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【PODCAST書き起こし】新作落語って何だろう!和田尚久さん三浦知之さんと語ってみた。(全4回)その1

【PODCAST書き起こし】新作落語って何だろう!和田尚久さん三浦知之さんと語ってみた。(全4回)その1

【山下】皆さんこんにちは。TFC LAB PRESENTS! Podcast Station「BRAIN DRAIN」のお時間です。「集まれ!伝統芸能部!!」のこのコーナーはいつものレギュラーの三浦さんと和田さんに来ていただいていますが「落語・講談・お後がよろしいようで」ということで、今日のテーマは「新作落語」ということで、昔は新作だったものが今や古典になっているとか、そういったことも含めてですね、三浦さん・和田さんにお話しをしていただきたいと思います。ポッドキャスターのご紹介です。東北新社の三浦です。

【三浦】はい、三浦です。よろしくお願いいたします。

【山下】レギュラーのゲストで来ていただいている落語評論家(放送作家)の和田さんです。

【和田】はい、和田尚久です。よろしくお願いいたします。

【山下】ではよろしくお願いいたします。僕も後ろでスイッチングをしながらときどき茶々を入れていきますので、よろしくお願いいたします。

【三浦】よろしくお願いいたします。今、山下さんのほうから今日のテーマについて触れていただきましたが、今日は「新作落語」っていうことで進めてみたいと思っています。新作落語って言っても、今でいうとSWAの人たちとか、志の輔さんも結構新作落語をやりますし、そういう理解が現実的には多いと思うんですけれど、でも新作落語って考えてみればいつの時代でも新作はあったわけですよね?
(※SWA=メンバー:林家彦いち、三遊亭白鳥、春風亭昇太、柳家喬太郎)

【和田】はい。

【三浦】そういったところで古典と新作で何か垣根を作って話すというわけではないんですが、じゃあ「一体新作落語ってなんぞや?」っていうことで、今日和田さんにいろいろお話を伺いながら進めていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

【和田】そうですね、これは落語の研究家の山本進先生というかたがいて、圓生さんの『寄席育ち』とかを圓生さんがしゃべって山本先生が活字にした、そういうかたがいるんですけれども、その先生が言っているのは新作落語という単語と古典落語という単語は古典落語という単語のほうがはるかに新しいんです。

【三浦】おー、そういういうことか。

【和田】はい。つまり昔は落語を古典って思っている人がいなかった。

【三浦】あー。

【和田】山本先生が色々検証したら「戦後すぐに古典落語という表記が活字上に見られた」というデータも1つあるし、もっと遡ると戦時中だったと思うんだけれども、何かのパンフレットに「これは古典の落語である」みたいな書きかたがされていて、でもそれだって遡って10年ぐらいの話なんですよ。

【三浦】はい。

【和田】だから山本先生が探したのでいうと、古典落語っていうのはせいぜい1番遡っても昭和10年代に発生した概念。

【三浦】あー、生まれた。

【和田】それはどういうことかっていうと、例えば今、テレビでロバートとかサンドイッチマンとかそういう人たちや、四千頭身とかが出たときに古典コントって言わないじゃないですか。

【三浦】言わないですね。

【和田】言わないでしょう? 古典コントって言わない。その概念が必要ないわけですよ。

【三浦】はい。

【和田】作ってやって作ってやってというふうになっているわけだから、古典アイドル曲とかも多分言わないと思うんだけれども。昭和10年代、もしくは20年代ぐらいに、世の中というか落語に書かれている世界と現実が……、つまり分かれてきたということだと思うんですよ。

【三浦】ああ、なるほど。そうか、社会生活が。

【和田】そうです。だから、これはこの作品群は古典なんだっていうカテゴライズが必要でもあるし決めといたほうがいいっていうふうになったんだと思うんですよね。

【三浦】「もうこういう生活は今はしていないだろう」と。「この暮らしはいったいなんなんだ」っていうことでいうと、これを古典落語の世界で「昔はこういう生活を皆さんしていたんですよ」っていうくくりですかね?

【和田】っていうようなことだと思います。

【三浦】なるほど。

【和田】それと安藤鶴夫なんかがそのあとの、例えば「三越落語会」とかを立ち上げたときに書いているのは「非常に安易な芸が流行っている」と。それは落語も含めてだと思うんですけれど。戦後のですね。例えば、歌唱とかそういうのがあると。で、「そうじゃなくてやっぱり守る側の芸、伝承する意味での芸が必要なんだ」っていって「それを私が制作する会ではやります」って安藤鶴夫は宣言をしているんですよ。

【三浦】それを古典落語ともいえるわけですね。

【和田】そうです。だから例えば安藤鶴夫なんかはそういう実演家じゃない意味でそういう考えを非常に推進させた人だと思いますね。それはでもどのジャンルでもそうで、新歌舞伎ってあるじゃないですか。

【三浦】あるんですか? 新歌舞伎って。

【和田】新歌舞伎ってあるんですよ。明治時代になって作られた、岡本綺堂の作とかね。

【三浦】岡本綺堂?

【和田】はい。『修禅寺物語』とか、ああいうのを新歌舞伎って言ったりするんですけれども、新歌舞伎っていう概念は、江戸時代の人って歌舞伎を見て古典歌舞伎って言っていないですから。

【三浦】言っていないですね。

【和田】言っていないよね。

【三浦】要は彼らの身近にあるものですよね。

【和田】そう。「そうじゃない違う様式のものを作っていきますよ」っていったときに新歌舞伎っていうのができて。だからいろんな変化があったときにできてきたカテゴライズなのかなという。

【三浦】そうですね。

【和田】地殻変動があったときにですね。

【三浦】考えてみれば、能も別に古典能とは言わないですもんね。

【和田】古典能って言わないですよね。

【三浦】まあ新作能っていうのがかろうじて、たまにあるくらいで。

【和田】そうですね。

【三浦】能は能ですもんね。

【和田】そうです。まあいってしまうとですね、落語は……、ちょっと凄く大きな話になってしまうんですけれど、そもそも定本を持っていない芸能なので、明治の20年代くらいからもうちょっとくだったくらいに、作品がまとまったわけです。

【三浦】まとまった?

【和田】うん、まとまった。だからそれまでもやっていたにしても、演出ですとか、演題・タイトルも含めてですね、そもそも固定化されていなかったものが、「この話はこうだよね」っていうふうにだんだん固まってきたわけです。私はそれが明治20年代ぐらいだと思っているんですけれど。

【三浦】明治20年代?

【和田】はい。そこからも長唄の『勧進帳』っていうのは、1800年にやろうと1820年にやろうと1840年にやろうと、一応台本というものがあるから、同じことをやるわけじゃないですか。

【三浦】ええ。

【和田】台本を書き換えない限りは。

【三浦】そうですね。

【和田】でも、落語はそれなしできたわけですね。

【三浦】じゃあ時代によって変わっているかもしれない?

【和田】そうです。だから言ってしまうと、ずっと新作の歴史だったと言ってもいいと思うんですよ。

【三浦】なるほど。常に改変を繰り返して。

【和田】そうです。新作・改作の歴史だったという理解でいいと思うんですけれども。だからそう言ってしまうと、そもそも新作の芸能でずっと来た……。

【三浦】そういうことですよね。つまり落語が語られるっていうことは、もうそれが新作が誕生していく過程っていうことですよね。

【和田】はい。

【三浦】だから古典落語って今は、たくさん本に興津要(おきつかなめ)さんとかがまとめたものとかいろいろありますけれど、昔はああいうかたちではなかったということなんですね?

【和田】速記本というのはあったんです。

【三浦】速記本?

【和田】うん。明治時代から『百花園』という雑誌とか。当時は録音媒体がない時代だから。

【三浦】なるほど。そうですね。

【和田】みんな「家で落語を楽しみたいなあ」っていう人たちが……。

【三浦】、読んで楽しむ、それを。

【和田】読んで楽しんでいたんですよ。

【三浦】読むためのものなんですか? それは。

【和田】もちろんです。滑稽噺がいっぱい載っていたりだとか、あとは『怪談牡丹灯篭』みたいなじっくり読む怪談噺だったり人情話噺だったりっていうのが。当時の『百花園』というのは非常に代表的なんですけれども、そういう速記ばかり集めた雑誌があって。

【三浦】『ひゃっかえん』ってどういう字を書くんですか?

【和田】百花園は墨田区の百花園と同じなんですけれど、百の花、その花園ですね。

【三浦】ああ、はい。

【和田】だから「いろんな花が咲いているよ」みたいな意味なのかなと思いますけれども。

【三浦】なるほど。やりかたも内容もいろいろとあるということなんですかね?

【和田】そうですね、はい。だからそこのテキストはあります。

【三浦】それは今あるような古典落語の本とか、そういうのとはちょっと意味合いが……。

【和田】意味は違います。

【三浦】意味は違うんですね。

【和田】だからもっとニュースみたいな意味ですよ。

【三浦】うん。

【和田】だから、当時の明治時代に活躍していた三代目三遊亭圓遊っていう人がいるんですけれども。三代目というか通称初代圓遊っていう人がいるんだけれど。

【三浦】えんゆう?

【和田】圓遊。圓(まどか)遊(あそぶ)ですね。

【三浦】ああ、まどかあそぶ。今は圓遊っていない?

【和田】います。

【三浦】いますか。

【和田】今は五代目っていう人がいるんですけれど。凄くおもしろくて、夏目漱石なんかも圓遊のことをちょっと言及したりしているんですけれど。

【三浦】へぇ。

【和田】凄い人気者だったんですよ。『百花園』に載っている圓遊の速記とかを見ると、もの凄い時事ネタが入っているの。

【三浦】はぁ。

【和田】今で言いう古典落語なんだけど、例えば船徳っていう若旦那が勘当されて「船頭になります」っていうのも、「私は船に乗る技術を覚えて軍艦を乗りまわしてみせますぜ」みたいなのが、当時のギャグなわけですよ。

【三浦】なるほど。要は西洋から軍艦が来ているわけですものね。

【和田】そうです。それで明治時代だから蒸気機関があるわけですよ。だからそういうのをやって、「私はただの路でこぐ船じゃあなく、軍艦でちょっと隅田川で乗ってみようと思うんでげす」みたいな感じで書くから。

【三浦】そういうのを聞くと観客は「わはは」となりますもんね。

【和田】そうです。

【三浦】ちょうどタイムリーですもんね。

【和田】そうです。当時の時事ネタで。

【三浦】はい。

【和田】それでわかるのは、圓遊はちょっと極端ではあるんだけれど、当時は昔話ではないんですよ。

【三浦】今のことっていうことですよね。

【和田】その背景がそもそも。

【三浦】はい。

【和田】だからそれでいいわけ。

【三浦】まあ廓(くるわ)も普通にあるわけですし。

【和田】そうです。

【三浦】行ってきた話を噺として、ちょっと膨らませて話すともうそれが落語になる?

【和田】なったと思います。

【三浦】うーん。

【和田】あのね、ちょっと話がそれちゃうんですけれど、明治時代に三遊亭圓朝というすごい需要人物がいて。

【三浦】はい。ここでちょっと圓朝の生きた時代だけ確定すると、いつからいつまで?

【和田】圓朝はですね、幕末の……。

【三浦】幕末、はい。だいたいで大丈夫なんですけれど。

【和田】1840年代くらいから……。

【三浦】えっと1839年生まれになっていますね。

【和田】39年生まれでしょう? だからそのあとぐらい。子どものころからやっているので。

【三浦】そうですね。

【和田】芸人の家の人なので。40年代くらいですよね。多分、初高座あがったのがね。

【三浦】そうですね、はい。

【和田】そこから始めて明治維新がありまして、明治の20年代くらいまで一応寄席に出ていた。明治20年過ぎくらいに寄席に出るのは止めて、半隠居みたいになってですね。ただし、新聞に落語を連載したりとか活字分野で本を出したりだとかね。そういうことはしていて。ただ現役という意味では20年代くらいには退いていたらしいんですけれども。そのゾーンです。

【三浦】はい、わかりました。

【和田】だから、本当に江戸と明治を両方股に掛けている人。

【三浦】江戸と明治ですね。

【和田】はい。

【三浦】あらかじめ言っておくと圓朝のことはもちろん話をたくさんしたいんですけれど、圓朝については夏に全生庵で圓朝碑とかそういうのがあるので。

【山下】圓朝さんはまた、このあとでやりたいと思います。

【和田】圓朝特集を? わかりました。

【三浦】そこで主にやろうかなと思っています。ここで今日いろいろ触れていく中でも。もちろん出てくると思うんですけれど。

【和田】はい。それでね、今ちょっと一言だけ触れたいのは、明治時代に芸人が当時は鑑札っていう許可証みたいなのが必要だったんですけれど。

【三浦】許可証? 

【和田】そのときに圓朝が大物なので、おかみが圓朝をまとめ役みたいなのにしたわけなんです。噺家のね。そのときに「昔話頭取」って彼のことを付けたんです、肩書を。

【三浦】昔話頭取。

【和田】はい。これを僕は凄くおもしろいなと思っていて。圓朝というのは「圓朝=人情噺」の人なわけです。もちろん滑稽噺もやるんだけれど、『牡丹灯篭』であり、『塩原多助』であり『累ヶ淵』であり、っていうことをやる人なわけです。それが当時のカテゴライズの……、これは僕の解釈ですけれど、昔話って名付けるのにうってつけだったと思うんですよ。

【三浦】なるほど、はい。

【和田】圓遊はもうちょっとあとの人なんだけれど、圓遊とかそういう本当の同時代ネタをバンバンやる人の横に置いてみたときに圓朝ってそのときからしても、江戸っぽいことをやっていたってことですね。

【三浦】ああ。ちょっと前の話、江戸のことを?

【和田】うん、世界観が。だからこの人は昔話っていうふうに肩書・角書を付けたっていうんじゃないかなあ? と僕は思っていて、でもほかの人に聞くと当時の昔話でそれほどの明確な意味は無いよっていう人もいますけれど。

【三浦】そうなんですね。なるほど。

【和田】新作っていうのは、そういうような歴史でずっと来たんですけれども、これ日本において僕は非常に顕著だしちょっと悲しいことでもあるんだけれども、古典というかいってしまうと例えば、江戸とかに作られた作品の風俗と、そのあとの現実社会がもの凄く分離したわけです。

【三浦】そうですね。もう乖離しちゃっていますもんね。

【和田】もの凄く極端に乖離したわけです。だから落語の新作っていうと、例えば昔の昭和の、このあいだ亡くなった圓歌さんとかがやっていたのって、『月給日』っていうのがありまして、そうすると「今日は月給日だぜ」って言って「うちのかみさんに知られないようにちょっと飲みに行ってお金はうまいことごまかして」とかっていうやつで、「なあ山田くん」とかっていうやつがあるんですよ。

【三浦】それは今はもう通用しない生活習慣になっちゃっていますもんね。

【和田】そうですね。半世紀くらい前の背景なんですけれど。

【三浦】でも昭和の20年代・30年代ってそういうことでしたもんね、やっぱり。40年代もそうか。

【和田】そういうことです。

【三浦】月給がちゃんと紙袋で渡されて。

【和田】はい。だからそれを、「組合費とか経費は引かれているよ」っていうふうなことで、偽装工作をして「飲んじゃうよ」みたいな話なんですけれど、ハンコとかを持っている経理の人がいて、「天引きしました」みたいな嘘の書類を……。

【三浦】そうですね。なんか伝票みたいなのが入っているんですよね?

【和田】そうそう。っていうやつなんですけれど。

【三浦】我々もそんなのはもらっていないですもんね。

【和田】もっと前ですよね。ちなみに僕がアバコスタジオっていうところに勤めていて、サラリーマンだったときに、現金だったんですよ。

【三浦】あっ、そうですか。

【和田】はい。振込じゃなくて、月に1回。25日とかに。

【山下】アバコって早稲田のですか?

【和田】早稲田の、アバコ。

【山下】音楽録音スタジオの?

【和田】そうです。音楽録音スタジオの。

【三浦】ああ。

【和田】あそこに僕いたんで。

【山下】教会がある?

【和田】そうです。

【三浦】あ、そうなんですか。

【和田】教会があるっていうか、そもそもはあそこは……。

【山下】もともと教会だったのかな? 

【和田】キリスト教布教のために録音技術とかスタジオとかを作った組織なんです。

【三浦】そうですよね。

【山下】ああ、そうだったんですね。知らなかった。

【和田】元々は銀座の教文館にあったんですよ。

【三浦】ああ、あのキリスト教の。

【和田】そうです。

【山下】なるほどね、キリスト教つながりで。

【三浦】本屋さんの。

【和田】だからそもそもキリスト教の布教センターだったらしい。

【三浦】アバコって結婚式やったりもしていますよね。

【和田】だからその教会を利用して結婚式場をやっているんですよ。スタジオとは別にね。そこにいたときは月給でしたけれどね。

【三浦】現金で?

【和田】月給というか現金でしたけれどね。ハンコを押してもらいましたけれども。そのときに「なあ山田くん今日は月給日じゃないか」「部長、お供しますよ」とかって言うのが、やっぱり志ん生・圓生・文楽とかを好きな人の世界観からすると「これはちょっと違い過ぎるだろう」と。

【三浦】まあそうかもしれないですよね。でも、おもしろいっちゃあおもしろいですよね。

【和田】まあそう。当然そうですよね。

【三浦】その当時の風俗なり社会生活が反映された、それをちょっとしたギャグにした噺って等身大でおもしろいといえばおもしろいですよね。

【和田】そういえばおもしろい。確かにTBSのディレクターだった川戸貞吉さんっていう人がかいているんですけれど、圓歌さんが当時昭和30年代に……歌奴か当時は……、ああ圓歌になっていたかな? 圓歌になって15分くらいテレビに出てもらうっていったら、数字がてきめんに良い。もの凄くはっきりでる。

【三浦】視聴率がとれる?

【和田】それは川戸さん、TBSの人だから出て。だからおそらく文楽が出るより、圓生が出るより良かったはず。

【三浦】文楽とか圓生ってきっと玄人好みなんですね。テレビってそういうもんじゃないですもんね。

【和田】そうですね。おっしゃったように、例えば「月給をごまかして飲んじゃうよ」とかね、それとか『浪曲社長』っていうのは、社長が新入社員の面談をするんですよ。

【三浦】はい。浪曲社長。あはは。

【和田】そうそう。新入社員の面談をするんだけれど、浪曲が凄く得意な社長っていうか、だからウケるほうなんだけれど、やつが出てきて、浪曲っぽく虎造のマネみたいなのをするっていう話があるんですけれど。

【三浦】それおもしろいですね、

【和田】それとかはもう本当にめちゃくちゃ大当たりしたネタで、戦後の新作落語のある種代表作みたいなのがあるんですけれど、ただ僕なんかは「いわゆる古典落語が好きだ」っていうところからきたから、そっちには正直やっぱりのめり込まなかった。

【三浦】それもちょっと前の話なわけですもんね。

【和田】僕からしたら全然前ですよね。

【三浦】そうですよね。

【和田】凄く昔の森繁さんとかの映画を観ているようなもんですよ。

【三浦】ああ、そうですよね、

【和田】社長シリーズのなかで。

【三浦】ええ、『社長漫遊記』うん。

【和田】「あ、こんなんあったんだねえ」みたいな、宴会とかね。みたいな感じで見ていますけれども。ただ、今聞いて「凄いウケかたをしているなあ」とか「この若さでこういう密度でやっているんだ」とかは感じますし。

【三浦】その時代の空気感を微妙にちゃんと鋭く反映させながら、面白おかしくやるっていうのは1つの技術でもありますよね。今ちょっと『落語事典』という本が目の前にあるんですけれど、これをちょっと読んだんですけれど、圓歌さんのいわゆる落語の主人公って成長していくとそれがそれで話が変わっていくっていう……。

【和田】ああ、あれは多分後付けだと思うんですけれど、最初はですね『授業中』っていうネタがあって、「山のあな」って言われているやつがあるんだけれど。

【三浦】そうですよね。「山のあな、あな、あな……」っていうやつですよね。

【和田】そう。あれは当時めちゃくちゃやっていますよ。本当に、毎日って言ったら大げさだけれど何百回もテレビでやっているんだから。

【三浦】そうですよね。僕でも知っているくらいですからね。「山のあな、あな、あな……」って。

【山下】ちなみに、僕は小学生のときにラジオでその落語を聞いて「あ、こんな落語があるんだ」っていうのを、初めて落語を落語として認識したのが……。

【三浦】落語として認識したのがそれ?

【山下】それが、初めてです。

【和田】ああやっぱりそうですよね。だからそれくらい社会に、みんな知られていたネタなんですよ。当時はやっぱり東京では圓歌さんと三平さんが、マニアではなくて普通の人も知っている落語家。

【三浦】もっと社会に浸透していたんですね、落語って。

【和田】でもその2人がやっぱり特別。

【三浦】特別?

【和田】特別な人だろうな。それが「いやあ、志ん生さんとか文楽さんとかいるんですよ」とか「三木助が」とか言っても、多分知っている人は少ない。人数的にはね。

【三浦】うん。

【和田】その『授業中』の中に出てくるキャラクターが、どうしても読みなさいって言ってもちゃんと読めないとか。あと、なぜか浪曲がうなっちゃうみたいなやつがまたそこに出てくるわけ。そのキャラを『浪曲社長』とかでも、また使っているんですよ。

【三浦】ああ、なるほど。

【和田】だから「人物が成長している」と……、まあ圓歌さんもそう言っているんだけれど、そうとってもいいですよね、うん。

【三浦】うん。

【和田】まあ圓歌さん自身がそう言っているからね。

【三浦】そういう新作に出る人物が、主人公っていうのもなんですけれど、出る人物が成長していく中で、落語も変わっていくっていうのはちょっとおもしろいですよね。最終的になんでしたっけ? 『中沢家の人々』になるんですかね?

【和田】地噺の新作と、「山田君、飲みに行かないか」「部長、お供しますよ」って言う新作は僕はちょっと違うと思うっていて、地噺も新作のカテゴリーで今語っていいんだとすると、地噺の凄くおもしろい新作ができる人は、僕は落語家として才能がある人だと思うのね。具体的に言うと、圓歌さんの『中沢家の人々』。今の林家木久扇さんの『彦六伝』といったり『明るい選挙』といったり、ちょっとタイトルは確定しないんだけれど、彦六師匠の噺。それから、川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)さんの『ガーコン』って言う噺。大阪だったら笑福亭松之助さんの『テレビアラカルト』とか。これはもうどれも傑作です。

【三浦】そうですか。

【和田】大傑作ですね。落語の戦後史の中で絶対にはずしちゃいけないものだと思います。

【三浦】『彦六伝』もそうなんですね。

【和田】『彦六伝』もそう。私は大名作だと思っています。

【三浦】ちょっと今『ガーコン』の話が出たんですけれど、『ガーコン』のタイトルの意味がようやく分かったんですよ。なにかっていうと、あれってコンバインの音なんですね。

【和田】そうです、ええ。

【三浦】コンバイン……、東京に出ていった大学生の息子に一生懸命仕送りを送っていて、農業をやっているお父さんの脱穀機が、買い替えられなくてガーコン・ガーコン音を出しているっていう。

【和田】そうです。

【三浦】それは有名な話ですか? 有名っていうかそれが普通の話?

【和田】有名でもないのかなあ? でも聞いていると最後にそのフレーズが出てくるので。

【三浦】あ、そうか。じゃあ私『ガーコン』ってちゃんと聞いたことないんですね。

【和田】そうか。最後のオチの部分かそれなんですよ。

【三浦】そうですよね。そうか聞いていればわかるんですね。

【和田】「新しいコンバインを買えないんで」っていって「ガーコン・ガーコン」って言って……。

【三浦】ギャラリーにいる坂田くんは知っていましたか? それ。『ガーコン』。

【山下】坂田さんも覚えていなかったと。ちょっと質問なんですけれど、僕がわからなかったのは、地噺の新作って言うのはどういう意味なんでしょうか?

【和田】人物AとBが「今日は月給日だから飲みに行かないか」「そうだなあ」っていって「女房の……」っていうのが、いわゆる落語の人物が出てくる話ですよね。

【山下】八っつぁん・熊さんみたいな話ですね。

【和田】そう。八っつぁん・熊さんみたいなのが出てくるので。地噺というのは、語り手がベースになっていて、語り手の視座から……、例えば圓歌なら圓歌という人の視座からすべてを物語ってしまう。だから文章でいうところの地の文なんです。

【山下】なるほど。

【和田】全部が地の文。

【山下】それは講談とはまた違うものなんですか?

【三浦】あー。

【和田】違うと思いす。

【山下】ああ、なるほど。

【和田】ただ地の文をベースにしているっていう形式は似ています。

【三浦】形式は共通ですけれどっていう。まあ文体とかそういうのが違うっていうことですよね?

【山下】っていうことは地の文を形式とした落語をやると、地噺っていう噺になるっていうこと?

【和田】地噺っていうのは例えば、談志(だんし)さんがやっていた『源平盛衰記』というのは……。

【山下】あ、はい。

【三浦】ああ『源平盛衰記』。

【和田】義経と……、例えば清盛とかが出てくるんだけれど。

【山下】そうですね。

【三浦】そうですね。

【和田】その人のセリフというよりは「義経が五条橋を歩いていたときになんとかかんとかで、向こうから誰かが来て切ってやった」っていって、「それで見ていたなんとかが……」とか「そのときに静御前はこれこれこうで、舞を舞ってみんながビックリした」みたいなことを談志の視座から語るわけですよ。

【山下】なるほど。

【和田】それを地噺っていうんです。あとは『紀州』とか『善光寺』の由来の『お血脈(おけちみゃく)』とかあるんですけれど。

【三浦】『お血脈』。結構地噺の落語も多いっちゃあ多いですかね?

【和田】といっても、全体の中の1割とか……。

【三浦】そんなもんですか?

【和田】だと思いますね。昔の文楽師匠が言っていたらしいんだけれど、地噺で売れると、普通の落語が下手になっちゃうっていうのがあって。

【三浦】ああ。

【和田】それはなんかわかるような気がするんですよ。地噺で売れるっていうことは、その人のパーソナリティで、物事を語る。それが地噺なので、例えば「私が上野駅から特急に乗って山形に向かっていたときにこうだった。こうだった」っていうのが地噺の語りかたなんですよ。

【三浦】ええ。

【和田】そっちのほう……、そこで成果を出してしますと、自分と無関係な熊さん・八っつぁん・山田さんを動かしてやるのがしんどくなっちゃうんですよ。

【三浦】ああ、なるほど。登場人物にそれぞれいろいろなりきっていったりすることが難しくなるんですかね?

【和田】難しいというか、効率が低いんで……。

【三浦】めんどうくさくなるっていう。

【和田】うん。

【三浦】そっか、いちいち八っつぁんとか熊さんにならなくても、自分の人間性で話していけばいいやっていうことですよね?

【和田】そうです。

【山下】なんか今の話を聞くと、地噺って言うのは物語を作っていく・物語を語っていくっていう立場なんだけれど。熊さん・八っつぁんのセリフをしゃべるとですね、俳優として演じるっていう作業になってくるじゃないですか。

【和田】そうですね

【山下】作家・演出家ではなくて、俳優で演じることとミックスになっちゃうと難しくなっちゃいますよね。役割が違うから。その役割が物語を創作して語っていくのが得意な人と、役になりきって俳優的に演じるのとの差のような気がしたんですけれど。

【三浦】でも多分落語家さんっていうのはそういうことをあまり意識せずに多分普通にできているんでしょうね。演じ分け的なことをいえば。

【山下】そうですね。

【三浦】上下をふるっていうようなことでいえば、八っつぁん・熊さんになるのは割とそういう修練を積んでいけば身に付くわけじゃないですか。

【山下】そのときに地噺がうまくなっていくと、八っつぁん・熊さんで演じるのが難しくなってくるっていうのはなんか意味があるのかなと思って。

【三浦】まあ客観性が高くなってしまうようなことがあるんですかね?

【和田】ええとね、単に非効率だっていうことだと僕は思っていて。

【山下】ああ。

【三浦】うーん。ああそうか。誰かにならなきゃいけないっていうことが。

【和田】うん。落語っていうのは話がそれちゃうからあまり言及しませんけれど、八っつぁん・熊さん・ご隠居さん・与太郎っていうのが出てきたときに、俳優的に僕はその人になるんではないと僕は思っておりまして。

【山下】なるほど。

【三浦】うーん。

【和田】それよりは、人形劇の糸を持っている人。

【山下】人形遣い。

【和田】人形遣い。それか文楽の後ろに立っている人。あれが僕は落語家だと思っているんです。

【山下】なるほど。

【三浦】うーん。

【和田】その人形劇のですね……、例えば何でもいいんですが、『ファウスト博士』っていう人形劇があったとしてですね、それを演じるというよりは、その糸を操るわけじゃないですか。上からもしくは後ろの下で棒でこうやって動かすわけじゃないですか。それをやる人が僕は落語家だと思っているんです。

【三浦】言葉を発しなきゃいけないから、そこはやっぱり自分で言っているぞ、と。

【和田】そうです。それとその人形劇の博士がいて助手がいて悪魔がいてみたいな人形劇だとしたら、その全キャラクターを糸を使ったり下から棒で動かしたりするのが落語家の芸だと思うんですよね。

【山下】なるほど。

【三浦】まさに芸ですね、それは。

【和田】はい。ちょっとこの論をいくとまたでかくなってしまうので戻りますけれど。 
   
テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

---- 担当: 榎本亜矢 ----
ご依頼ありがとうございました。今まで落語に触れてこなかったので、初めて聞くお話ばかりでとても楽しく聞かせていただきました。昔は録音機材がなく速記本を家で読んで楽しんでいたというお話から、今も昔も娯楽を求めるのは同じだなと思いました。今はなかなか気軽に出歩けない世の中ですが、落ち着いたらぜひ聞きに行ってみたいと思いました。素敵なご縁をありがとうございました。また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。


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