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人生は小説より奇成りというが、、、

毒母の呪縛に 取り憑かれた子供の頃。 私には10歳年上の兄がいる。 その兄は 私が生まれて 少しした頃から 悪い友達が増え 当時 愚連隊とかいうものに入っていたようである。なので 私は兄と育った記憶がない。初めて会ったのは小学生半ばで ある。 母は自由に育てた兄は 半端なく 悪の道へと進んだ為、私に対しての二度と 子育てに失敗しないように と思ったのであろう、 恐ろしいまでの 子供への執着、捻れた愛情となり そして それは束縛と繋がり、とにかく 自分のそばから 子供が離れないよう 持っているもの鉛筆1本に至るまで 管理し 自由を 奪って 育てた。 幼ながらに 自由がないことに気づく。 虐待など そんな言葉がなかった時代である。子育ては親の責任という そんな時代だった。自宅が全焼し そして、父の 社宅 へ移る。 幼稚園児の時、私はすでに ひとりぼっちで そして自由になりたい 友達と遊びたい そして 行き着くところは 死んでしまいたい 。そんなことを思うようになった。
小学生の頃は 時間割 など 徹底的に見て 持ち物も徹底的に 管理し、そして 帰る時間になると校門の前に待っているのである。 大阪では 夏になるとやぐらを組んで盆踊りがある。 屋台が立ち並び 浴衣を着て 子供たちや親たちが ひと時 暑い夏を楽しく過ごそうと 賑やかになる。 ある日 一緒に盆踊り 見に行かない 」と誘われた。 母にそれを言うと 話を聞くまでもなく 却下されたのであった。 それを聞いていた 父は 自分が立ち飲み屋に行くから 私を連れて行く という。 それは父の愛情の 証だった。 父は 私にこう言った 「その約束した友達と遊んでおいで そして8時までにはここに戻ってくるんだよ」 と。 私はオドオドしながら、もし これが見つかったら母にどんな目に遭わされるかわからない。 と思ったが お祭りに友達と一緒に遊びに行けるという気持ちが 私の心は勝った。 その夜は 何事もなく 父は 立ち飲み屋で飲んで 待ち合わせたところで合流し一緒に帰った思い出が一度だけ ある。とにかく母は気の強い女で 癇癪持ちのようなところがあった。何につけ 言うことを聞かなかったり気に入らな い事があれば、 叩くのではなく 私の顔を思いっきり 捻った。 ツネタ後の爪痕は 結構年頃になるまで 残った。 私が小6になった頃 お姉さんが 美容院で働いているという同級生と仲良くなった。 そして そのお宅へ お邪魔した時 、そのお姉さんが 「私が眉毛を 整えてあげる」と言って 綺麗な形に 仕上げてくれた。 そして 時間通りに家に 帰った私は 何より先に母に 「お友達のお姉さんが 美容院に勤めていて 眉毛を整えてもらったんだ」と 嬉しげに話した途端、 母の顔色が 突然 変わったのが分かった。 そして 鏡台へ向かった母は カミソリを手にし「親にもらった 眉毛が それほど いらないなら 取ってしま え‼️」と言い 私を床に押し付け カミソリを手に持ち 馬乗りになり 「動くと顔が 切れるよ!」といい 私の眉を剃り落としたのであった。 泣き叫んだところで無くなった眉毛 はどうにもならない。 それよりか 明日からどうやって学校へ行こう、、、 私は 子供なりに絶望したのを覚えている。 なので 小さい頃から 小学校中学校に至るまで 私には笑った写真がない。

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