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異動

 ホームセンターも同じ店に長くいると、常連さんが増えてくる。名前を知っている人もいれば、知らない人もいる。優しい人もいれば、クセのある人もいる。
 マンションを買ったので、会社の偉い人に地区外の異動の拒否を、それとなく匂わせて顔色を窺ってみると、「お前のためにならんぞ」と一言ドスのある声でいわれた。ひえ~どうなるというのだ、と思ったら、望み通りといえば望み通り、異動が11年なかった。11年間、同じ店だったわけだ。
 そうなればある意味、地区の有名人になっていた。
「あの店にいけば中阜さんがいる」と僕を目当てに来てくれるお客様が増えてきたのである。そんな風に当てにされればこっちも悪い気はしないから、懇切丁寧に相談にのってあげる。特に工場が多い地区だったので、会社でいろいろ問題が発生したりするようだ。
 毎日のようにしかも1日何回もくる人もいるし、電話で問い合わせをしてくる人もいる。こういう人たちはおしなべて、丁寧だ。お客様のなかには居丈高な方もいて、頭にくることもあるのだが、(当時は指定暴力団の○○会がよくきていたし、万引き目当てのヤンキー風のヤンチャな若者も多くきていた)常連の方たちは、教えを乞うような態度で接してくれる。こっちのほうが恐縮してしまう。
 他の店の店員まで、僕を頼ってお客様に「中阜さんなら、何とかしてくれる」といって、こっちにお客様を回してくれたりもした。自分で解決せーよ。
 なかには相談するわけでもなく、ただ雑談にくる人もいる。「中阜さん、いいエロビデオが手に入ったから今度もってきちゃーね」「いえ、結構です。妻も子供もいるので、見る暇ないです」
 そんな僕に、ついに異動が決まった。
 この店の割と近くに建てた新店であった。さすがに11年忙しい店にいたのだから、うれしくない訳はない。ましてや新店である。
 新店がオープンすると、何と意外なことに、常連さんがこっちにきてくれるようになった。全てではないが、結構な人数来て下さった。お客様の一人などは、「物置を前の店で見てきたんだけど、どうせ買うなら中阜さんのいる店で買おうと思ってね」といってくださった。
 これには恐縮しかない。ホームセンターで働いて嬉しいと思った瞬間であった。嬉しいも悲しいも、楽しいも辛いも、やっぱり人間関係が1番である。そう感じた。
 11年も前の店にいたのに、この店は2年もいなかった。そして次の店が数か月、そしてまたこの店に戻ってきて、数か月で田舎の方の店に異動になった。
 その店での出来事である。
 閉店間際の店に一人の老いたお客様が来店された。体の自由がよく効かないようで杖と片足にブースターというのかよくしらないが、補助具をつけていた。
 その顔に記憶があった。11年いた店にきていた常連さんの一人であった。
あのエロビデオをもってきてやる、といっていたお客様である。この方はその店の近くの会社に定年後勤めて、休み時間によく店に来てくれていた方だった。定年前は刑事さんだったらしい。
 しばらく顔を見ないと思っていたら、脳卒中で倒れて半身不随になり、身動きができなかったようだ。それが、僕に会うことを目標に必死にリハビリして、今日車を運転して、ここまでやってきたということだった。
 何かを買いに来るとかではなく、僕の顔を見ることだけを目標に不便な体をおしてやってきてくれたのだ。
 これを感動せずしてなんといおう。働いていて笑顔になれた瞬間っていうのはいくつもあったけど、涙が出るほど笑顔になれたことはない。思わず僕とお客様は抱き合った。抱き合って、思わず泣いた。
 しばらく話をして、お客様は帰っていった。車の前まで見送った。
「またくるよ」といってくれたが、もう2度と会うことはなかった。
 僕はもっと遠い店に異動になった。
 
 


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