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生きるコトが闘うコト-『天上の虹-持統天皇物語』

少し前まで。

身近で起こるくだらない争いに対して、

「平和だねぇ(*´-`)」

と呟いていた。

そんな下らない事は生きるか死ぬかの世界では起こりづらい。そうこうしている内に私は呟かなくなった。

私自身の環境が変わったという事もあるけど、世界も変わったからだ。

何気ない日常が幻想だと知りながら、過去の私は平和だと信じたかったのだ。

未知の世界に対して信じられない様な決断を目の当たりにする。ただ一つ願いたいのはその決断が闘いの末の最善の決断であって欲しいこと。

『天上の虹』の中の天智天皇の様に。

皇位継承

天智天皇は持統天皇の父親である。持統天皇が産まれたのは645年。いわゆる大化の改新の年から物語は始まる。その時の天智天皇は中大兄皇子と呼ばれ、大化の改新の発端である乙巳の変を起こした年である。時の天皇は皇極天皇。中大兄の母である。

この時代。まだ皇太子という制度はない。あわせてもう一つ。天皇に即位するのにはある程度の経験と年齢が必要だった。645年当時天智天皇は20歳。若き天皇が即位するのは天智天皇のひ孫の文武天皇の頃がはじめとなる。

500年代後半に話を遡る。皇位が兄弟順に巡っていっていて、その後、兄弟の内有力な子供達の間を順に皇位が巡っていった。27代安閑天皇から29代欽明天皇は兄弟、30代敏達天皇から33代推古天皇は皆、欽明天皇の子供である。

推古天皇は在位が長く、まだこの時代譲位もなかった。推古天皇の後は子供の時代になるはずだったが、推古天皇が亡くなる頃には有力な皇子達は皆亡くなり、残るは孫の世代であり、即位したのは敏達天皇の孫の舒明天皇である。舒明天皇は皇極天皇は夫であり、天智天皇、天武天皇の父親である。

皇極天皇が即位するまでをざっと記したが、この皇位継承の流れの間に起こった様々な事件こそが、乙巳の変、そして大化の改新に繋がっているが、それはまた今度。

乙巳の変から天智天皇が即位するのに20年

乙巳の変から物語が始まった『天上の虹』。蘇我倉山田石川麻呂(持統天皇の母方の祖父)、孝徳天皇、有馬皇子(持統天皇の初恋の人)が父である天智天皇のふるまいによって亡くなったり、身近な人達が不幸になっていくのを目の当たりにしながら成長していく持統天皇。14歳で父の命で叔父である天武天皇に嫁ぐことに。その時既に姉の太田皇女も天武天皇の妻になっていた。

この物語の登場人物。ほぼ血縁者。血縁者同士で闘っています。今だったら結婚できない血縁者同士で結婚しています。叔父と姪、異母兄妹。同母兄妹の結婚はタブーだけれど、、、。その中でも父親が同じでも母親の身分によって力に差が生まれて、、、。

大前提としてそれ以外の人についての記録が残っていないということもありますが、『日本書紀』、『古事記』、『万葉集』各種研究書を元に紡がれる物語がきちんと人にフォーカスされている、、、、。

天智天皇が即位するまで、そして即位から崩御するまで。絶対的な権力者であるように思われながら、ままならぬ事もあり、苦悩し続ける。人としての情に揺れながら、為政者として成すべきことを成していく姿が持統天皇に引き継がれていく。

男女の恋模様も多い物語だけど、今にも通じる親子の物語でもある。

生きるコトが闘うコト

いつの時代もそうなのだ。闘って生きている。ただ、闘っていることをいつも意識していたら、気がおかしくなるから意識していないだけで、、、。生きるために何を選択するのか。

そしてその選択は自分一人が生きていくためではなく、せめて、自分と周りの人が生きていくために必要な選択を。



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