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【PODCAST書き起こし】小山ゆうなさんに演劇と演出・翻訳劇の話を聴いてみた(全4回)その2

【PODCAST書き起こし】小山ゆうなさんに演劇と演出・翻訳劇の話を聴いてみた(全4回)その2

【山下】大学に入られて、速攻で演劇活動を始められたんですか?

【小山】そう。始めちゃって。私4年じゃなくて5年かかってるんですけど、卒業できなくって。

【山下】演劇を頑張ったからね。あるあるですね。

【小山】でもサークルに入って。

【山下】何ていうところに。

【小山】演劇倶楽部っていうところで。

【山下】ああ、演劇倶楽部、はいはいはい。

【小山】当時、カムカムミニキーナの皆さんがまだいらして。

【山下】カムカムさんがまだいた頃なんですね。ああ、なるほど。

【小山】はい。大先輩として、いらしたりとか。そうですね。

【山下】「大人の麦茶」の塩田泰造さんとかもその頃にいたんですよね。

【小山】あ、うん。その頃、大人の麦茶の塩田さんが演劇を初めて手がけられた作品に、たぶん出させていただいたんだと思うんですけど。

【山下】小山さん、出演されたんですか。

【小山】はい。

【山下】あ、そうなんですね。

【小山】出させていただいたんです。そうなんです。

【山下】1回会いましたもんね、大人の麦茶の公演で。

【小山】はい。

【山下】あ、そうだったんですね。

【小山】そうなんです。
で、当時の写真がこのあいだ出てきたら、すごい小っちゃい早稲田のアトリエでやった公演だったと思うんですけど、後ろにブラインドがかかってたりとかして、セットがお洒落で。

【山下】へえ、ちゃんとした。

【小山】すごく素敵な、やっぱ塩田さんワールドの。

【山下】ああ、塩田さん。塩田さんワールドって少女漫画みたいな感じですもんね、ほんとに。

【小山】はい。もうまさにそういう感じの。

【山下】あれ、独特だな、塩田さんのって、ほんと。

【小山】はい。

【山下】いやいや、そうなのね。
で、小山さんもそこで演出か何かおやりになるのか、出演の方をやったんですか。

【小山】最初は新人公演みたいなのはもう出なきゃいけなくて、なので1年目はそれに出て、そこから声をかけていただいたらたまに出たりもしていたけれども。

【山下】客演とかで。

【小山】うん。塩田さんのみたいな感じで。
ただ、基本的には自分で演出をもともとしたかったので。

【山下】あ、そうなんですね。

【小山】なので、そのときの同期の仲田恭子ちゃんっていう子がいて、彼女と一緒にユニットを組んでいろんなところで小っちゃい規模の公演をするようになりました。

【山下】なるほど。

【小山】あと、小手伸也君とかも同期で。

【山下】小手さんって有名じゃないですか。知ってる、知ってる。
(※小手 伸也は、日本の俳優、声優、作家、演出家。 神奈川県出身。株式会社オフィスPSC所属)

【小山】そうそう。何か今ね、有名なんですけど。

【山下】へえー、そうなんですね。
じゃあ、あれですか。授業は行かないけど、ほぼ演劇活動をしているという日々が。

【小山】そうですねえ。

【山下】演劇活動の資金はアルバイトか何かされてたんですか。

【小山】アルバイトしてましたね。

【山下】何してたんですか。

【小山】レストランで働いたりとか、あと、事務のアルバイトをしたりとか。いろいろやりました。

【山下】なるほど。その後、大学は普通に5年かかったけど卒業してっていう感じですか。

【小山】はい。

【山下】その後はどうされたんでしたっけ。

【小山】そのときに同時並行で、和田豊さんっていう演出家の人がいるんですけど、パリのコンセルヴァトワールでも教えてた方が日本に帰ってきて開いた教室に通ってたんですね。
なので、その演劇学校と大学の演劇活動を並行してやっていて、なので大学を卒業してからはそっちの演劇学校の方に通いながらっていう時期がちょっとだけあって。

【山下】演劇学校っていうのは養成所みたいなとこなんですか。

【小山】そうそう。そういうことだと思います。いわゆる養成所ですね。

【山下】その人が主宰している養成所。

【小山】はい。

【山下】なるほど、なるほど、へーえ。それは自分で見つけて行ったんですか。

【小山】はい。

【山下】紹介とかじゃなくて。

【小山】じゃなくて。たまたまラジオを聴いてたら、J-WAVEだったと思うんですけど広告が流れて。

【山下】ラジオCMで。

【小山】そうそう。ラジオCMで。

【山下】音声CMの力で。なるほどね。

【小山】そうそう。それで、たまたま聴いてて。「えっ、面白そう」と思って。

【山下】そうなんですね。このポッドキャストもね、音声CMが入るようになったらね、ちゃんとマネタイズできるようになるんじゃないかとかね、思ってやってるんですけどね。(笑)

【小山】わあ! いいですね。

【山下】で、大学を卒業して、大学のお仲間たちとは未だに集まったりもされてるんですか。

【小山】集まることはないですけど、まあ、何かしらでつながってるので、Facebookとか。情報は共有しながら。

【山下】そうかそうか、そうね。高校のときの同級生とかは何かありますか。

【小山】高校もそうですね。何人かは、連絡取り合ってます。

【山下】なるほど、なるほど。それで演劇の養成所みたいなところに入って、卒業した後は、就職活動はされなかったんですか。

【小山】しなかったですね。そこから、その演劇学校のほうが海外から先生を呼んできて公演を打つみたいな学校だったので、そのときにドイツ人の先生もいらして、その先生を頼ってドイツに行ったりとか。でも、今思えば、ほぼ遊びに行ってたんですけど。

【山下】いいじゃないですか。

【小山】ドイツとかカナダとか、ちょっと海外に行く時期がありました。

【山下】なるほど。いいですね。20代に海外へ行くの、いいですよね。

【小山】うん、そうですね。

【山下】安藤忠雄さんっていう建築家が、20代にね、何になろうかっていって、ほんとに世界中の建築をね、見て回った。僕、それはすごくいいなと思ってて。
あと、『WIRED』っていう雑誌があるんですけど知ってます?

【小山】うんうんうん。

【山下】それの創刊編集長がケヴィン・ケリーっていう人で、その人は面白い人で、20代、ほぼ世界中をバックパックで旅をしていて。
お金をどうやって稼いでたかって言うと、カメラで写真撮って『LIFE』に送って『LIFE』からお金をもらって。

【小山】すごいですね。

【山下】それで世界中を旅して29歳ぐらいのときにアメリカへと戻ってきたんですけど、その後さらに自転車でアメリカ中を回る。
で、30過ぎてからやっと仕事を始めた。そんときに『ホール・アース・カタログ』っていう本があって、それの編集をお手伝いで始めたんですけど、その本が実はスティーブ・ジョブズが「『ホール・アース・カタログ』みたいなものを作りたい、ITで」って言って作ったのがアップル社なんです。

【小山】へえ!

【山下】これはほんと、そうなんですよ。
それを僕は見て、「ケヴィン・ケリー、すごいなあ」って思って。『テクニウム』っていう本が面白いです、すごく。ケヴィン・ケリー『テクニウム』。

で、むちゃむちゃ余談になっちゃいましたけど、何を言いたいかっていうと、僕はよく言うのは、20代はいろんなところを見て回った方がいいっていう。

【小山】ほんと、そうですよ。

【山下】卒業してすぐ就職しなくていいよって、よく生徒にも言うんですよね。何かその方がいいなと思って。
小山さんも、そういうふうにしてね、いろんなところを見て回って、何か印象に残ってるところあります? 印象に残った経験とか。

【小山】割と東欧の方にも行きましたし、けっこう怖い目にも遭って、印象的な事件は割とたくさんあって。でもね、やっといてよかった。今は行こうって思わないし、一人で。

【山下】リュックサックしょって?

【小山】そうです。何かかついで。

【山下】バックパッカーだったんだ。

【小山】貧乏旅行をして、だから……。

【山下】はいはいはい。ユーレイルパスか何か持って?

【小山】そうそうそう。まさにです、ユーレイルパス。

【山下】まさに。ああ、じゃあ、僕も大学卒業時に、1カ月ぐらい、ぶらぶらしてました。

【小山】今、息子とかにも思うんですけど、何かそういうことしたらいいなって。

【山下】ああ、そうですね。もう大きくなられましたか。大学生?

【小山】いや、まだ高校生。高3なんですけど、ただ、時代があまりにも違って、当時も危険だったんだろうけど、あんまり情報もないから、行って危険な目に遭って無事だったみたいな感じだけど、今って何かもっとね、ほんと大丈夫かな。このコロナのこともあるもの、さらに。

【山下】コロナもあるからね。あと3年後くらいかな、でも。
でも、大学のね、途中で行かれるのはいいと思います。

【小山】そうですね。今、若い子たちがね。

【山下】もう出られないからね、ほんとに。

【小山】そう。

【山下】やあ、本当いろいろ見た方がいいと思うんですね。

文藝春秋の編集者だった池島信平っていう人がいるんですけど、その人が編集者に求める三つの特徴っていって、これ、新人研修で新人にも話すんだけど「本を読め。人に会え。旅に出ろ」これ、いいですよね。

【小山】いいですね。

【山下】これ、全部やって暮らすのが一番楽しいです。

【小山】楽しいですね。

【山下】僕、今日はこうやって小山さんにちゃんと会えてますけど、こうやって人に会ったりとかね。
本も読めるんだけど、あと、旅に出れない、今ってね。ほんとに厳しいなと思って。
いつになったらね、出れるかと思いますけど。

【小山】そうですね、ほんとにね。

【山下】でも、小山さんも仕事で海外と行ったり来たりが、ほんとできなくなっちゃってるからね、それはちょっと辛いですよね。

【小山】そうですね。それで、やっぱり実現できなくなった企画が割とあって。残念ですけどね。

【山下】そうか、残念ですね。小山さんはドイツ語と日本語と英語もしゃべられるんですか。

【小山】やあ、どれも実は中途半端で、そんなに。

【山下】いえ、日本語はちゃんとしゃべってる。

【小山】いや、日本語もね、そう、「日本語、変だよ」とかいって怒られることが割ともう若い頃とかしょっちゅうあって。「すみません。帰国子女なんで」とかいってごまかしてたんだけど、何かちょっとね。

【山下】でも、よく使うのは英語と日本語とドイツ語?

【小山】そうですね、はい。

【山下】なるほど。でも三つできるとね、いろいろ広がりますよね。その辺も追々聞いていきたいと思いますけど。
それで、演劇の養成所に通って、海外にもいろんなとこを行きながら20代過ごしてますと。
その後、劇団NLTに入られるんですか。だいぶ後?

【小山】そうですね。だいぶ後なんですけど。

【山下】その間は何してたんですか?

【小山】その間は日本語学校に普通に勤めてました。最初、バイトから。

【山下】日本語教師?

【小山】いや、事務の仕事を。受付事務をしてました。

【山下】ああ、そうなんですね。じゃあ、一応サラリーマンをやられてたんですね。だから割と、「かちっ」とされてる部分はそういうところからですね。

【小山】いやいやいや、けっこうダメな。よくクビにしないでくれたなって思います。

【山下】どこにあったんですか、その学校は。

【小山】渋谷の宮益坂にあって。

【山下】割とじゃあ、ドイツの人とか来たり、海外から。アジアの人が多い?

【小山】ただね、当時はアジアの人が多かったし。ドイツ人とかアメリカ人とか、もちろんいましたけど、ビジネスマンが日本語を学ぶための夜の時間帯とか。ただ、日中の毎日通うところには、ほんとに今あれですけど、ミャンマーの方とかネパールの方とかスリランカとか、韓国、中国の方はもちろん。

【山下】ガッツのある人ばっかりだね。やっぱり学びに来ようとするとガッツがあるよね。

【小山】ほんとに。

【山下】それはインスパイアーされて、あれだね。
うちも今年新人で、留学生の海外の子が入ったけど、むっちゃガッツある。もうすごいです。

【小山】ほんと、そうですね。

【山下】そういう人たちにインスパイアーされますよ、ほんと。
で、その事務の仕事は、あるタイミングで辞めることになったんですか、日本語学校の。

【小山】そうですね。さすがに演劇からだいぶ離れすぎたかなっていうことで、NLTを受けるタイミングで辞めました。

【山下】辞めるのが先だったわけ?

【小山】いや、ちょっとかぶっているんですけど、それは日本語学校さんにお話しして「ちょっとこういうふうにしたいんですけど」って言って。ちょっとだけ、かぶってる時期ありましたけど。

【山下】オーバーラップあるんだけど、最終的にはNLTの演出部でやることになった。
ちなみに、私はちょっと勉強不足でNLTのことをよく知らないんですけど、どんな劇団だったんですか。

【小山】私もそんなに詳しくない……。賀原夏子さんという女優さんがいらっしゃいまして、彼女は、割と昔の映画を観ると、ほんとちょっとした脇役とかで出てるすごい面白いおばさんの役とかをいっぱいやってた女優さんで、彼女が作った劇団ですね。

もともと文学座に彼女もいて、三島由紀夫もいて。

【山下】三島由紀夫って、あの三島由紀夫?

【小山】そうですね。三島由紀夫と、たぶん彼女が文学座から出たタイミングでできた団体が新文学座っていう名前だったと思います。NがNeoっていう。

【山下】Lは文学、リテラリーみたいな。

【小山】Litteratureみたいな、はい。

【山下】ふーん。じゃあ、これは純粋に日本国産の劇団なんですね。

【小山】はい。そうですね。ただ、海外の翻訳劇のコメディをやるっていう、それは賀原さんがおそらく最初その……。

【山下】コメディが好きだったんだ。

【小山】あのね、好きだったっていうよりかは、おそらく劇団として最初の頃やってた作品って実はそうでもないので。

【山下】そうなんですか。変わっていったのかな。

【小山】うん。運営してくために、ある独自性を出さなきゃいけないとかってなっていったときにフランスのブールヴァール演劇を。

【山下】なんですか、ブールヴァール演劇って。

【小山】ブールヴァール、いわゆる商業的なものが多いですけれども、コメディの作品。だからニール・サイモンとかも、ブールヴァールではないんですけど、ちょっと笑って泣けるコメディみたいなものを扱う劇団。
だからフランスのものが当時、昔はすごく多くて、今はもうちょっと変わってきてると思いますけど。

【山下】三島由紀夫さんも戯曲を書かれてた? 三島作品はやらなかったんですか。

【小山】もともとは、大本のNLTっていう名前になる前は三島由紀夫さんの作品をやっていたはずです。

【山下】なるほど。じゃあ、方向性が変わっていったんですね。

【小山】そうですね。

【山下】なるほど、なるほど。どんな感じだったんですか、演出部に所属していたときは。

【小山】コメディをやっているせいか、すごく明るい劇団で。

【山下】いいですね。そういう劇団があるんですね。

【小山】うん。そう、演劇界って基本的に暗いんだけど、何かその暗さを背負っていなくて。
なので、先輩たちにも恵まれて、すごく居心地よく、いろいろ。私は基本的なこと何にも分からない、尺・寸とかの単位も分からないし。

【山下】寸法。3尺上げとか、そういうことですね。

【小山】そう、寸法も、そういうのも分からないし。何も分からないところからスタートしたんですけども、親切にみんな教えてもくれて。
で、演出する機会も割と早めにいただいたりとかして。

【山下】ああ、そうなんですね。初めて演出したときの作品、覚えてます?

【小山】そうですね。アトリエ公演みたいなものも覚えてますし、あと、劇場でやらせていただいたものも、すごくよく覚えています。

【山下】それも両方とも翻訳劇ですか。

【小山】はい、そうです。

【山下】小山さんが割と翻訳劇を多くやられたっていうのは、そういうところがそもそもあったのかな。

【小山】そうかも。そういうものが好きだったのかもしれないですよね。

【山下】そうですか。小山さんは自分で本を書いてみようとかっていうのはなかったの?

【小山】初期の学生の頃は書いてまして。

【山下】早稲田の頃、はい。あ、そうなんですね。

【小山】書きながら演出するっていうことをやっていこうかなあと思っていた時期もあるんですけど、もうあまりにも大変で、書くって。

【山下】大変ですよね。日本はね、それが普通みたいになってるけど。

【小山】みんな、すごいですよね。

【山下】日本だけですよね、ああいうの。劇作家が演出までするのはね。

【小山】はい。

【山下】海外だと割と完全に分かれているのがほとんどじゃないですか。

【小山】分かれてますね、はいはい。

【山下】日本だけ不思議なんだよな、ほんとに。

【小山】でも、皆さん、ほんとすごいな、何本も書いて。

【山下】大変ですよね、ほんとに。
それでNLTの演出部は何年ぐらいいらっしゃったんですか。

【小山】5年いて。

【山下】なるほど、なるほど。じゃあ、その頃ですかね。私が今所属している映像テクノアカデミア(東北新社が運営している教育事業、映像翻訳科、俳優科などがある)にいらっしゃったのが。

【小山】そうですね。

【山下】実は、私が小山先生となんで言ってるかというと、映像テクノアカデミアで講師をしていただいていまして、私としょっちゅう演劇の話とかもさせていただいて、小山さんの演出の舞台も何本も拝見させていただいてという。
ほんとにこの数年の小山さんの演出力と、あと仕事のオファー数が尋常じゃないです。
観る芝居全部があるレベルにいっているので、ほんとにびっくりしてます。何かきっかけがあったんでしょうか、それは。

【小山】お仕事いただけるようになったきっかけは世田谷パブリックシアターの『チック』だと思うんですね。
世田谷パブリックシアターさんから連絡をいただいて、何かやってみないかっていうところから作品選びして、公演を担当させていただいてっていうところがスタートだと思うんですけれども。

【山下】パブリックシアターの制作の人かプロデューサーの人が小山さんが演出した舞台を観てたわけですね、だから。

【小山】いや、担当の方は観ていらっしゃらなくて。

【山下】どういうあれで。

【小山】ちょっとよく分からないんですけど。まあその方に上の方が、「小山さんっていう人がいるよ」って言って、おそらくいろんな方をリサーチされてたと思うんですけれども、「資料送ってくれ」って言われてDVDは何本か送って、それは見ていただいてたんですけれども。

【山下】『チック』って、作家はドイツの作家でしたっけ。

【小山】はい、そうです。

【山下】ドイツ演劇でつながったんじゃないかな。ドイツ演劇っていうと小山さんの印象あるんですよ、ドイツ演劇の翻訳。

【小山】ただ、作品がまだない段階で声をかけていただいてて。

【山下】ああ、そうなんですね。そうか、すごいですね、それも。

【小山】そうなんですよ。最初、「何かやりたいものない?」とか言われてて「は、やりたいものか」と思って自由にいろいろ言ってたんですけど、そしたら「いや、そうじゃなくて何かドイツのものがいいと思うんだけど」って言われて。

【山下】世田谷のパブリックシアターさんが。

【小山】そうか、そうですよね。他の作品だったらね、いろんな方がやってらっしゃるから。そこから必死で探したのが『チック』だったわけですけど。

【山下】なるほど。でもそれで「ヨーロッパを主体とした翻訳劇を小山さんが演出すると面白くなるよ」っていうふうになっていったんじゃないかな。それは感じます。

【小山】うーん、どうなんですかね。

【山下】『チック』でね、読売演劇大賞でしたっけ、お取りになって。
キャスティングもね、すごい良かったし、演出もポップでした、やっぱりすごく。場面転換とかもね、車を運転するシーンとかも、よくできてたんで。
ということで、アカデミアの講師をしていただけることになって、ほんとにいろいろとお話ができて、『チック』でね、ほんとにあれになったんですけど、このあとその後のお話もちょっとおうかがいしたいと思いますけど。

【小山】はい。

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

文字起こしの担当者:高橋倫花
コメント:このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました。
旅をするのは難しい状況の昨今ではありますが、本を読んだり誰かと話したりして、いろいろな生き方や考え方に触れた方がいいと私も思いました。そうすれば、いつまでに何かをしなければダメだとか、自分の居場所がどこにもないとか、そういうふうに思い詰めることも少なくなるような気がします。
またのご依頼をお待ちしております。



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