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Sanctuary

 斑模様の腹から痩せた乳房を垂らした犬はアスファルトから吹き出す植物の中、一定の距離を保ちながらこちらの様子を窺っている。近づこうとすると、その分だけ平行移動を繰り返し、コンテナヤードの一角に積まれた木材の奥へと姿を消す。
 しばらく待っていると、転がるように飛び出してくる二匹の子犬。まるまるとしてふさふさの濃い灰色の毛、瞳にはまだ疑いの光がない。しっぽを振りながらフェンスの隙間を潜り、道路と歩道の境をなす段差を下りて僕の方へ近づこうとする。
 遠くで注意深くそれを見ている母犬。いけない、それを越えてはいけない。僕は慌ててその場所を去ろうとする。まだ越えてはいけない。その守られた範囲を出てはいけないのだ。
 西日に照らされた金色の道の向こう、排気ガスに汚れ、光を弱めた緑をまとった森。傾いた小さな看板には「Sanctuary」と記されている。
 八角形の展望塔に設けられた大きな窓の先には、不自然に自然な湿地が広がり、防波堤のコンクリートが海とその領域を分けている。ゆっくりと眺めてみても、鳥はいない。 どこにも見つけられない。
 落ち葉を踏んで、ぬかるんだ小径を行くと、それは小高い丘へと繋がっている。はばたきの丘。木々が正確な不正確さを保って立っている。辺りを見渡してみても、そこにも鳥はいない。雑草の中に分け入れば、ズボンいっぱ いにひっつき虫。数えられるほどの無数。ひとつひとつを剥がしながら、無数を数えようとする。
 埋め立て地の貯木池には、緩やかな S 字を描いて黒い材木が浮かんでいる。僅かに風の流れが異なるのか、その両側でさざ波が反射光に変化をつけ、光をモザイクに見せる。違いは、あまりに僅かなことによって生じ、 絶対的に思える厳格さで、それを保ち続ける。
 境界、この世界をカタチに置き換えるもの。 それを真似た私たちは恣意的に世界を分けようとする。目を瞑ると暗いまぶたに、さざ波の光が揺れる。
 僕もまた、境界に守られている。そして、境界を設けようとしている。境界は、この身体とどのように繋がっているのか。 フォークナー の小説の一節が、繰り返し頭に浮かぶ。

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