3題用

3題話 4 トマト・婿・満月

 よく冷えたトマトジュース、よく冷えたビールを1対1の割合で混ぜる。
 レッドアイというカクテルになる。
「レッドアイって、トマトジュースだったんですね。あ、おいしいかも」
 ちょくちょく店に通うようになってくれた栞ちゃんが、1口飲んで、そう言った。先輩バーテンダーである伊藤さんの大学時代の後輩だということだった。
「でも、びっくりしました。伊藤先輩が、本当にバーテンダーになっていたなんて、学生の頃から、急にアメリカに行ったりして、行動力あるなぁって思っていたんです。同じ女として、尊敬します」
「バーテンドレス、もしくはバーメイドって呼び方もありますよ」
「バーメイド! う~ん、でも先輩って呼んじゃいそう」
「そこまで気にしないでもバーテンダーで大丈夫よ」
 二人が笑った。
 常連が1人増えるのだろうと思っていた矢先に、思いがけない言葉が、栞ちゃんの口から出てきた。
「私、笹山さんのことが、好きです」
 いきなりのことに有耶無耶な返事しかできず、保留にしかできなかった。
数日が経ち、栞ちゃんが店にやってきた。伊藤先輩は、それとなく目配せをしてくる。
 無言で座る栞ちゃんに、俺の方から声をかけた。
「試作品のカクテルがあるんだ。味見してもらえる?」
 栞ちゃんの前に、渾身の1杯を置いた。
「綺麗」
 1口飲んでみて、気に入ってくれた様子だった。
「トマトとか、ケチャップとかが好きって言っていたからね。飲みやすいとは思う」
「これ、名前はあるんですか?」
「トリトマ。花の名前でね。凄い特徴的な形をしているんだよ、検索してみたらわかるよ」
栞ちゃんが、トリトマを検索し、特徴的な姿に感嘆の声を上げた後で、ガス切れのライターのように押し黙る。
「最低!」
 伊藤先輩がスマホで検索し、全ての意味を知った。ため息をついて、言った。
「だからお前は、万年2位で終わるんだよ天下とるまでは彼女とかいらないって? 格好つけるのも大概にしろよ。男だろう? 全部飲みこんで進むくらいの気概を見せろよ」
 その言葉に、俺の中で何かが爆発し、その勢いのままでぶちまける。
「あんたが、それを言うのか! 女であろうと、結婚しなかろうと、カクテルの世界を極めると息巻いているあんたが! 俺は1度でもあんたを否定したか? 世間ってのは勝手に多数派にカウントしやがるって苛立っていたのはあんたじゃないか! そいつらと同じように、俺のことも多数派にカウントしやがって! ふざけるな!」
 伊藤先輩は、押し黙ったままだった。
「ごめん」
 ひと言呟いて、店から出て行った。見送る余裕もなく、カウンターに拳を叩きつけた。
 オーナーから、伊藤先輩が店を辞めたと聞いたのは、それから三日後のことで、実家へ帰るという理由は、後付けにしか思えなかった。
 1ヶ月が経ち、1年が経ち、伊藤先輩の噂を聞いたのは、3年ほどの月日が過ぎていて、オーナーが案内状を見せてくれたからだった。
 バーの名前は【フルムーン】というらしく、先輩らしくない、ありきたりな名前だと思った。
「お前が、花やら持って行ってやれ」
 オーナーは、簡単に言ってくれるが、正直気が重かった。
 それでも、あのままで終わりにしたくないと、休みの日に、【フルムーン】へと向かう。ドアを開け、元いた店と同じような内装と選曲に、気まずさよりも驚きを覚えた。
 顔を上げた伊藤先輩と、目が合う。なんと声をかけていいか分からなくなり、当り障りのない話しか出てこなかった。
「この店、絶対オーナーの趣味ですよね?」
「そう、5店舗目。オーナーとは連絡をとっていたから」
「時代のバーってコンセプトで5店舗出せるんだから、やり手ですよね。この洞穴みたいな感じの店で」
「婿養子って大変そうなイメージしかないのにね」
 会話がそこで途絶え、気まずい空気が流れる。
「ギムレットを……」
「ギムレットなんか……」
 互いに言葉が重なり、押し黙る。俺は、改めてギムレットを注文した。
「ギムレットには早すぎるってことで、良いんじゃないですかね?」
「またそういうことを、次も2位になるよ?」
「残念。優勝しました」
「え? 嘘でしょう?」
「本当です」
「あ~ぁ、これからは追いかける側か」
 お互いに、少しだけうまく笑えたような気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?