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友達の紹介と考察

7月第1週の週末、私は親友の教員採用試験に付き添うために神奈川へ来ていた。今は試験の真っ最中で、私はカフェでコーヒーを飲みながら無事にことが終わるのを待っている。いささか冷房がきつい店内で読みかけの本を半分まで読み、窓の外に目をやると高齢の女性が短冊が結ばれた笹の葉を持ち、またもや高齢の男女と街宣運動を行っていた。外は32℃、3歩歩けば体に湿気がまとわりつく。
親友とは高校からの付き合いで、早いもので7年が経つ。彼女は友達が多い、詳しくは気の置ける仲間をしっかりと携えている。穏やかで楽しく日々を過ごしている。体調が揺れることもあるがそれは私も同じことだ。私のくだらない場繋ぎの話をうまく聞いて、うまく流してくれる。私は会話において周波数を合わせる必要がない。彼女は合わせているかもしれない…申し訳ない。
彼女が小学校教諭になるための勉強をすると聞いた時は、毎週課題の答えの写真を送り合っていた関係上少し意外だったが、子供好きであったため確かに彼女のような小学校の先生がいてもいいなーとすぐ腑に落ちた。そういえば私は彼女が怒っているところを見たことがない。よく世の中の不条理にイラついてる私に「まあしょうがないんじゃない」と怒りの終わりの目処をつけてくれる(終わらないこともあるが)。人や事象への興味や期待値がそれほど高くないのだろうか、彼女の穏やかさはそこから来ているのだと考えている。
私は友人関係において永遠の別れは死別以外存在せずに、欲するタイミングに波があるだけだと思っている。時代ごとに話が噛み合わないことも自然なことだ。しかし彼女だけはできるだけ長く同じ温度のお湯に浸かるように話をしたいと思う。
いま試験が終わったと連絡が来たので、迎えに行く。

直前まで村上春樹を読んでいたので文章が”いささか”不気味だ。

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