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悟りと気づきと直感と圧倒的な感覚体感と心の闇 覚醒瞑想体験

真理を掴めたものは、自分に対する絶対感にいい意味で支配されます。
しかし、どんな一生懸命勉強しても、本を読んでも真理をつかめるものではありません。
瞑想をやることで到達する道もありますが、私自身の体験から、非効率的な逆に道に迷ってしまう危険性(瞑想の罠)の高い方法でもあるので、あんまり期待してはいけないと思います。this-is-spiritual-enlightenment-mind-sky

真理を掴むということは、知恵、知識、理性を超えた第六感的な世界、絶対的な感覚の世界に入ることが必須です。
それは直感の世界で、そこで悟ったり、気づきを得た人だけが、はるか高みを目指すことができます。
同時に悩みや苦しみから解放され、脳が覚醒状態に入れます。
この時の清々しさ、生まれ変わった、再生できた喜びといったらありませんでした。

しかし、圧倒的・絶対的感覚の世界は、体験した人にしか想像できません。
一億回理屈を積み重ねようとしても、一つの深いすごい感覚に勝てないのです。

私たちの生きる世界は、全て体感です。
それ以外の得られたものは、ただの知識です。
幸福に生きる上では、はっきりいって役に立たない代物なのです。

知識をいくら積み重ねても、自分の内面に革命が起きたこと、覚醒したことがありますか?
私にはありませんでした。

まあたしかに本を読んで知識を得る喜びがありますが、それすら感動体験があるからこそ、一生ものの智慧になり、宝物になります。
書いていることにいちいち「なるほど!」 と納得するということも感動という名の体感であり、その数が多いほど、どんどん脳が吸収してくれるのです。

私が医師になれたのも、やはり人間の身体や心に非常に興味を持ち、その仕組み、働きを知ること一つ一つ感動を覚えたわけです。
私の大好きな祖父が、名医によって命が救われた時の感動が、それを加速させました。
また医師になりたい! という子供の時の夢が消えなかったのも、医者が登場する映画やテレビドラマ、漫画を通して、私の心が感動体験で満ち溢れたからです。
医大に入るためにあんまり好きではなかった科目に一生懸命取り組めたのも、その原初体験があったからだと思っています。

ただし感覚は、悪い方面にも存在しています。
もし人が感動といった明るい方面ではなく、暗く沈んだ恐怖と不安の世界で過ごしたら、今後の世界もそれで満たされて生きねばならないのです。
いくら抜け出るために努力したとしても、知識の世界でもがいて終わるのがオチだと思います。

心の闇はまことに厄介です。
心の闇から生み出されるすべてのものはネガティブなものです。
焦って瞑想をやっても、落ち着くどころか、より焦りが加速してしまう危険性があります。
だから、中途半端に瞑想をしてしまうと、ネガティブを増幅させるだけに終わるのです。

だからこそ、どうしようもない悪循環を壊すために、圧倒的な感覚体験が必要になるわけです。
感覚は一生消えません。
脳が覚えてくれています。
良くも悪くもです。

トラウマは、一生その人の人生を決定づけるぐらい半永久的に、その人を苦しめます。
トラウマは決して自然に消えてくれません。
向精神薬をいくら飲んでも、カウンセリングを受けても、精神療法を受けても、ずっと存在し続けます。
その間トラウマに支配された人生は、喜びも感動も少なく、悪い思考に取り憑かれていきます。
悪い感覚だけに支配され、二度と自由で幸福感を得られることはなくなっていきます。

自殺者が年間3万人を超えてしまうその原因も、精神的な病みがほとんどです。
それぐらい追いつめられていってしまいます。
それは苦しむためだけに生きているようなものです。
自殺まで行かなくても、生き地獄を味わうことしかできないまま生きざるを得ない人が多くいます。

一方で、愛情をたくさん受けて育った子供は、何か実態のない自信に包まれて、不安をあまり感じず生きることができます。
その感覚は、何も子供時代、思春期時代だけで決定づけられるわけではありません。
大の大人になっても、それまでの感覚をリセットしたり、上書きできたり、組み替えることができるのです。

そこで絶対的な超越した、第六感、いや第七感を味わったのならば、それまでの悪い体感もリセットできるようになるわけです。
人には、理性や理屈では決して解決できない手強い問題があります。

そして、逆にますます状況を悪化させてしまうことを、思い知っている人もいるでしょう。
私もそんなことの繰り返しだったので、いかに私たち人間が素晴らしいと思っている知恵など、人生の大きな問題の前では無力であることをわかっているつもりです。

しかし、第六感を伴った時の直感は、すべてを飛び越えてくれます。
生きる上での悩み解決もアイデンティティも真理も悟りも。

そして、そこで得た真理は決して自分自身の懐疑心でも人から否定されようとも、打ち壊されることはありません。
そんな脆いものではありません。
その真理が自分の中で積み重なっていくと、絶対的な強さを獲得できます。

私が超瞑想状態の凄さを何度も述べるのも、ただ体感がすごいからではなく、限界のない世界がそこを出発点として始まるからです。

ただの体感ならば麻薬でもやればいいのです。
しかし、それでは悟りは開けません。
ただのジャンキーです。
一時的な逃避と快楽の果てには、最悪の闇と苦しみが襲ってきます。

しかも、薬物の類(医師の処方する薬や危険ドラッグ、麻薬)は、身体慣れていってしまい、同じ効果を出すには量を増やすしかありません。
それは依存と廃人をもたらします。


自分の中の真理をつかんだものは、どんなに大金を出しても獲られない宝物になるでしょう。
私はいま、その消失しない宝物を心の中に抱えて生きています。
超越的な、覚醒した脳の状態のすごさを味わった人だけが見られる絶景を、私はいま見ています。

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