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僕はゲイです

「いつからゲイになったの?」と聞かれることがある。

じゃあストレートの人は、いつからストレートになったんだろう。

「いつ目覚めたの?」とも聞かれる。

自分以外の他人を恋い慕う感情を知るって意味なら、
割と王道に、いわゆる思春期の頃だ。
いつのまにかその人のことばかり想う、そんな同級生が現れた。

ただそれが、自分の場合は「同性」だった。

80年代の、保守的な内陸県の岐阜で、
自分の恋愛感情の矛先が「普通とは違う」ことは
人に言ってはいけないことだ、と直感した。

もっとも普通と違うことなんてとっくに知っていた。
ずっと子供の頃から、仕草や雰囲気が女っぽいと言われてきたし。
「オトコオンナ」なんて、なんだか妖怪みたいな言い方もされた。

そういう「自分自身のかたち」も人から少し浮いた子が、
「誰かを好きになるきもち」までおかしいなんて、
ますますはぐれ者になっちゃうじゃないか。

そりゃあ「初恋」なんてみんな不安なもの。
だけど自分の初恋は、人よりますます
好きだよと言えずの、特別なものだった。


剣道部の彼は、決して女子みんながときめくような
分かりやすいイケメンではなかったけれど、
朴訥とした魅力のある背の高い男子だった。
文系でオタクな自分にも優しく接してくれた。

いつの間にか、たくさん彼のことを考えるようになった。
でも、もちろん好きだとは言えない。

ただ、傍にはいたかった。
自分と似た種の人間をかぎ分け寄り集まる教室という空間の中で、
本来なら一緒にはいないタイプの彼に、
理由をつけてはちゃっかり近寄った。

10以上もクラスがあるのに、2年続けて彼と同じクラスになれたことは
すごくすごく嬉しい分、ますます言えない想いを膨れ上がらせた。

2年目には学校から二人で一緒に帰るという地位まで掴んでいたけれど、
それはいつも喉から出そうな感情を抑えながらの、楽しく辛い時間でもあった。

このまま何も言えずに、ただ2年間の仲良しとして卒業するのかな。

多分、彼が同性を好きな人じゃないのは分かってる。
それでも、自分の想いを伝えないままに離れてしまうなんて、イヤだ。
何もなかったことにはしたくない。

でもこんな保守的な場所で、もしも気まずくなったら?
彼に限ってそんなことはないと思うけれど、それが噂になったら?

そうしてズルズル、振り子のような気持ちを抱えたまま、
お互いの受験も終わった頃。高校3年の冬の終わり。

夕焼けの中、下校の途中からバスに乗る彼をいつものように見送る時に、
「今日は言おう」と決めていた言葉を絞り出した。
答えを聞くのが怖かったから、バスの扉が閉まる直前に。

「僕はね、〇〇君のことが好き。好きなんだよ」

その後どう帰ったのかも覚えていないけれど、
自宅でぼーっとしている自分に、母が「電話だよ」と声をかけた。
家に着いた彼からだった。

「正直、やっちゃんに言われたこと、驚いたよ。
 でも、好いてもらえたのは嬉しいよ」
最高の答えだった。

それから残り少ない日々、彼は変わらず優しくしてくれた。
彼のほうから、卒業記念に旅行にでも行こうか。なんて言ってくれた。
「でも僕はそういう意味でも好きなんだから、
 一緒に泊まったりしたら我慢できなくなって求めちゃうかもよ」
なんて明け透けなことを言うと、
少したじろぐ正直な彼の姿も愛しくて、寂しかった。


ちゃんと想いは伝えたし、やっぱり最高の人だったけれど、
これはそこまでのお話。


そして東京に出た自分は、ゲンキンなくらいに変わった。
自分以外の誰がそんな人かも分からなかった地元と違って、
堂々とお互いが求め合える相手が、それこそゴマンといた。
汚れたなんて思ってないけど、たくさん経験も重ねた。

内気な僕が、アタシという一人称や、オネエという武装も得て、
自分の中に溜めていたものを爆発させるように、何かを発信し続けた。

いよいよ人生の区切りを感じる、49歳の誕生日を迎えた直後には、
女装パフォーマーとしてのアタシに、
彼と過ごした母校から、LGBTに関する講演の依頼までいただいた。
当時とは全く違う派手な装いと振る舞いで、
30年以上前に通っていた場所に戻り、当時の自分と同じ年の子たちに
「自分らしく、自分のかたちを愛して」と語りかけた。


実は彼のことは、2,3年おきに思い出したかのように本名で検索をしていた。
同窓会には人生で一度も出たことがない。成人式にも興味がなかった。
そんなだから、同窓生から彼の話を聞くこともなく、本気で辿ろうともしなかった。

ずいぶん前に、カミングアウトした後に母親が言った。
「そういえば、昔あんた宛に男子から電話があったわ。
 やすき君はいますかって。東京に行ったきりだって伝えたら、
 結婚することになったんですって」

そんなことを何年も経ってから教える母に、親子揃っていい加減だと思ったけれど、
その電話が彼からだと確信した。


今まで彼の少し珍しい名前が出てくることはなかった。
SNSなどで自分の名前を発信するタイプじゃないのは分かっていたから、
世代的にも、それで見つかることはないんだろうなと思っていた。

先日、また1年ぶりくらいに何となく検索をしたら、彼の名前が出てきた。
ページを開くと、地方の堅い仕事の役職に就任したことが、
業界誌のインタビュー記事になっていた。


そこには、しっかり30年の時を経ていたけれど、
温厚さと優しさがにじみ出た、変わらない彼の笑顔があった。

ああ、この人を好きになって、僕は目覚めたのだ。
恋焦がれる感情を知ったのだ。


記事には真摯な仕事ぶりと、少しだけご家族のことも書かれていた。
自分にも長く共にした同居人がいて、猫と楽しく暮らしている。

それぞれの30年を過ごした今、
一目見れば、素敵な人生を送ってきたことが分かる彼の笑顔に
胸がぎゅっと締め付けられた。


あの頃とは変わったことも多いけれど、
あなたが素敵な人なのはきっと変わらない。

僕はもう「僕」とは言わなくなりました。
お仕事の時は、あの頃とはまるで違う振る舞いで「アタシ」と、
反動なのか、家ではヒゲなんか生やして「俺」になっちゃいました。

そして、あの頃周りの誰にも言えなかった、
初めてあなたに言えたことを、
たくさんたくさん、大きな声でいろんな人に言うようになりました。


僕はゲイです。

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