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智慧と慈悲の一年に

仏教では、蝋燭は知恵を、お花は慈悲を表していると説かれます。

蠟燭の明かりは、暗闇の中で悩み苦しむ私たちの灯として、花の美しさは私たちの心に優しさを運んできてくれます。

と、こう言っていても、そのことを私は日常生活の中でどのくらい意識しているでしょうか。

お参り、またこうやって文字に、声に起こしている、それ以外の場所で、知恵や慈悲をもって人と接していると自信をもって言うことは出来ません。

私が日常生活の中で使う言葉、とる態度に、慈悲、知恵はあるのでしょうか。

ひとつのことば

私たちは仏壇の前やお墓の前では、知恵や慈悲を備えています。

誰かを思う心、これから命を大切にしていきたいという気持ち。そういった気持ちが湧き出てくる場所。それが仏壇の前やお墓の前という場所だと皆さんも思われると思います。

ひとつの言葉という詩があります。

ひとつのことばでけんかして
ひとつのことばでなかなおり
ひとつのことばで頭が下がり
ひとつのことばで心が痛む
ひとつのことばで楽しく笑い
ひとつのことばで泣かされる
ひとつのことばはそれぞれに
ひとつの心をもっている
きれいなことばはきれいな心
やさしいことばは やさしい心
ひとつのことばを大切に
ひとつのことばを 美しく

子ども向けとも見える優しい文章ですが、私たち大人こそ日常生活の中で、ひとつひとつの言葉を大切に使っていかないといけないと思いました。

智慧とは判断力

知恵とは判断力のこと、瀬戸内寂聴さんはそう言われました。

そして仏教で慈悲は、苦しみを抜いて楽を与える。「抜苦与楽」という意味があります。

自分の意見を通すということではなく、目の前の人の苦しみを抜いて、楽を与えるという基準で判断をする力を育てていく。

綺麗事だと言えることかもしれません。人間は誰もが自分が一番かわいいものだと思います。自分に楽を与えたい。

しかし瀬戸内寂聴さんこうも言っています。
「愛されるにはまず、愛しなさい。与えられたければまず、与えなさい」

知恵と慈悲を持って人と接することで、こちらの人生が豊かになる。普段はこれだけしてもらったから、これだけするという消費者社会にいる私たちですが、先祖の前では、知恵と慈悲を持っていられる。

先祖は、私たちに、まず与えてくれた存在であるからだと思います。まず私たちのことを愛してくれたからだと思います。

仏事をはじめ、区切りと言うのは、行動が変わりやすい時間。行動を変えていきやすい。そういう時間です。問題はその行動が続くかどうか、智慧や慈悲を持って人と接するという気持ちが続くかどうかということだと思います。

そのためにお仏壇やお墓、合掌、そういった場所や行為があります。改めて確認をする時間を多くとる。

その事は決して無駄な時間ではなくて、確認をしたからこそ、またそこから頑張ってみようと思う。それが先祖との約束、ご両親、祖父母との約束になればなお、自らの心に深く刻み込まれると思います。

必ず知恵や慈悲を持って人と接していく事はそのまま家庭関係、仕事関係、社会関係が良くなることにつながると思います。

まず与える人が増えるのです。
自分の意見を通すことを第一の優先順位にしない。

そんなことが通じないこともあると思います。口で言うほど簡単ではないのでしょう。

知恵と慈悲を持って接しても、裏切られたり、私は優しくしたのに、それが返って来ないことも多くある。しかし今日はうまくいかなかったと、仏壇に報告する。

仏壇やお墓の前で私たちは孤独ではないと思います。
うまくいかなかったことを共有できる方がいれば、きっと乗り越えていけると思っています。


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