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展示をデザインする美術館-東京都庭園美術館

東京都庭園美術館は展示手法が素晴らしい。

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1月30日(土)からスタートした、「20世紀のポスター[図像と文字の風景]―ビジュアルコミュニケーションは可能か?」を鑑賞。10月に「生命の庭」展を鑑賞していたので、その時と比較しながらの鑑賞となった。

展示内容はいずれも素晴らしかった。「生命の庭」展は、作品が建物の新たな魅力を引き出しており、二つそろって一つの作品なのではないかと、幾つもの作品で錯覚した。同じ展示作品を他の建物では再現できないであろう展示内容にとても刺激を受けたのである。

そして今回。近く広告デザインが必要になるであろうという予定があったので、その勉強もかねての鑑賞であった。

鑑賞内容に関してというよりも「生命の庭展」との比較をもとに、展示手法について以下について述べていきたい。

建物と展示物とのコラボレーション

「生命の庭」展とは違ったコラボレーションを見ることが出来た。

入ってすぐの大広間が見せ所だ。いつもはない手前中央に置いてある展示ボードが、きちんと人と人が近づかないように設置されている。今回の展示物はポスターであるのだが、コロナ禍だから選ばれたのだろうか。ポスターは大体縦、横1m以上ある。全体を観ようとすると自然と遠いところからになる。そうすると、隣の展示を観ている人とお互いの位置を意識しながらの鑑賞となるのだが、近くで読みたい説明と遠くから観るポスターとが絶妙な配置となっており、重ならないようになっていた。もちろん鑑賞人数が少なかったこともうまく距離がとれた一因だとは思うが、そこには一部屋にいる人数を調整していた、監視員の方と警備員の方のポジショニングと連携のたまものだと思う。

「生命の泉」展との違いは照明である。「生命の泉」展は館内に入る光によって輝く作品が多かった。

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逆に「20世紀のポスター展」は部屋のカーテンが閉められていたし、窓がふさがれていた。それだけで建物の印象も変わるし、作品が舞台に浮かび上がるダンサーか何かの様に観えた。特にスイスの作品(定かではないけど)で、濃い目のはっきりした色あいの作品は暗い中で映えるのだ。これには感嘆のため息がもれた。

作品

1920年代~スイス、ロシア、ドイツのポスターを主軸に展示は構成されている。興味深かったのは時代背景として、識字率がポスターに影響しているコト。当然と言えば当然なのだが、識字率が低いのならば、文字ばかりのポスターではポスターの目的が果たせない。

同じデザイナーの同じ劇場のポスターはベースは同じだけれど、デザインが異なり、並べるとその変遷を観るコトができるのも美術館鑑賞ならではなのだろう。そういったポスターで多かったのはコンサートのポスターだ。こちらもポスターを観ているとコンサート会場が目に浮かぶようであった。ポスターが伝える会場の雰囲気。実際の会場を知らないからあくまで私の想像でしかないのだが、重厚感のあるコンサートなのだなとポスターから想像ができたのだ。

庭園美術館は本館と改修後に出来上がった新館の二部構成で展示が構成されている。今回の新館は新しい時代のポスターと共に総括するように、本館から新館に展示されているポスターを内容と時代ごとに分類して可視化していた。また、本館と新館の間にデジタルアーカイブが見れるPCが設置されていた。今回私はそちらは遠慮したのだが、取り組みとして非常に興味深い。

今後

庭園美術館の次回の展覧会についてはまだ案内がない。されど、次回も観に行きたいと考えている。たまたま2回連続で展示を鑑賞したのだが、違う美術館に鑑賞に来たような印象を受けた。それはただ展示内容を変えただけではなく、展示手法にも細かくこだわった庭園美術館の在り方に今後も目が離せない。

今後も安全と安心に配慮した展示で、そして来館者の一人として美術館を守れるように可能な限り配慮して美術館賞を楽しんでいきたい。


〈写真撮影〉

2020年10月24日/2021年1月31日

共に筆者撮影。

※「生命の泉」展は一部を除き写真撮影okおよび、SNS UP okな企画展です。


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