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考え事#40 フレームと自由①自由の概念

反転授業を用いた個別最適な学びを実践していた時の話。いわゆる、単元内自由進度学習というやり方に乗り出して驚いたことがある。せっかく自由に自分の学びを設計できる環境を準備したにも関わらず、自由に抵抗を感じる生徒が少なく無いように見えたことだ。

今日は、この経験から自由というものについて論じてみたいと思う。

隣の芝は青く、隣の文化は自由だ

現代日本において、不自由に感じるものはなんだろうか。きっと地域によって異なるのではないかと思う。自由と不自由は不思議なことに、いつだってトレードオフの関係にあるのではなかろうか。

日本の〇〇みたいなところは海外みたいに自由にした方が良いよね。

という意見がある一方で、日本には言論の自由があって、〇〇の国よりは良いよね。

みたいな意見も存在する。
人類が自由というものについていつから考え始めたのかは厳密にはわからないが、自由に関する歴史をchatGPTに尋ねてみた。

自由の歴史

僕:自由という概念の歴史を教えて。
GPT

自由の概念の歴史は、非常に広範で複雑なトピックです。古代から現代に至るまで、自由の理解は文化、政治、社会的文脈によって異なってきました。

1. **古代文明**: 自由は古代ギリシャやローマで市民権と密接に関連していました。ギリシャでは、自由は市民集会での発言権や投票権として具現化され、ローマでは法の下での平等を意味していました。

2. **中世**: ヨーロッパの中世では、自由はしばしば封建制度の文脈で語られました。農奴や奴隷と対照的に、自由民とは土地に縛られず、自分自身の労働の成果を享受できる人々を指しました。

3. **啓蒙時代**: 17世紀から18世紀にかけての啓蒙時代には、自由は個人の権利と理性の重要性と結びついていました。ジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーなどの思想家は、自由を自然権として、また社会契約の一部として説明しました。

4. **近代**: 19世紀の産業革命と民主主義の拡大は、経済的自由や個人の権利の概念を強化しました。自由は経済的自立、表現の自由、政治的参加の権利など、多様な形で理解されるようになりました。

5. **現代**: 現代においては、自由は多様性、包摂性、そしてグローバルな人権としての側面を持ちます。個人の自由はグローバル化、デジタル時代の課題、そして文化的多様性の中で新たな形をとっています。

これは非常に要約された説明ですが、自由の概念は時代と共に進化し、文化や社会の変化に応じてその意味を変えてきました。

GPT4のご回答

少なくとも古代ギリシャとか古代ローマで既に自由というものが論じられていたということらしい。この辺は過去に俄かに学んだ内容とも合致しているので、これがある程度正しいものとして論を進める。

各時代の記述をみても、自由という概念が"相対的"な概念であることがそれなりに認められそうだ。

自由になると自由が観測できなくなる問題

さて、現代日本に生きる僕らは先人達の努力によって生まれながらにして過去にはあり得なかった自由を手に入れている。

職業選択の自由
言論の自由
経済活動の自由

これらを僕らは普段本当に認識できているだろうか?
案外、怪しいのではなかろうか?

自由とは、皮肉なことに、抑圧されて初めて認知できる類の概念ではないか?

少し長くなりそうなので、続きは次回から数回に分けて書こうと思う。


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