【PODCAST書き起こし】落語本のおすすめについて語ります。(和田尚久・三浦知之)全5話 その2
【PODCAST書き起こし】落語本のおすすめについて語ります。(和田尚久・三浦知之)全5話 その2
【三浦】『談志絶倒昭和落語家伝』。これは写真がふんだんにあるんですよね。
【和田】田島謹之助さんという写真家であり……ある時期に人形町末広に通って写真を撮っていた方なんですよ。で、特に馬生さんをいっぱい撮っているんだけど。
【三浦】ちょっと馬生さんのページを出してみます。
【和田】うん。馬生師匠も撮っているし、その他もいろんな人を撮っているんだけど、その写真をもとにしてっていうとおかしいんだけど、写真がある人を並べて文章を付けている。っていう本なんですよ。
【三浦】そうですね。
【和田】うん。だからちょっと珍しい人も入っている。先代の甚五郎とかね。
【三浦】馬生さん、若いですね。
【和田】はいはいはい。30代ぐらいだと思いますよ。
【三浦】だからこの田島謹之助さん結構年配の方ですよね。
【和田】そうですそうです。
【三浦】「人形町末廣に通っていた」って凄い昔ですよね?
【和田】そうそう、うん。しかも別に落語専門カメラマンとかではないんですよ。ある時期に末廣に通ってモチーフにしていたと。で、それをネガとかも綺麗に取ってあって……。まあ蔵出しみたいな感じなんですよね。
【三浦】田島謹之助さんの略歴が書いてあります。「1925年(大正14年)生まれ。東京に生まれて子どものころから写真と寄席に夢中になり、戦後は日本の原風景を撮り続ける。20代のとき叔父(伯父)と親しかった人形町末廣の席亭に頼み込み1954年(昭和29年)~55年にかけて人形町末廣の高座と落語家の自宅を集中的に撮り続ける」って書いてありますね。凄いですね。
【和田】だからその時の写真なんですよ、その時期の。だから1年くらいですよね。
【三浦】1年? 本当に1年ですね。
【和田】で、この写真が良いので、多分それに引っ張られてっていう部分もあるんだけど、談志師匠がこれは落語家に関して自分の思い出とか、その人を評することを書いていますね。
【三浦】本当に写真いいですね、これね。
【和田】いや、めちゃくちゃいいですよ。3代目柳好という人がいて、「野ざらし」っていう落語をよくやるんだけど、それの本当に決定的な「ここだよね」っていうところでシャッターを切っている。
【三浦】柳好?
【和田】うん。柳好、ちょっと開けます?
【三浦】開けます。
【和田】柳好のページを見せてください……。それです。それをちょっと見せてくださいカメラに。これが『野ざらし』という落語の……。
【三浦】この写真ですか?
【和田】そうです、その写真です。これがですね、主人公が釣りに行くんです。で、釣りといっても骨を探しに行くんだけども。
【三浦】骨を探しに、「こつ」って言っているんですよね。
【和田】「こつ」って言うんだけど、そこの隅田川の土手に出て、「こつ(骨)は釣れるかい?」とか言っているときのその瞬間の場面なんですよ。
【三浦】いいですね。
【和田】で、これはだから談志師匠とかは「ここなんだよ」「ここでこれをよく撮っておいてくれた」って言っていますよね。
【三浦】このちょっと中腰になっている感じが……。
【和田】中腰になってね。土手から見ているから、ちょっと一応高い位置にいますよっていうことなんだけれども。
【三浦】ちょっとだけ補足すると、「こつ(骨)は釣れるかい?」っていうのは、要は主人公の隣に住んでいる人のところに夜中にどうも女が来たようだということで、翌日その隣の人に聞いてみたら、その女は来たんですけど結局幽霊なんですよね。幽霊がきて、でも幽霊でも凄いいい女だったので、その主人公は「いい女だったら幽霊でもいいから来て欲しい」っていうので、こつ(骨)を釣りに行ったという。
【和田】俺もね、同じことをやっちゃおうというね。
【三浦】こういうのはよく言うじゃないですか、何ものっていうんでしたっけ? 同じことを真似してやる……。
【和田】オウムとかって言ったりしていますけどね、2回展開があるのをね。
【三浦】おもしろい。「野ざらし」っておもしろいですよね。
【和田】おもしろい話です。
【三浦】談志師匠は結構『野ざらし』もやって……。
【和田】『野ざらし』やっていました。やっていたけど、僕の解釈ではあまり得意ネタではなかった。
【三浦】あ、そうですか。(笑)
【和田】でも談志さんがとにかく好きな話だったんですよ。柳好とか柳枝っていう人がやっていて、好きでコピーというかそれを引用する感じでやっていましたね。でも僕ね、この芸評も凄くおもしろいんだけども……。田島さんにしてもね、写真家ってあるジャンルを専門に撮っている人っているじゃないですか。
【三浦】いますね。
【和田】でもなんか、言ってしまうと専門に撮っている人が必ずしも上手くないと思う。正直。例えば、ソニーから出ている『圓生百席』っていうCDがあるんです。もともとLPでコピーなんですけども、今はCDになっていて。
【三浦】『圓生百席』、ライブじゃなくて、スタジオで撮ったものですよね。
【和田】スタジオで。あれは全部圓生さんの写真なんだけど、あれめちゃくちゃいい写真なんですよ。
【三浦】CDのジャケットになっている写真ですよね。
【和田】ジャケットになっています。あれを撮ったのが22~23歳の篠山紀信。
【三浦】へえー。
【和田】やっぱ違いますよ。
【三浦】やっぱりポートレートに長けているんですね。
【和田】長けています。で、篠山紀信があとで言っているのは、「別に落語好きだしもともと聞いていたけど、別にあれは『圓生百席』ってよく覚えていないな。2~3日なんか適当に撮っただけだと思うけど」って言っていて。
【三浦】ああ……、覚えていないんだ。仕事としてやったってことなんですよね。
【和田】仕事としてやったし、篠山さんからしたらめちゃくちゃ軽い仕事なんですよ。「なんか頼まれた」「やった、やった」みたいな感じでこういうのを言っているわけ。「そういえば……」みたいな感じで。だから篠山紀信さんにしたら本当バイトぐらいの感じで、圓生さんのスタジオに座ってもらって撮ったんだけど、めちゃくちゃ良い出来なんですよ。
【三浦】なるほど。それはやっぱり……なんだろう? こう……とらえる……。
【和田】だからやっぱり才覚がある人にとったら、そんな別に落語を1年中撮っていなくてもうまいっていう話ですよ。
【三浦】落語のことを知ってようが知っていまいが関係ないってことですよね。
【和田】写真家の賞の、今タイトルにもなっている有名な戦後の……和光の角とか撮った人ってなんていいましたっけ? 銀座の……。写真家と言えば! みたいな人。
【三浦】土門拳?
【和田】土門拳じゃなくて。
【三浦】土門拳じゃなくて……。
【和田】写真家の代表格。
【三浦】昭和の写真家?
【和田】昭和の写真家。ライカとかを手持ちで撮る人。わかんないですか? 山下さん、誰か……。
【山下】森山大道とかですか?
【和田】いや、もっと昔の人です。
【山下】もっと?
【和田】うん。
【三浦】アラーキーでもないですもんね。
【和田】いやいや、もっと昔の人。
【三浦】あ、あの……確かに賞の名前になっている人ですよね?
【和田】うん。
【三浦】誰だろう? なんとか、思い出したいですね。……木村伊兵衛。
【和田】木村伊兵衛です。木村伊兵衛が、歌舞伎の写真を撮っているんですよ。めちゃくちゃ上手いですよ。木村伊兵衛だって別に歌舞伎の専門家でも何でもないですよね。
【三浦】そうですね。
【和田】たまたま行ったときに撮っているわけ。だから回数は少ないんだけど、木村伊兵衛の河原崎長十郎っていう人が『毛抜』なんていうのをやっているのがあるんだけど、あれは凄いですよ。だからやっぱり田島謹之助さんの全体のキャリアはよく知らないんだけど、この1年撮っただけなのに……。
【三浦】そうですね、1年。
【和田】この密度っていうのは、僕は凄いと思っていますね。
【三浦】まあ、東京の原風景の一部として撮っていたみたいですね。
【和田】ああ、そういうことなのか。
【三浦】ええ、だからでも……、叔父(伯父)さんが人形町の末廣の席亭と友達だったからっていうので、やっぱり寄席を撮りたいっていうのはあったんでしょうね。
【和田】でしょうね。
【三浦】別に落語を専門に撮るわけじゃなくて、寄席をとにかく……。まあそのなか、東京の原風景のなかで寄席というのを1つ残しておきたかったっていうことですよね。
【和田】そうですよね。この『談志絶倒』のなかで、印象に残ったエピソードとかありますか?
【三浦】いや、実はすいません。持ってはいるんですけど、だいたい全部写真見たりして眺め見ばかりをしているので、談志師匠の文で覚えていることがあまりないんですよ。
【和田】ああ、うん。やっぱり写真に引っ張られたのかな? と思うのは、凄く書きかたが素直なんですよ。「こういうストレートな言いかたをするかなあ?」って言うようなところも含めて、そういうところがあって僕はおもしろい本だなと思っています。
【三浦】はい、ちょっとこれは実は久々に本棚から引っ張り出してきた本なので……、せっかく出してきたので改めて読みなおしてみます。
【和田】これも文庫にはなっていないのでね。
【三浦】あ、そうですか。
【和田】うん。これは「田島謹之助さんの写真があるよ」って話になって晩年談志師匠ともお付き合いがあったんですよ、実際にね。
【三浦】そうなんですね。
【和田】落語をお聞かせしたりとかして。っていうのでできた本だと思うんだけど、例えばこの本の中で今輔。
【三浦】古今亭今輔。
【和田】先代の今輔で、新作派の一応巨匠みたいに言われた人なんだけど、今輔さんっていうのは息子さんがいて、息子さんが芸人志願だったのかあるいはそこに誘導したのか芸人になったわけ。なんだけど、当時落語っていうのがあまり流行っていなかった。今輔さんは考えて「落語家にすると苦労が多いかもしれない」っていうので、太神楽の芸人にしたの。
【三浦】太神楽の? ほお。
【和田】ところが時間がたって、戦後ですよね「落語がこんなには流行る、良い状況になるんだったらせがれを落語家にしておきゃよかった」って言った言葉を覚えているっていうのがその伊之助さんのスケッチとしてもく印象深いし、やっぱりいいところをとらえてくるなっていう。
【三浦】息子さんはどう思っていたんですかね? 本人は。
【和田】本人はどうなんでしょうね。本人は……わかんないです。(笑) 太神楽をやらされていましたけど。
【三浦】そんな別にもの凄く……。太神楽の芸人として、普通にやっていたわけですよね?
【和田】やっていました。それはわからないですね。別に「落語家になりたかったな」って言っていたわけじゃないし。それは談志師匠の判断ですけどね。
【三浦】これで一気に覚えたのかもしれないしっていう。
【和田】そうそうそう。ってなことですね、はい。これは凄く良い本だと思いますよ。この2冊。『談志百選』と『談志絶倒昭和落語家伝』、が晩年の中で僕はとても好きな本だなあ。
【三浦】じゃあ、この『談志百選』と『談志絶倒昭和落語家伝』はお勧め図書ですね。
【和田】はい。
【三浦】買えるんですかね? 今。
【和田】買えます、買えます。Amazonとかで。
【三浦】絶版とかにはなっていないんですかね?
【和田】あ、流通していないかもしれないけどこういうのって別に……普通に古本が出ているので、Amazonとかで。
【三浦】あ、そうですね。
【和田】で、残念ながらというか、なんというか高くなっている本ってあまりないので……。
【三浦】ああ、それは読む方からするとちょっとありがたいですね。
【和田】ありがたいですよね。『家元を笑わせろ』っていう談志さんが集めたジョーク集あって。
【三浦】ああ、なんかそれも聞いたことがありますね。
【和田】それ、僕持っているんだけど今日はちょっと重いから持ってきませんでしたけど、それもまた凄い本で。本当にジョークの事典みたいなのが載っていますよ。雑誌からとか自分が聞いたものとかを全部メモにしてレパートリーにしていたものを活字化したものなんですけど、それがね版元がDHCなの。
【三浦】えっ!? そうなんですか?
【和田】そう。DHCが……。
【三浦】昨今ちょっと……なにか……攻められている、炎上しているDHC。
【和田】そうそうそう。ニュースで見るDHCが、あの……出版部門って持っているのか……持っていますね。なんか色々出しているみたいなんだけど、多分そこの社長か何かと話を付けて、DHCが版元になって出したんですよ。確かに普通のところじゃあ出さないだろうなっていう分厚さだし、なんか凄いの。それは高値になっているんですよ。
【三浦】あ、そうですか。『家元を笑わせろ』。
【和田】はい。ジョーク集。落語の本ではないんだけどね。
【三浦】読みたいと思ったら、山下さんこれは図書館ですかね? やっぱり。図書館で探すかですかですかね?
【和田】図書館ですね。まあ、僕は持っていますけどね。図書館でも、ちょっとなんかあまり見かけない本なんだよなあ、あれ。
【三浦】あ、そうですか。あの……ジョークが談志師匠大好きで高座で必ずジョークやっていましたよね?
【和田】やっていました、やっていました。
【三浦】あれって随分昔からずっとそうなんですか?
【和田】そうですよ。
【三浦】実は私、談志師匠の高座……本当に積極的に見るようになったのって多分90年代ぐらいからなんですけど、もうその頃は必ず枕はジョークだったんですけど。80年代くらいからもうジョークはやっていたんですか?
【和田】やっているし、もっと前からやっていると思います。
【三浦】あ、もっと前からやってる?
【和田】うん。
【三浦】あ、そういうことだったんですね。
【和田】ジョークを仕入れるのが凄く好きな人だった。だから「このあいだ映画を観ていたら、映画の中の登場人物がこういうジョークを言っていた」みたいなのをすぐさま引用して、自分がおもしろいと思ったことを。
【三浦】ジョークの仕入れが好きなんですね?
【和田】おもしろいと思ったものに関してね。それから今日の企画見たいので、「談志師匠お勧めの本はなんですか?」っていうと、いつも必ずあげていたのが星新一の『進化した猿たち』っていう。これはSF作家の星新一さんがそれと同じ構図で1コマ漫画。アメリカの1コマ漫画を収集して紹介している本なんですよ。星新一の小説ではなくて。1コマ漫画ってジャンルがあるじゃないですか、無人島物とか浮気がばれた瞬間とかね、あるんだけど、それを見せて、それを星さんが解釈というか書いているんだけど、それをいつも推奨していた。だからああいうのが好きなんですよ。コレクションが。ジョークコレクションみたいなのが。
【三浦】まあ、やっぱり好きが高じて、高座でも言って……おもしろいだろうっていって。
【和田】言っていましたね、はいはい、うん。やっていたなあ……。
【三浦】あの「これわかるかなあ?」とか言いながらやっていましたよね。お客に。
【和田】やっていましたね。それでスベったときに、「んー、今日の客だとこんなもんだ」っつって。
【三浦】そうそう(笑)。言っていましたね。
【和田】うん。「客の程度に問題がある」みたいなふうに持っていく。
【三浦】たまにシーンとするときありますもんね。(笑)
【和田】いやいや、結構しょっちゅうありましたよ。
【三浦】あれも良かったですよね。
【和田】「ここで戦っているんです」とか言ってね。滑ったんじゃないよっていうね。
【三浦】そうですね。これがわからない……。
【和田】こっちのほうが、これ上だからね、みたいな感じで言う。
【三浦】それは必ず言っていましたね。なんか懐かしいですね。
【和田】うん、ジョークはお好きでしたね。
【三浦】そうですね。多分たくさん録音があると思うんですけど、高座の。ジョークまでたっぷり入っている録音って結構……ありますか?
【和田】まくらで探せばあるでしょうね。
【三浦】探せばあるんですかね?
【和田】基本、ジョークをやってから一応ネタに入ってはいたので。
【三浦】必ずそうでしたもんね。ちょっとあのジョーク聞いてみたくなりましたね、また。
【和田】そうですね、うん。
【三浦】ねえ、山下さんね。ジョーク楽しかったですよね。
【山下】よくあんだけ知っているな、みたいな。
【三浦】そうそう。(笑) 結構エスプリ効いているのもありましたもんね。
【和田】そうそうそう。基本的に西洋ネタがお好きな人なので。
【三浦】そうそう。西洋ネタでしたね。ベタな下ネタとかそういうのは無かったですもんね、あまりね。
【和田】ベタな下ネタでも、考え落ちみたいなやつが多かったね。
【三浦】そうですね。西洋的だったりもしましたね、下ネタも。
【和田】だから……町の街娼をね、娼婦を買おうとしたジョークって知っています?
【三浦】わかんないです。
【和田】要するに街娼がいるわけだ。で、割といい女で男が寄って行ってね、「50ドルでどうかな?」っていうわけですよ。「冗談じゃない、私はいつも200ドルだ」と。「ちょっとそれをまけて50ドルで」って……、多少ね、「200が170・160だったらいいけれどもそこまでまけられるわけないだろう」と女に言われるわけですよ。「じゃあいいや」っつって、縁が無かったってことにして「じゃあね」って別れるわけ。その男が次の日に自分の女房を連れて街を歩いていたわけ、そしたら昨日の娼婦と偶然会っちゃって、娼婦が「50ドルだといい女がいねえだろう」って言う。
【三浦】あはははは。それおもしろいですね。(笑)
【和田】っていうね。
【三浦】おもしろいです。
【和田】これはまあわかりますよね。
【三浦】わかります。それ凄いおもしろいですね。
【和田】そんなのをよくやっていましたけどね。
【三浦】談志師匠一流のジョークですね、もうそのへんね。
【和田】あと、僕が好きだったのは、アメリカの芸能プロダクションのエージェントに売り込みに来るやつがいるわけです。で、プロダクションのマネージャーが「はいはい、次の人どうぞ」っつって「あなたはなにができるんですか?」っていうんですよ。「私は鳥のマネできます」「ああ、鳥のモノマネ……」。
【三浦】ああ、それなんか覚えている。
【和田】「他に何ができますか?」って「いや、他にと言われても、鳥のマネです」っつって、「他はないの? それしかないの?」
【三浦】これおもしろいんですよ。
【和田】「それじゃあダメだよ、もう帰った、帰った」って言うわけ、「あ、すいません」っていってそのまま飛んでいったっていう話なんだよね。
【三浦】わははははは。最高におもしろいですよね。窓から飛んで行ったんですよね。
【和田】窓から飛んでいったっていう。あれは、僕はとても好きでしたね。
【三浦】それはもう高座で何度か聞きましたけど、爆笑していましたね、毎回。
【和田】いや、これは当たりネタですよ。
【三浦】あと、男がバーに飲みに来て、いつも2人分ウイスキー頼むっていうのもありましたよね。あれもおもしろかったですよね。
【和田】いつも2人分頼むんだけど、ウエイターが「なぜあなたは2人分頼むんですか?」っていうと、「いや、これはね私の無二の親友がいて、今事情があって地球の反対側で暮らしているんだ」って、「だけど彼のことを忘れないように、それから彼はいないけれど、2人で酒を酌み交わしているつもりで2人分頼んでいるんだ」って言うんですよね。
【三浦】そうですね。
【和田】「ああ、そうですか。それは良い話ですね。ありがとうございました。」っつって。で、しばらくたったらその人がお酒を1人分注文するようになって。
【三浦】はい、心配するんですよね。
【和田】おとといも昨日も今日も「1人分」っつって。「たいへん失礼ですけど、前伺いました異国にいるお友達を思って2人分注文されていると伺いましたが、ここのところ1人分しか注文されていないですが、何か事情があって……。すいません、聞いちゃいけないんですけれども」って言うと「いや、そうじゃないそうじゃない。禁酒しているだけ」っていうね。
【三浦】そうですよね。「俺が酒辞めたんだよ」って言うんですよね。
【和田】「俺が禁酒している」って言う。
【三浦】「友達は飲んでいるけど、俺が禁酒している」っていう。(笑) おもしろいですよね。
【和田】「俺が」って言わなきゃわからないですね、今のはね。これもよくやっていましたね。そりゃあ数にきりがないですよ。
【三浦】談志ジョーク集、『家元を笑わせろ』。
(https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E5%85%83%E3%82%92%E7%AC%91%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%82%8D%E2%80%95%E7%AC%91%E3%81%86%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%8B%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%8B%E3%80%81%E7%BF%94%E3%81%B6%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%8B-%E7%AB%8B%E5%B7%9D-%E8%AB%87%E5%BF%97/dp/4887241674)
【和田】うん、あれはDHCの……。
【三浦】これはちょっと探して読んでみたいですね。
じゃあちょっと和田さん、他なにか……家元を1回離れて……。
【和田】僕はちょっとね特殊なあれなんですけど、そちらから進めてください。
【三浦】 私は実は結構定番と言われているものがいくつかあって、これは……、三遊亭圓生の『寄席育ち』。これは自分ですよね、生い立ちから噺家になった自伝ですよね。
【和田】自伝ですね。これはめちゃくちゃ名著ですよね。これは素晴らしいと思います。
【三浦】これ、どっかの古本屋で入手したんですけど、凄い重いんですよ。重いんですけど、これ重くてなかなか読めなくて。(笑) 冒頭だけ読んだだけなんですけど。(笑)
【和田】あ、そうなんだ。
【三浦】今日、そんなのばっかりで大変失礼しました。
【和田】これは圓生さんが青蛙房(せいあぼう)っていうところから出した……。
【三浦】そう、青蛙房っていう。
【和田】青蛙(アオガエル)ね。青蛙房(アオガエルボウ)から出した『寄席育ち』っていう自伝ですね。で、山本進さんっていう今もいらっしゃる落語の……まあ研究家であり、圓生師匠ととても親しくされていた方がいるんですけども、その方がインタビュアーになって……。
【三浦】ああ、じゃあ口伝なんですね。
【和田】口伝です。で、6ミリテープに撮って活字にしたものなんです。
【三浦】あ、活字おこしして。
【和田】だからよくある芸能人が自分で書かないでしゃべったっていうのがありますよね。その形式の本が。それは別にいわゆるゴーストライターっていうのではなくて、その山本進さんがまとめて書いて、もの凄く良い本ですこれは。これ、このあいだ岩波の文庫本にはいったんですよ『寄席育ち』・
【三浦】あ、これ文庫に入ったんですか?
【和田】入りました。ただ、文庫バージョンももちろんいいんですけど、この青蛙房の箱入りの作りがとてもいいので、岩波文庫も買い、できたらこの青蛙房版も持っているといいと思います。
【三浦】なんかこう……、古い写真がやっぱりたくさん家族写真とか載っていて。
【和田】で、やっぱり寄席の……昔の寄席の圓生さんっていうのは1900年生まれなんですけど……。
【三浦】そうですね、1900……世紀替わりか、に生まれたんですね。
【和田】厳密に言うと、1900年は19世紀なんだけど。
【三浦】あ、そうだ。1901年から……20世紀ですよね。
【和田】そうです。1900年生まれで、でもその当時のちっちゃいときからもう寄席の中にいた人なので。お母さんが芸人さんでね。
【三浦】そうですね、子ども噺家だったんですね。
【和田】そうです、そうです。最初は義太夫語りをやっていたんですけれど、だから……。
【三浦】結構苦労したんですか? そのあとはやっぱり。
【和田】そうだと思いますね。
【三浦】子どもだと結構、受けるんですよね。子どもが義太夫とかやっているとかわいいし、それが本当の噺家になるときに「ちやほやされやがって」みたいなことがやっぱりあったんですかね?
【和田】それから評価されない時代も凄くあったろうし、家庭的にもいわゆる普通の両親がいてみたいなところで育っていないので……。
【三浦】あ、そうなんですか?
【和田】ええ。で、寄席の世界にいるっていうのも今の2世の落語家がお坊ちゃんって言われるのとやっぱりニュアンスが全然違うので、当時は。
【三浦】ああ、そうですね。
【和田】それは苦労っていうのはいろいろされた方だと思いますね。それが芸の僕は圓生さんのいい芸に結晶していると思いますけどね。
【三浦】はい。やっぱりそういう苦労とかを経験している……。
【和田】裏表をいろいろ見ている感じがするのかな。まあ凄い名著ですよ。だから途中から入った人と違うので、志ん生さんみたいにいをぐれてはいったっていう、あれはあれでおもしろいんです。 貧乏自慢みたいなんで。このあいだNHK大河の『いだてん』っていうのでやっていましたけど、あれは志ん生さんの……、要するに人力車の車夫をやったわけじゃないんだけど、要するに家をドロップアウトして、そういうごろつきグループみたいなのにいたりして、そこから芸の世界に入るっていうことなんですけど。
【三浦】別に噺家の家に生まれたっていうわけじゃないんですね。
【和田】志ん生さんは全然違うんです。
【三浦】違うんですね。
【和田】はい。で、この『寄席育ち』っちゅうのは、明治の……。僕は圓生さんのヒストリーとして、もちろん読めるんですけど、彼がちっちゃいときに見聞きした寄席というものとか、その芸界の記憶として凄くおもしろいなと思っています。
【三浦】当時の、風俗というかそういうものが……。
【和田】で、私は三浦さんが寄席育ちを選らんているっていうのを聞いていたのでこのシリーズ青蛙房のシリーズが何冊かあるんですよ。で、『寄席切絵図』っていうこれのあとに出た本があるんです。それを選びました。
【三浦】選んでいただいていますね。
【和田】それは東京の中に、「この辺にこういう寄席がありました」「こういう人が出ていました」「ここはお客さんはこんな感じでした」っていうのを、それだけで1冊にしている本なんです。
【三浦】はい。
【和田】っていうくらい寄席がいっぱいあったんですね。
で、それがですね、1つの東京論というか東京を『寄席切絵図』というかたちであぶり出している本なので、凄くおもしろいですね。
【三浦】『寄席切絵図』。
【和田】うん。『寄席育ち』でいうと、横浜の寄席があって、『寄席切絵図』の方かな? まあどっちかなんですけど、行くと……っていうのが当時は旅だったっつうの。だから泊まりなんですよ。
【三浦】ああ、はい。横浜に? 行くのが。
【和田】横浜。で、横浜に行って、泊まりで10日間ぐらい出る。で、泊まりっていうのも寄席の中で布団敷いて寝たりして。
【三浦】あ、そんなことできたんですか? 昔は。
【和田】できたみたいですね。まあ、楽屋泊まりっていうのは戦後もあったらしいですけどね。
【三浦】あ、そうか、芸人さんがってってことですよね?
【和田】芸人さんが。行った先の楽屋に布団を敷いて寝ちゃうっていうのがあって。で、その横浜がそんなに距離感があったんだっていうのとか、それから真打っていうのがそういうふうに一座みたいな感じでどこかに行ったときに一応みんなにご飯を食べさせなきゃいけないんですって。
【三浦】なるほど。
【和田】で、要するに、真打っていうのが全体のお金の分配も絡むっていうことですよね。
【三浦】まあ責任を持ってやると。
【和田】で、そのときにあまりお金をかけないで、みんなにご飯を食べさせなきゃいけないから、晩御飯とか。「湯豆腐が良かった」って書いてあった。
【三浦】湯豆腐?
【和田】うん。湯豆腐っていうのはポン酢みたいなので味が付くじゃない。あれでご飯が進むので、「原価がかからないんだけど、みんながご飯を食べるしなんとなくおいしかったって感じになるのでいい」っていうふうに書いてあって。
【三浦】湯豆腐をおかずにしてご飯を食べていたんですね。
【和田】そうですね。とても安上がりな。
【三浦】あまり湯豆腐をおかずにしてご飯を食べないですよね、今の……我々。
【和田】あ……、そうかもしれない。湯豆腐は湯豆腐で。
【三浦】なんか湯豆腐だと、酒飲んじゃいますよね。
【和田】ああ、単体でいきますよね。
【三浦】なんで湯豆腐で我々はご飯を食べなくなったんですかね?
【和田】湯豆腐で食べてもいいですよね。
【三浦】どっちも淡泊っちゃあ淡泊ですもんね。
【和田】でも、おいしいですよね。
【三浦】おいしいです。湯豆腐はおいしいです。
【和田】そう、それはいい……。なんかそういうスケッチがおもしろいなと思って。
【三浦】この『寄席育ち』ちゃんと読まなきゃいかんですね。
【和田】それからやっぱり……、やっぱり距離感なんだよな。例えば群馬県のほうにいる芸人が東京に出てきてやったときに、上州圓朝って言われている人がいて要するに……。
【三浦】上州圓朝?
【和田】うん。田舎の落語の大看板みたいな人がいたんですって。で、その人が江戸のどこだったかな? 本郷の若竹だったかな? かなんかに出て、お客が入るんですって。とっても入って、お客も喝采すると。だけど、そこの寄席のオーナーが本来10日くらい出てもらう話だったんだけど、3日目が4日目に「そばを出す」っつうんだけど、「お蕎麦を出す」っていうのがどういう意味かっていうと、「今日が楽日ですよ」っていう意味なんですよ。
【三浦】そうなんですか、へえ。
【和田】お席亭側が出す場合。千秋楽のお祝いという意味でつまりその上州から呼んだ人を「もう明日から出ないでいいいです」っていうニュアンスにしたわけ。で、その芸人が「ありがたく頂戴します。どうして楽を速めたんですか?」って言ったときにお席亭が「私も長生きをしたいもんでね」っていう返事をしたと。要するにこれも考え落ちみたいな話なんだけど、「あなたを呼んでお客も入るし、私も儲かる」と。だけどそれは何かを消耗しちゃっていることなんだ」とういう言いかたなんですよ。って言うような、今はなくなったような考えかたが……。
【三浦】含蓄、深いですね。でも、なんで「あなたがやってお客が入る」と消耗しちゃうんですかね?
【和田】だから、ある部分を荒らしてしまったり……なんていうのかな、荒稼ぎモードになっちゃうという意味でしょうね。
【三浦】なるほど。
【和田】だから私はこの高座はここで辞めますっていう、その……。
【三浦】あまりこれ以上乱されたくないっていうようなこと。
【和田】っていうことなんでしょうね。そういうような、今だとちょっと考えにくいような。
【三浦】お金が儲かるよりももっと静かなというか……。
【和田】ここのクラスというか……。
【三浦】日常が大事だっていう。
【和田】そういうことだと思うんですよね。それから例えば……、青山のほうに……青山というか白銀のほうにあった寄席の思い出なんかを描いて、その……、昔の寄席のお客って自分のテリトリーじゃないところには行かなかったらしいんですよ。だから江東区に住んでいる人が新宿の寄席に行くっていうのは基本なかったらしいんです。
【三浦】地元で行くというか。
【和田】地元に行く。だから銭湯に行くみたいな感じだったらしいんですよ。
【三浦】なるほどね。
【和田】で、新宿区の人が深川の寄席も行かないし。
【三浦】行かない。あ、銭湯に行ってそのまま寄席に行くとか、そういう感じなのかもしれないですよね。
【和田】その流れもあったかもしれません。だから結局その土地の感じがもの凄く寄席に反映されるわけです。土地の客筋が。
【三浦】だからちょっとよそ者が来ると完全に空気が変わって……。
【和田】そう、かもしれん。それから寄席のここでハマる芸人、ハマらない芸人、雰囲気も凄く違うし、そういうのは圓生さんの『寄席育ち』とか『寄席切絵図』っていう本があるんですけど、そのへんの本を読むとすっごくよくわかります。いいですね、私も名著だと思いますね。
【三浦】『寄席育ち』、これは岩波か、岩波で文庫になっているんでしたっけ?
【和田】今は文庫は岩波です。親本が青蛙房。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
---- 担当: 榎本亜矢 ----
いつもご依頼ありがとうございます。本というのはその時代、その時代の背景を本当によく映し出しているなと思います。普通の小説でも昔のものには携帯電話は無かったでしょうし、そういう時代的背景を知るのに一昔前の本を読むのもおもしろいのかもなと思いました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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