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きっかけ


まず、前回の「自己紹介」

noteを始めてみましたが、とても不思議な感覚です。
これまで、Twitterにしろ、Instagramにしろ、実際に会ったことのある人からしか反応をもらったことがなかったので。


では、今日の本題へ。
自己紹介から引き続き、最近よく考えることでもある、話題について。
きっかけ、動機、、なんでもいいけれど何か始めるときの引き金になったもの。


何かを始めるきっかけは、そこらへんに転がっているなと思うし、そう思いたい。そうでないと、いつまでも踏み出すことはできなさそうだから。
始めたいけれど、、と言うときから言い訳探しが始まる。やるための理由は見て見ぬ振り。それが嫌だと思っていても、現状が変わることへの不安と、挑戦した先で起こることへの不安から動き出せなくなる。

こんなことは、みんなが思っていることであろうけれど、動き出せる人はやはりいて、素直にすごいと思う。
自分自身、些細なことに意識を持っていけるように、かつ現状維持で満足しないようにしたい。このnoteもその考えから始めたといってもいい。

noteのみならず、その他SNSは活動していないも同然。投稿しても、やれ「#春から〇〇」、「同じ授業の人いませんか」などとしか活動してこなかった。そんな人間がなぜnoteを始めたのか。

いろいろ要因はあるが、自分が「ただの、何もしない大学生」で終わりたくないという、正直恥ずかしい理由から始めたというのが一番しっくりくるかもしれない。

目立ちたがりだけれど、失敗して恥ずかしい思いをしたくなかったり、人からマイナスな感情を向けられるのが嫌だったりするので、これまでは得意なこと=体育の授業か部活で主に自己表現してきた。運動が得意だからできる、小・中くらいまでの期間限定ボーナスタイム、、(と考えている)
高校、大学と現実をみて、小・中の頃からうすうす感づいていた、「自分はそれなりにしかできない人間だ」という考えをどうにかして変えたいと、noteに手を出してみたのかも。

あとは、父が記録用にblogを作っていたと知ったからというのも、要因の1つ。子どもが生まれてからつけ始めたと言っていた。少しだけ見たけれど、自分が酔っ払って転んだ時に縫った傷口の写真とそのエピソードを一言、その程度のもの。それくらいの方が当時を強く思い出せたりもしそうだと感じた。

中学・高校と部活で練習ノートをつけることが義務化されていたので、ある程度は記録してきた。しかし、人の目がなくなるとできなくなった。
完璧にやろうとして三日坊主にさえならなかったので、人の監視付き?ということで、躊躇しつつnoteを始めた、とこのような形。

それでも不思議なもので、4月のあたまには始めようと思っていた。新年度のきりが良いときに始めたかった。

言うが易し、行うが難し
Easier said than done.

アカウントはその時に作って、放置。得意の、やらないための理由探しを経て、深夜テンションで記事を下書き、翌日の朝、それなりの時間に投稿。となりました。


たらたら書くと長めになる。
本当は、脱線したい話がどんどん出てくるけれど、それを上手くまとめる力もつけたいものです。


自己紹介じみた記事はやめて、日々感じたこと、気になることを書いていく!と心に決めつつ、書きたくなったら、自分のことについて、随時書いていきます。

それでは。

(2021/4/22の空)



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