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「怒る」ことがなくなって大人を感じた話。|書く習8日目

テーマ通り、最近怒ったことを考えてみた。
が、イマイチ思い浮かばない。
あったといえばあったけど、なんか「怒った」か?と言われるとちょっと違う気がする。
反対に、子供の頃はもうちょっと「怒って」いた気がするのに。

社会人になってから、腹が立ったりイライラする事は、とても増えた。
多種多様な人間が社会にはいるんだなぁと実感すると共に、大人って全然大人じゃないな!と(自分を含め)思う事ばかりである。

しかし、その感情を相手にぶつけて「怒った」事はほぼほぼ無い。
立場上、腹が立つことはあっても実際に怒る、という事ができない事がほとんどで、ましてや相手がお客様だったりすると、「怒る」どころか笑顔で懇切丁寧に対応をしなければならない。ニコニコ相手をしているように見えていても、頭の中では罵詈雑言の嵐である。

これを書きながら、今ちょっと思ったのは、「私、今怒ってます!」と顔や態度に出している人を見ると、大人じゃないなぁと思うし、嫌だなぁと感じる、という事だ。

どこが嫌なのかというと、こちらがお伺いを立てて機嫌を取らないといけないような雰囲気にしてくる所が嫌だし、あとは他人のそういうみっともない所を見ると、なんでこっちばっかり我慢しないといけないんだ、という気持ちにもなってくる。

社会にはいろいろな人がいる、ということを前提に、その中で円滑にコミュニケーションを取る為にも負の感情を出さないでいられる事が、大人にはある程度求められるのではないかと私は思う。

しかし、この頭の中で暴れている罵詈雑言の嵐を、「怒り」のパワーを、侮ってはいけない。これを自分の中で放っておくどんどん「怒り」が熟成されていって、手に負えなくなってしまう。

なので、時々友達に愚痴ったりしてこの有り余る負のパワーを逃がしてあげたりもするのだけど、やっぱり皆んな毎日大変なわけで、愚痴るのにも申し訳なく思ってしまったり、そもそも愚痴の内容を説明するのにこちらが疲れてしまう事もある。

そういう時にやっぱり書き出してみるってことが大事なんだな、と痛感することがある。とにかく、感情を書き出してみたり、時には軽く脚色なんか加えて面白可笑しくエッセイ風にしてしまうのも良い。なんか面白く書けたやん?と満足感さえ得られる事もある。

話があちこちいってしまったけど、人の怒りのパワーって凄いし、その扱い方で結構人間性が出たりしそうだよねっていう話でした。
うまく「怒り」と付き合っていけたらいいな〜

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