【海を渡ったチャレンジの理由とは】

 お久しぶりです!ツカサです!1月6日にブラジルに着いて心身ともに落ち着いたので投稿しますよ😁時差ボケ半端ない笑
 今まで投稿出来なかったのは、ホテルのWi-Fi環境が悪すぎたのと、こっちのSIMカードを3日前に買ったんですが、正常に作動しなかったの2つ。。。因みにブラジルでは、地域によって電波の繋がりが強い会社と弱い会社があるみたい笑
 それで、正常に使えなかったのには、理由があって、Wi-Fi環境下でネットワークを使う場合はSIMカードにお金をチャージして(要は日本のSuica・PASMOでチャージはコンビニ、スーパー等で可能)+α SMSに送られてくるメッセージに「turbo」の文字を送信してプランを決めないのを知らず、ずっと外でインターネット繋げられなくて非常にストレスフルでした笑

 さて、ここからが本題。余談長すぎやろ笑

 皆さんに質問。日本以外で日本人の遺伝子たちが今もなお、受け継がれてる最大の日系社会はどこの国にあると思いますか…?
そう、それが🇧🇷なんです!ブラジルでは、現在推定200万人の日系人がいて、その多くが医者や政治家として、活躍されてるみたい。サンパウロのパウリスタアヴェニーダでは、私と同じ顔の日系ブラジル人を沢山見かけるので歩いていても日本人は、特別目立ちませんよ!

 
 2つ目の質問👍日本人の移住は、戦前から行われたのですが、何故移住をしなければならなかったのか?しかも日本の裏側に…

 答えは、職業が無かったから。。。この時代は、長男が家業を継ぐためそれ以外の兄弟には職が無かった。政府はそれを踏まえ移住事業を破格の条件で提示して、促進させたのです。しかも、ブラジルでは、1888年世界で最も遅い奴隷解放宣言が出され働き手を探していた。🇯🇵の職業獲得と🇧🇷の労働者獲得
のWin-Winの関係から移住事業がスムーズに進められたのだと推測します。しかし、そんな甘い蜜な訳はなく、奴隷解放により人手が居なくなったところの穴埋め感覚でブラジル政権は、政策を打っているため日本人の多くはかなり酷い仕打ちを受けたと書籍で記載されていました。
それでも、勤勉な日本人は、真面目に仕事をして少しずつ信頼を勝ち取ったと言われています。今のブラジルでの日系社会の信頼は、移住者である彼らの功績無くしては成り立たなかったのです。

と今日はここまでです😁今回は調べれば詳細に分かることばかりで申し訳ないのですが、次回は【日本政府による日系社会への支援】と自分がどの支援の一端を担っているのかについてをブラジルの今も付け加えてup予定です!
Instagramでは写真、動画も加えてupしてますので見てみてくださいね!

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