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おじちゃんとしょーご

おれには、小学一年生の息子がいます。 兄ちゃんは、甥っ子のしょーごを大切に愛してくれました。 この話はしょーごがこれから大人になっておじちゃんが、どんな事を話してくれてたかを知るために残しておきたいと思います。 しょーごが生まれてから、おれもママもおばあちゃんもおじちゃんもよく集まる様になった。 週末はみんなでランチして夕方まで、おじちゃんの家で遊んで、お泊まりができる様になってからはよく、おじちゃん家行きたいって、言ってたで。 おじちゃんもおばあちゃんと仕事のスケジュー

    • 兄ちゃんと聴いた曲

      兄ちゃんとオカンの家から、阪大まで約1時間くらい 中央環状線をずっと北に真っ直ぐいくだけの道。 兄ちゃんと二人だけで病院に行く日は数回あって、決まって聞く音楽があった。 ブランキージェットシティとイースタンユースと ザ ブルーハーブ 兄ちゃんはブランキージェットシティが特に好きで、おれが中学生の時にバンドで胸が壊れそうという曲を練習していた時に兄ちゃんがそれを聞いてハマりそれから全アルバムを持っていたし、部屋にはレコードやポスターも貼っていた。 ゲームのアカウントIDはい

      • 兄ちゃんの涙

        阪大病院に行く事になった兄ちゃん、この時点でもおそらく悪性リンパ腫 という状態で検査をして、その結果を聞いての繰り返しの期間が続いた。 おれが初めて担当の先生から兄ちゃんの病気の話を聞いた時の話。 まだどの型なのか、わからないが治療方法や、いろいろな薬の話や、骨髄移植の話など聞いた。 話を聞いている時は、なるほどこうやったら治せるのか、とか悪性リンパ腫を寛解した人の話しか入ってこなかったし、どれくらいの期間で治るのか、仕事はまた戻れるのかそんな事しか考えてなかったです。 診察

        • 兄ちゃんの病気

          町の小さな皮膚科の病院で、悪性リンパ腫の可能性を指摘されて、オカンと兄ちゃんは説明するために俺のとこにやってきました。 二人から話を聞いても、悪性リンパ腫をネットで調べても、骨髄移植とか、今まで、自分の世界には関係なかった言葉しか出てこず理解しようにも頭がついていかなかった。 でも、適切な治療を受けたらまた、元通りになる。 期間はわからないけどまた、そんな事もあったなと笑い話になる。だから俺は強気に明るく、今まで通り兄ちゃんと笑いながら一緒に病気と闘う事に決めた。 皮膚科

        おじちゃんとしょーご

          兄ちゃん、また遊ぼうな。

          2021年 5月2日 兄ちゃんが死んだ。 半年が過ぎて、時間が経てば経つほどに悲しみと喪失感が湧いてきます。 それでも、時間は過ぎて行くし、兄ちゃんとの思い出や、病気がわかってから兄ちゃんと家族の闘病の日々を忘れないために、このノートに残します。 そして、このノートは、兄ちゃんが本当に大事にしてくれた俺の息子が、大人になった時に読んでくれて、どれだけ愛されてたか、気にかけてくれたかを伝えたいと思います。 こうやって文字に起こしてみると、兄ちゃんに手紙を書いてるみたいで繋が

          兄ちゃん、また遊ぼうな。