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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』に関して。

ポスト夏と言ってもさしつかえないほどエンドレスに暑かった季節が一転、10月に入ると寒路が進み肌寒さを感じるようになった。前週に真夏日を観測した東京から帰ってきた自分が、うらぶれた地元唯一の文化的娯楽であるシネコン通いの中で注目していた作品、それが『シビル・ウォー アメリカ最後の日』だ。

全米興行でも2週連続No.1と公開直後からこれ以上ない実績をひっさげてきた本作を、運良く公開3日目で鑑賞できたので、直後の所見を残したい。
ここに読みに来ていただいた方々にあらすじは必要ないかと思うが、念のためかるく置いておこう。

2024公開のアメリカ合衆国・イギリスのスリラー映画。19の州が合衆国から離脱しテキサス州とカリフォルニア州からなる「西部勢力」と連邦による内戦が勃発した近未来の米国を舞台に、ニューヨークから首都ワシントンD.C.へと向かう4人のジャーナリストを描く〈wikipedia参照〉

洗練されたビジュアルと主要キャラであるキルスティン・ダンストのエイジングもナイスだ。そして彼女に師事するのが、いにしえのNikonユーザーである23歳の見習いカメラマンであるジェシー(ヒロイン)、個人的にNikonユーザーである自分としては掴みはOKだった。ここに古い友人である男2人を加えた4人でD.Cを目指すというのがメインストーリー。

いまや天下のA24の映画ということもあり、どんなトビっぷりをかましてくるかという期待感で臨んだ。

もったいつけずに私見を述べたい。これは端的に「お綺麗な映画」だ。以下ざっくりとネタバレしていくので、(というか言うまでもないんだけど)そこらへん覚悟の上読んでほしい。気になったところ(中盤以降)のみ抜粋につき、短いレビューとはなってます。

ということでいきなりいくぜ…
もうほんと、いろいろ省きます。見た人なら分かる。
物語のヤマ場、赤サングラスの詰問シーン。

こいつだけキャプテンアメリカの宇宙から来た説

主人公勢を食ってしまういきおいを持った、本作屈指の存在感を誇るキャラだ。アメリカ人以外は殺す、アメリカ人でもぬるいのは殺す、そんなヤバさを放射する国粋主義者ガチヤンキー
ここでまず首をかしげたくなった。
人の心が脱落した猿のような男とその一派が、ジェシーを逃さないわけがない。手にしていたサブマシンガンの弾が尽きようが奴らの下の弾薬庫は常にリロード可能であり、23歳のジーパンルックの尻などエンカウントしようものなら食べ頃の桃としか見なさないはずだ。死体の山にも女性がいたが、目立った衣服の乱れはないのにも白々しさを感じた。いささか過激な表現をしたが、戦争とはそれほど悲惨な側面をはらんでいる。そこを無理に描くことははばかられても、一種暴力の理不尽さをあおるようなシーンは差し込まないほうが不自然と感じた。例えば、あえなくジーンズをずりおろされ、すんでのところで救出、くらいの描写はあったほうがそれこそA24らしかったのではないだろうか。(決して筆者が期待していたわけではないことを強調しておく)

加えて、サミーの死である。

この100人中95人は予期していた、圧倒的待ってました感のある栄誉の死。そして、彼の亡骸を写真に収めたジェシーが、その画像を
Delete(消去)するか、cancel (取り消し)するか
のシーンが訪れる。
ここがシビル・ウォーの評価を二分する分岐点と感じた。
血塗れになった旧知の友の最期を記録から削除するのは心情的にはうなずけるものの、死地に臨むジャーナリストであり百戦錬磨のカメラマンが、この「撮れ高」を消すとはどういう了見だ。物語中盤でブレや露出ミスの目立つジェシーに「写真としてモノになるのは30枚に1枚。でも目を逸らしちゃだめ(うろ覚え)」といった類いのセリフを残していたが、サミーの死体は残り29枚の価値しかなかったのだろうか? 戦場で数々の、血の通った人間の命が終いえる瞬間を、かつて人間だったモノを激写してきたリーが、なぜ仲間内というだけの理由で、そして彼らの命を救ったMVPの死体を特別扱いするのだ。それを”人間の矛盾や汚さ”(もっと使い勝手の良い倫理観という言葉がある)と捉えるにはリーという人物の書き込みが足りない気がした。誌面に載せられないとかの問題ではなく、彼女は、サミーの死体を写真に撮ったのだ。

覚悟とは捨てることである。清貧の思想をぬぐいきれず、なかば自らの職務を放棄したことで、彼女はカメラマンとして、そしてジャーナリストとして死を迎えた。そこにはリー本人が包摂されている。

因果は巡り、ラストはそのリーが最大のシャッターチャンスを狙うジェシーをかばい撃たれて絶命するわけだが、タルいシーンだった。お好み焼きでも食いに来たのかってくらいの黒い布切れ1枚羽織ってるだけの軽装備でラストダンジョンである大統領邸?に突入してるのも、鼻白らむばかりだ。

てか『MaXXXine』早く見せろよ、とエンドロールに入る前に思った次第である。

すべてがお綺麗な流れだった。

近年、われわれは現実社会の出来事とは思えない地獄絵図を、筆舌につくしがたい戦争の一端をインターネットを通して見てきた。世界のボス的存在であるアメリカが分断され、戦地と化したら、果たしてあのような奇妙な光景が点在しつつ死と隣り合わせていどの規模で済むのだろうか。戦争の本質を活写するためのものだったはずのヤマ場にパンチが足りなかったところから本記事は書き起こされている。

散々言ったように聞こえるでしょうが、お話全体としてはクオリティの高い作品だったのは確かです。

ものは見方で、過去にない猛暑と形容された今夏も、そもそも9月一杯は毎年ふつうに暑いのが通例であり、今年だけが異常とうそぶくのが土台違うのかもしれない。それと同様に、このシビル・ウォーも絶賛ないし深く関心を寄せる層がマジョリティで、俺のように冷めた目線で難癖をつけにかかる人間が騒ぐほうが無理筋で幼稚なのかもしれない。

これを読んだ奇特な読者がどう思うか、それは自分があずかり知るところではない。結局は、人が何を言ってるかより自分がどう感じたかが大事だからだ。


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