見出し画像

占いの経歴: 前半

最初に占いに出会ったのは19歳(2000年)の時である。最初はタロット占いであった。あと北欧神話が好きであったのでルーン占いもしていた。

俺は高専に通っていて、男ばかりで恋愛に縁が薄かった。なんとかして女子を引きつけるにはどうしたら良いかと思って、思いついたのは占いをすることであった。ブックオフでタロットの本を見たのがきっかけであった。

最初に出会った本は以下の二つであった。

・タロット占い カードが語るあなたの未来 / ウィル 著
・幸せをつかむタロット占い/天野喜孝著

いずれの本も付属のタロットカードが付いていたので、それを使って友達を占っていた。最初のうちはぎこちなかったし、結局自分で何を言いたいのかわからなくなっていた。その場しのぎの言葉を使って切り抜けたこともあった。最初に女子を占うのは怖かったので、男子を相手にしていた。

しかし本だけでは限界があった。上達するにはどうすれば良いかわからなかった。そこでインターネットの掲示板を使って、占い師や占い愛好家と交流を始めた。高専では図書館や研究室に自由にネットを使える環境があったので敷居は高くなかった。

高専生が集まるコミュニティーがきっかけで、自分でホームページ「女教皇の聖壇」を立ち上げた。どんな内容を書くかは決まっていた。もちろんタロット占いであった。そこでタロットの意味を自分なりに書いてみたり、占い講座を自分なりに作った。

「女教皇の聖壇」の影響は非常に大きく、今まで知らなかったことを知れたし、占いのヒントになることもたくさん得た。占い師との交流もあり、様々なことがあったが楽しかった。

高専の文化祭で占い喫茶を開いた。学校中に俺が占いをしていることが知れ渡り、学校中の女子を占いまくった。俺はものすごく喜んだが、恋愛には全く結びつかなかった。ショックだった言葉は「ブラギさんって先生みたいだわ。良い相談役ね。」だった。

21歳の時に環境系の大学3年に編入学した。ここで占いが下火になり、かわりに神話に興味を持ち、とくに北欧神話は大好きだった。神話のオフ会にも頻繁に参加していた。あと色彩学にもハマり、ホームページ「女教皇の聖壇」でも取り上げた。色彩検定およびカラーコーディネーター検定試験の1級も一発で合格した。

26歳のとき環境系の大学院修士を中退して、28歳の時に物理化学系の大学院修士に入り直し、卒業した。この時はボードゲームにハマっていた。大学のゲームサークルにも通いまくっていた。あとボードゲームも集めていた。(100個以上はあった)

大学院博士に入学したけど、精神疾患で休学して地元に戻った。32歳の時であった。(結局大学院博士は退学した。)

職場の同僚がきっかけで易占いを知った。悩みがあったんで自分で密かに占ってみた。職場で舐め腐っていた後輩がいて、どうしたら良いか悩んでいた。実際に占ったら「雷水解」が出た。雷水解はあっさりと解かれる意味であるが、しばらくしたら周りの女性社員に後輩が目をつけられて、すっかり大人しくなった。それどころかしばらくしたら退職しまった。かなり印象に残ったエピソードで、今でも「雷水解」だけは忘れていない。

36歳の時に家庭教師の生徒さんを占ったことがきっかけで、タロットカードを触るようになった。久しぶりにタロットに触った。しかし39歳の時にさらに占いに踏み込むとは、この時は夢にも思っていなかった。

後半へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?