永久欠番

 プロ野球で初めに永久欠番になったのはメジャーリーグ、ヤンキースの背番号4番ルーゲーリックである。映画にもなった。難病にかかりそのまま引退してしまうのだが、37歳でこの世を去った。
 日本で最初は沢村賞の沢村栄治の14と現役中に腸チフスでなくなった黒沢俊夫の4だ。どちらも巨人軍。どちらも死後授与されている。
 巨人が当然ながら一番永久欠番が多い。王貞治の1,長嶋茂雄の3,川上哲治の16,金田正一の34。
 ついで広島のミスター赤ヘル、山本浩二の8、鉄人衣笠祥雄3、メジャーリーグも経験したエース黒田博樹15。阪神の初代ミスタータイガース藤村富実男10。ザドペック投法村山実11。ザトペックとはオリンピックの長距離走者の名前である。人間機関車の異名をとる。牛若丸、吉田義男23。
 中日は2人。2人とも二刀流の元祖である。15番西沢道夫。投手としては28イニング完投したこともあり、無安打無得点試合ノーヒットノーランも達成している。戦後、肩を痛めて打者に転向、主力打者になるが、同じ時代の同じポジションの川上とはライバル関係にあった。初代ミスタードラゴンズ。
 10番服部受弘。これぞ二刀流。巨人戦で代打逆転満塁本塁打を打ったあと、リリーフ登板して勝ち投手になっている。昔、コントロールをつけるために、障子に向かって投げて練習していたことがあったと聞いている。この2人は球団の若返り方針のもと、永久欠番にするのを条件に引退させられた。
 ライオンズ鉄人稲尾、しばらく秋山とか古賀とかいろんな選手が24番をつけていたが、40年の時を超えて10年前に永久欠番になっている。
 鈴木啓示。背番号1。近鉄の永久欠番になったが、球団がなくなったため、ボツになった。
 面白いところでは、日ハムオーナーの大社義視が殿堂入りを境に背番号100として欠番になっている。
 楽天の初優勝に貢献した故星野仙一が監督として77番が永久欠番になっている。ドラゴンズやタイガースでも永久欠番にすればいいと思うのだが、思うようにはいかない。あとファンのために10番を永久欠番にしている。10番目のレギュラーということか。
 景浦安武。漫画のあぶさん90番はホークスで永久欠番のはずだったのだが、去年小久保がコーチに就任したさいに90番をつけることになった。それはそれでドラマになるのかもしれないけれど、そのまま永久欠番にしててほしかったようにも思う。
 その他、気になるのがイチローの51番。オリックスが素直に永久欠番にすればいいと思うのだが、いかがなものでしょうか。




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