未亡人日記39●すっぽんスープを買いに
新年というのは普通、希望にあふれているものなんだけれど、何の希望にもあふれていない、そんな新年もある。
年末年始は家にいたのだけれど、年明けにまた入院してしまった夫からメッセージが来た。
「すっぽんスープを飲んでみたいんだけど」
その時私の頭に浮かんだのは、なぜか、叶姉妹。
「まむしドリンク」「まむしの血」という単語も同時に浮かんできた。
もちろん「なんで?」と夫に問うたけれど、「うん、なんかよさそうだから」という。(また、ネットで何か読んだんだろうな)
疲労回復?精力増強?
「亭主の好きな赤烏帽子」という、いろはかるたの句も頭に浮かんで、人生で初めて、すっぽんスープを買いに行くというお遣いに出た。
1月の寒い夕暮れ時、ターミナル駅のすごく広い歩道橋を経由し、割とごちゃごちゃしている高速道路下の景観から、東に目を移すと見える、大きな通り沿いに店があった。
入院している夫に頼まれて、すっぽんスープを求めて知らない街をさまよう私。
なんだかうら悲しい自己イメージに支配されつつ、しょぼしょぼした足取りで店の前までくると、店が暗い。
休み? と憮然としながらよく見ると、うす暗い電気が店の中にだけついている。外側の看板はネオンだったり光っていたりはしないので、閉まっていると錯覚しただけだった。
迎えてくれたのはワイシャツの上にセーターをきちんと着こなした、下町の上品な老舗にいるタイプの店主。
「いやー、警察がうるさくてね、看板は外に出しちゃいけないというので」
すっぽんスープは缶入りだった。ふつうの、なにかの成分を増強しているの、そしてすっぽんの肉入りの3種類。
夫は、肉はいらないんじゃないか?(それに高いし)と勝手に判断して最初の2つを購入した。
そしたら奥からもう一人おじさんが出てきて会計をしてくれた。おじさんは気持ちよいスキンヘッドで、私は急にすっぽんの店に来たらしい気持ちになった。
しかし会計を待っている間、またもやかなしい自己イメージが戻ってきて
「このおばさん(わたしのこと)は、なんですっぽんスープを買いに来たのかな?」
とおじさん2人に思われてるかしら? と、自意識過剰になったので自己申告。
「お見舞いに差し上げるんです」
おじさんたちは、とくに何も返事せず、私は「ランチもやっているんですね」などと、どうでもいいことを言いながら店を出た。
すっかり暗くなっていた。
夫の病院まで戻った。
夫、食堂の電子レンジにてすっぽんスープを温めて飲む。
「うーん。こんなもんかな? なんか生姜の味が強くて、すっぽんかどうかわかんないんだけど」
私も飲んでみた。確かに、すっぽんなのかどうかわからない。人生ですっぽんを食べたことやスープを飲んだことがあったろうか? 仕事で訪れた店であったかもしれないけれど。
でも飲むと体がちょっと温かくなる感じはした。
夫の願いを聞いてお遣いを果たしたし、これでいいのだ、と思った。
そのすっぽんスープを飲んだ感想の後、当時の私はブログ日記でこう書いている。
「これからも人生初のものにチャレンジしていく所存です。みなさまよろしくお願いします」
夫はそのあと、ひと月も生きなかったんだな。
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