹介ありましたが、オフィスエムズを主催されている、加藤さんに来ていただきました。オフィスエムズさんが主催されている落語会に私は結構何度か足を運ばせていただいて。いつもいつも、すごく良い、そして楽しい落語会を開いていただいてて、本当にお礼を申し上げたいという印象を持っております。この落語講談のPodcastをやるにあたって、今回落語会を主催する側にいらっしゃる加藤さんのお話をぜひ伺いたいなと思いまして、加藤さんにお願いをして、今日ここに来ていただいたという経緯がございます。
では簡単に加藤さんのご経歴をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。よろしくお願いいたします。

【加藤】落語との出会いというのはちょっと別で、経歴というと、普通に学校を卒業しまして、繊維商社を……。

【三浦】サラリーマンをされた。

【加藤】サラリーマンをこれで7、8年体験いたしました。それから、日本にあまり歌謡曲の司会者という、その専属の司会者というのはいないんですよ。プロフェッショナル、マスターオブセレモニーといいますか。

【三浦】MCというか。

【加藤】MCなんですね。何か喜劇役者さんをやってらして、その延長線上でなる方とか。

【三浦】そうですか。浜村淳さんとか、そういう感じですね。

【加藤】そうですね、ほかの芸能をやってて、コントとか、そういう軽演劇とか浅草の、ああいうのをやってて、あるいは活弁士。ああいう方が司会者になられたんですけど、司会者のプロフェッショナルってあんまりないんですよ。この業界でいうと玉置宏、宮尾たか志。宮尾さんも違うか。玉置さんはもう……。

【山下】玉置さんは、あの人は司会者一筋ですね。 

【加藤】そういうのいないんですよ、そういう方。で、あるお知り合いから誘われて、あるプロダクション、事務所に入りまして、司会者の修行をしました。

【三浦】あっ、そうなんですか。

【加藤】これはあまりオープンにしておりません。

【和田】じゃ今、市馬さんやら桂夏丸やらの司会をしているのは、余芸というよりも、本来の姿に戻ってる?

【加藤】本来の姿、実は。

【三浦】そうなんですね。

【和田】初めて聞きました。

【加藤】七五調ではなくて、ちょっと玉置さんのようなイントロでやるんですけどね。「じっと瞼を閉じれば思い出すはあのふるさとの明かり」と、こう。

【和田】みんな、逆に捉えてますよ。加藤さん、よくやるよなあって、みんなね。

【加藤】作詞・石本美由起、作曲・船村徹、『柿の木坂の家』。イントロに乗せるわけですわ。

【三浦】そうですよね、イントロの尺に合わせて。

【加藤】これをもう微妙に、ワンテンポ遅れたら、もうアウトです。かぶさっちゃだめです。

【和田】そう、はみ出ちゃだめでね。

【加藤】「遠ざかっていく街明かりに、そっとつぶやく別れの言葉。涙の向こうにティールランプが滲んで溶けて。『哀愁列車』、三橋美智也さん」。

【三浦】今日、これでいきますか、ずっと。(笑い)

【加藤】これは本当にね、ワンテンポずれるともうだめなの。これプロフェッショナルは日本ではいません! 私以外は。これ断言します。

【三浦】いないんですね。加藤さん、ワン&オンリーなんですね。

【和田】じゃ、まずスタートは歌謡曲の司会者の修行をされたってことですね。

【加藤】そうです。修行するのは、いわゆる寄席の席亭になるのが夢で、子どものころから。そのプロセスの一環です。だから、書道塾にも2軒通わされたし、字を。そろばんとか、いわゆるデジタルと逆行する世界です、この寄席というのは。

【三浦】そうですね。

【加藤】今の時代に合うわけないんです。その当時からデジタルがだめなんだ、私。

【三浦】あの落語会で張り出し用の「ネタ」書いておられるのは、加藤さん自ら?

【加藤】そうなんです。

【三浦】ああ、そうですか。あの最後にネタ出しを見るのが、すごく楽しみで。加藤さんの会だけすごくきれいなので。ほかの会の人はこう言っちゃ何ですけど、あんまりお上手じゃないっていうか、ネタが分かればいいぐらいの書き方しかしていないので。

【加藤】帰り際あれを見たら、その会が良く見えるでしょう。大した会やってないですよ、本当は。

【三浦】実際、会がいいふうに良く見えますよ。

【加藤】良く見えるんです。あれ、お客さん、完全に騙されるんだ、あれで。ああもうこれちょっと、また次行こうということになるんだ。

【三浦】それにはなりますね。

【和田】落語の会の関係する人って、寄席文字みたいなの書く人が多いんですよ。加藤さん全然違うんです。それがいいんですよ。草書体って言っていいか何て言っていいか分かんないんですけども、柔らかみのある字で。
僕、すごく今でも覚えているのが、加藤さんに運営をやってもらって、私が収録用に落語の会をやったことがあるんですよ。そのときに、むかし家今松さんていう人に出てもらったんですよ。そうしたら加藤さんが、「むかしや」って「や」っていうのをひらがなで書くわけ。本当は「家」なのね。だけど、こっちのほうが、字面がいいだろうって、芸人さんの名前も字面優先で名前、クレジット変えてましたからね。

【加藤】師匠に叱られました。(笑い)

【和田】漢字ですって?

【加藤】漢字ですよって。

【和田】確かにいいんですよ。「むかしや」って、「むかし」がひらがな。「むかしや今松」ってなってるほうが、すわりがいいなと僕も思ったんです、見て。でもご本人が見たら、「違うよ」って、ちょっとご指摘があったんですけども。それぐらいすごく。これがそうですよね、加藤さんが書いて。

【加藤】はい、そうです。

【三浦】その本のタイトルも。

【和田】これは加藤さんがライターの方と一緒に書かれた本ですよね。
この『席亭志願』という表紙の文字は加藤さんの文字で。あとエムズの番組とかチラシとかも結構加藤さんの字が載ってらっしゃいますね。

【加藤】そうですね、いろんな字をね。フランス料理店の字だとか、高級旅館の字だとか、銀座の割烹の店の字とか。これでちょっと字が違ってくるんですよ。うなぎ屋さんとかそば屋さんとか。

【和田】書道教室、通っていらしたんですもんね。

【加藤】書道教室も、その当時は教育教育って、うちら共通一次っていう試験制度が導入され、教育ママなんて言葉が出て、スパルタでみんな学習塾に通うという、その時代にうちの母親は塾に行くなって言う。

【三浦】それは立派な。失礼ですけど昭和何年生まれ?

【加藤】昭和35年です。

【三浦】私、昭和33年なんで、ほとんど一緒の世代ですね。

【加藤】ね、共通一次とかね。

【三浦】ええ、共通一次の。和田さん、もう共通一次ないですよね。

【和田】そうですね、僕は昭和46年なんですけども。加藤さんと11歳か、厳密に言うと違うんですけれども。

【三浦】親御さんが塾へ行くなと。

【加藤】面白いのは書道塾2軒ですよ。小学校でバスに乗って行くんですよ。

【三浦】バスに乗って?

【加藤】うん、小学校1、2年で。スパルタですよ。私、初めて泣きましたよ、親の前で。親から「なんていう字を書くんだ」って言われて。なんでそこまでするんだって、うぉん、うぉん、泣いた覚えがあります。

【三浦】字をきれいに書かせようとして、お母さんは通わせたってこと。

【加藤】そうだと思うんですけど、なんかそれが将来の役に立つだろうと。そろばんとかもやらされた。

【三浦】そろばん……。

【和田】とにかくデジタル逆行ですよ。

【三浦】そうですね。大体私くらいのころから、あんまりもうみんなそろばん塾って行かなくなってましたから。

【加藤】それがやりましたねえ。

【和田】その、歌謡曲の世界に入門というか、修行、足を踏み入れて、そこから寄席のほうにまたシフトするというのはどういうあれなんだろう。

【加藤】そこからいよいよ寄席に。寄席っていうのは、席亭さんっていうか、なれないんですよね。和田さんご存じだと。

【和田】まあね、突然はなれないですよね。突然なるのはちょっとハードルが高いですね。

【加藤】浅草演芸ホール、なれないでしょう。鈴本さんもなれるわけない。そこの家に生まれない限りは。それでもいろいろ、つてを辿って寄席に行きました。それで修行して、もう修行それでいいなと思って。仕事結構出来たんですけども、それは一応一通りやって、次のステップに行こうと。それで東京に出て行こうと決意しました。

【和田】ああ、知らなかった全然。

【加藤】それで寄席の修行というか、寄席で従業員として働いて修行をするわけですけども。

【和田】エムズってのが、今、20数年ですか?

【加藤】そうですね。

【和田】20数年前に、落語の会の主催をされている、つまりそれまでも例えば、落語以外もやっているプロモーターってあったと思うんですけれども、落語に特化したエムズみたいな存在って、ほかにありましたか? 20数年前。

【加藤】ほとんどないでしょう。

【和田】ないんですよね。

【加藤】同じことやってる人は、日本に数人? 今、でも。

【三浦】夢空間さんてのは、あれは落語に特化してなかったですよね。

【加藤】もっと後ですね。

【和田】夢空間も一つの代表的なプロモーターですよね。あとエムズさんとか、唐茄子屋さんてのがあって、そこの主宰されていた方が早死にされちゃったんで。

【加藤】死んじゃったねぇ。唐茄子屋さんとうちがライバルだった。やっていくことに関しては。お互いに競い合ってやってましたよ、あのころね。

【和田】そうですね。唐茄子屋さんの会が、たとえば雲助師匠の『髪結新三(上・下)』とかね、いかにもなんか好きそうな人が、これよくやってくれるねみたいなのをやってたんですよ、内幸町ホールとか、そういうとこで。

【三浦】内幸町ホール。

【加藤】あの人がやりだした、一番ね。

【和田】なんかそんなでしたね。すごくなんか、ガタイのいいっていうか、結構存在感のある主宰者の方で、横須賀さん。

【加藤】芸人さんみたいだね。若い人もみんな慕って。今、喬太郎師匠の世代です。文蔵師匠とか。それが平成何年? 平成12、13年……。

【和田】でしょうね。だから今世紀に入ってからだと思うんですよ。

【三浦】平成って何年まであったんでしたっけ? 30、31とか。(※平成は31年まで)

【加藤】平成10年前後っていうのは結構。喬太郎師匠、前座から二ツ目やってましたから。そうするともうあの時代で変わったんですよ、お客さんが若い世代に。

【三浦】ああ、そうか。あの第何次落語ブームみたいなこと言われたころですか?

【加藤】すごかったですねぇ。

【和田】それ以前って、まず落語全体の状況でいうと、喬太郎師匠がやっている『ほんとのことをいうと』だっけな。とにかく落研の主人公が、落研というのがあまりにも後ろめたいんで、隠してるって噺があるんですよ。落研であることを彼女にも言えないっていって、隠して、落語好きなとかフレーズが出そうになっちゃうんで、必死に隠してるって落語があるんだけど、あれでもそんな感じでしたよね、世の中ね。全く、なんか人と共有できないっていうか。

【加藤】彼女と、いちゃいちゃしているところで、本棚からカセットテープが落ちてきて、彼女がそれを拾う、「何、この志ん生って?」っていうような。

(3人の笑い声)

【三浦】落語のテープが落ちてきて。

【和田】それ隠したりして。

【加藤】それみんな共感しましたよね、お客さんね、若い子は。それが平成12、13年。そこから上り調子ですよね。

【三浦】そうですね。

【和田】でもすごいですよね。だって落語の、それまでも厳密に言うと、落語家さんのいるプロダクションってのはあるわけですよ。

【三浦】そうですね、所属事務所。

【和田】昔で言う事務所とか、たとえば小遊三師匠の事務所とか。

【三浦】立川企画とかもそうですか?

【和田】それはプロモーション会社とはまたちょっと違うわけですよ。芸人さん多くを預かっている会社だから。

【三浦】マネジメント会社ですね。

【和田】そうですよね。あと談志師匠がいるところの立川企画が、一人会をやるっていうのはあるんだけど、それもあくまで談志師匠を抱えている弟さんが会をやるみたいな図式なんですね。加藤さんのところは、エムズ、あるいは横須賀さんがいた唐茄子屋さんていうのは、そうじゃなくていろんな企画を立てて、何月何日、こういう会をやるよ、この日はこういう会をやるよっていうので回していくということで、それはすごくそれまであんまりなかったような気がするし、平成10年ころからそれを支えるお客さんも成立したのかなあと思うんですけど。それにしたって、なかなかそれで成立させるっていうのは、私はすごく大変なことだなぁと思って。

【三浦】和田さんも結構落語会プロデュースされますもんね。

【加藤】それは商売じゃないんでね。

【和田】そうなんです、そういうことなんです。だから僕は商売じゃなくって、年に何回かやったりとか、あるいは人形町の「らくだ亭」って会があって、あれは僕が雇われ支配人で、主催者は小学館なんだけれども、顔付けとかそういうのでっていうので、雇われ支配人みたいな感じでやったりもしてるんだけど、それで毎回収支っていうのが出るじゃないですか。自分がやるにしても、他から頼まれたりしても。それが、やっぱり大抵合わないです。というのは、儲かんない。

【三浦】満席になっても儲かんないですか?

【和田】だから、それ僕のやり方の甘いところなのかもしれないんだけれども。

【加藤】100人ぐらいですか、規模?

【和田】いやいやいや、自分でやるのは100人ぐらい。

【加藤】そのスタートでもうアウトです。

【三浦】100人でアウト。

【加藤】アウトです。こういう業界でこういう仕事をしているのは私も含めて数人って言いましたけど、日本でもね。どうしてかって、それはもう三浦さんお分かりですよね? どうしてやらないか。

【三浦】やっても儲かんない。

【加藤】(笑)ほんと、これ道楽!

【三浦】道楽。

【加藤】道楽ですよ、本当に。

【和田】300人ぐらいのとこでやるパターンでも、ギリギリです。きっちり入ってちょうど合ったなあぐらい、入るの出るの合ったなあぐらい。
この辺はお財布の話なんで、お話ししにくかったんですけど、前、加藤さんじゃない、別のそういうことやってらっしゃる方に聞いたら、その方は自分が仕事としてやる会は、700人以上じゃないと儲からないとおっしゃった。

【三浦】あー、700。700って結構デカいホールですよね。

【和田】デカいホールですよ。だからそこのやってる方はそういう規模でやってらっしゃる方なんですけど。

【三浦】それだって700、結構埋まんないと黒字になんないってことですよね。

【和田】だから、どういうのかなあ。その辺は私よく分かんないんだけど、700分の700入るべきなのか、700のところで500ぐらいで余裕だよって意味なのか、ちょっとよく分かんないんですけど。

【加藤】大体分かるんです。和田さんもちゃんと分かってると思いますけど。700で入るプログラムを作るわけです。500で入るプログラムを作るわけ。

【三浦】加藤さんのエムズさんの落語会って、どんな、700とか。

【加藤】ないです。やらないですね。

【和田】でも落語の会って不思議ですよね。音楽とか演劇やらなんやらに比べたら、経費は小さいんですよ、むちゃくちゃ。出ていくお金ものすごい小さいですよ。演劇やらに比べたら。

【三浦】セットとかないですね。

【和田】そうです、そうです。でもその割にはなんか難しいんですよ。

【加藤】この本を出したら途端に、プチ席亭っていうか、若い子がみんな席亭をやり始めちゃって。私、ある方からお叱りを受けましたよ。加藤さんがあんなことをあおるもんだから。若手にとってはいいですよね。

【三浦】ちょっと、やってみて。

【加藤】やってみるとこれがなかなか。余程私のような金持ちじゃないと出来ない。いや、本当に、これ道楽ですから。(笑)

【和田】加藤さんの、ちなみに書かれた本というのは3冊ありまして。『席亭志願』という本があるんです。Part2がこの『席亭志願ふたたび』って本ですよ。3冊目が『落語小僧』という……。

【加藤】『落語小僧ものがたり』。これは私の生い立ちからずっと。

【三浦】じゃ、加藤さんの自伝なわけですね。

【加藤】書いてありますね。

【和田】この本を読んで、僕はとても「ああ、そうなんだ」と思ったのは、加藤さんってすごい数の落語会やってらっしゃるわけですよね。たとえば100の会があるとします。そしたらそのうちの40の会が赤、60の会が黒、で大きく見ると均すと黒になるみたいな計
算。だからこの会は赤でいい、この会はちゃんと儲ける会だよみたいな、なんかそういうロングショットというか巨視的な目で見てらっしゃるのかなと感じて。

【加藤】そうですね。

【和田】やっぱりそうですか。

【加藤】落語会をやるなら、お金儲けをしていけないというのが、私の師匠である関山和夫という、名古屋の佛教大学の先生ですけども。安楽庵策伝という……。

【三浦】関山和夫さん。

【加藤】私が初めて落語会のお手伝いをしたのが昭和49年。名古屋に含笑長屋という落語会がありまして。

【三浦】含笑長屋。

【加藤】あるお寺で、長屋ですので店子を募集して、100人くらいですけど。それで毎月落語会をやって、私の家の近所ですので。そこの関山先生が席亭で。落語なんていうのは本来は本堂で、お寺で聞くのが筋だと。「お金儲けをしちゃいかんよ、加藤くん」。

【三浦】お金儲けをしちゃいかんと。

【加藤】こういうのは演者もそうだけど、聞く人も成長させる教育をさせるというのが、学者さんですから難しいことばっかり言うんですけども。そこで私はそこに世話人として学生時代、数年。名古屋含笑長屋ってのは、日本で唯一のそういう落語会サークルですね。

【三浦】当時。

【加藤】当時、もう有名な人はいっぱい来てましたよ、当代の名人が毎月。で、関山先生に落語では儲けちゃだめだってことは言われました。

【和田】関山和夫さんていうのは、僕はお目にかかったことはないんですけども、「話芸」という言葉を作ったのは関山先生って言ってましたよね。

【加藤】そうですね。

【三浦】話芸?

【和田】話芸って、だから昔はなかったんだって思ったんですけど。確かそうおっしゃってますよね。あの会は名人が、それこそ彦六師匠とか。

【加藤】円生師匠ね。

【三浦】あっ、そうなんですか。

【加藤】小さん師匠も毎月。

【三浦】じゃそれを加藤さんは近くで。

【加藤】近くで、お手伝いしながら。関山先生の言うことを聞きながらやってたんですけれど。やっぱり古典芸能の継承というところからズレる噺家はアウトですね、呼ばれないんだ。

【三浦】そうですか。

【加藤】ちゃんときちっと笑わせるとか、そんなことより、まず古典落語ってどういうもだっていうのをお互いに勉強しようではないかっていう。だからそこの会員になるのに試験じゃないけども、いろいろ。

【三浦】じゃ、逆でもないですけどお客さんもちょっと選ぶみたいな感じが。

【加藤】お客さんも100人しか。店子待ちですよ、空き待ち。

【三浦】みんなもう毎回来るから。

【加藤】来年はぜひ会員になりたいんで誰かに。

【三浦】こういうこと言うと不謹慎ですけど、TBSの落語研究会もなかなかみんな抜けないから、亡くなる人待ちみたいなことがあるって聞いたことあるんですけど。

【加藤】そうですね、その当時ね。落語研究会がどうなのかよくわかりませんけども、そんな感じでしたね。

【和田】私の師匠みたいな人なんだけど、一宮に住んでる森卓也さんって人がいて、森さん、ご存じですか?

【加藤】学校の先生じゃない?

【和田】いやいやいや、森卓也さんは映画とかアニメーションの。

【加藤】ああ、そうですか。

【和田】含笑長屋のずっと会員で、自分が一宮なんで。

【三浦】一宮って愛知県の。

【和田】愛知県の。名古屋に近いんで。

【加藤】関山先生の地元。

【和田】ですよね。それで、自分が生涯聞いた落語のうちで、柳家小さんというのは普通にいいなと思ってたんだけど、含笑長屋で、『一人酒盛』かな、か『試し酒』かどっちかだと思いますけど、聞いたときに本当にすごくて、自分の中の認識が完全に入れ替わった、一新されたって。そのほかにも含笑長屋で聞いた記憶がすごくあるとおっしゃってました。その会はちょっと珍しいのは、普通お席亭とか世話人が最初に出てきて5分くらいご挨拶することってよくあるじゃないですか、「今日はどうも」みたいな。関山先生ってのはプログラムの真ん中あたりに出てきて、結構いろんなこと述べられるっていうのが有名ですよね。

【加藤】そうですね、中入りの後に出てきます。

【和田】中入りの後に出てきて。

【加藤】「今回の正蔵師匠、久し振りのあれでございました。文化3年のとか……。」こういう話が。

(3人の笑い声)

【三浦】おもしろい。

【加藤】勉強ですけど、話、上手いんです、なかなかね。10分くらい話をされて。

【和田】あるときに、小三治さんの会をやったときに関山先生が主催者なんだけど、何かの都合で来られなかったんですって。そうしたら小三治さんが、今日は関山先生がいないから時間の許す限りやりますって言って、『子別れ(上・中・下)』ってやったんですって。そしたら森さんが、「今日は本当に関山先生いなくてお客さんラッキーだったねって、素晴らしい会だったよね」って言ってらして。いろんなニュアンスを僕は感じたんですけど。

【加藤】すごいでしょ。その時代に名人上手になってる、毎月来たわけですよ。春団治、松鶴、米朝。

【三浦】そうか、名古屋だからどっちからも。

【加藤】月に1回ですから。それでもう12ヵ月収まっちゃうでしょ。小さん、米朝、春団治、小文枝。

【和田】枝雀とか春蝶とかあの辺もね。

【加藤】そうです、12ヵ月だから。

【三浦】そうか12人。

【加藤】そのお寺の本堂で正座をしてこう聞く。

【和田】話を戻すと、関山先生にしてもそれって、関山先生のお金儲けじゃないじゃないですか、その会って。

【加藤】そうですね。

【和田】だから、エムズの、この辺の話ちょっと余計なのかもしれませんけど、なんか落語の会やってご商売になるっていうのが、僕はすごいなと思ってて。

【加藤】いや、そうですね。いまだにその関山先生のその言葉がいつも引っかかるんだけども。でも今、本当におっしゃった通り、6割儲け、4割が捨て。今は本当にそういう状況でコロナでね。

【三浦】そうですか。

【加藤】この捨てた4割の会をやりたいんだ、本当は。お客さんが見向きもしないような。なかなかお客さんをこっちへ今ね、何とかして私がこう、引きずり込もうと頑張ってはいますけども。

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

担当者:伊藤ゆみ子

この度はご依頼いただきまして、誠にありがとうございます。
加藤さんが小学生のころ、2つの書道教室に通われて、とても辛い思いをされたとのお話でしたが、本の表紙を拝見したところ、とても素敵な字でした。お母様の思いが、こうして人の心を打つ仕事につながっているのだと思いました。また、関山先生のどうやって笑わせるかより、古典落語をしっかり学ぼうという教えに、大切にしていらっしゃる気持ちが伝わってきました。
親から子へ、師匠から弟子へ、現代から未来への「継承」。今回、この継承という言葉がとても深く心に残りました。
またのご依頼を、心よりお待ちしております。


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