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見えない錆びた有刺鉄線


ぼうけんのおとも🌈です。

私は社会に蔓延る差別や偏見の例えで
「目に見えない錆びた有刺鉄線」

という表現を用いました。

実は当Noteのヘッダー画像も
この錆びた有刺鉄線を
イメージしています。

障害者(当事者)にとって
社会にあるソレは不意に訪れ、
傷つけられるのです。

もし目に見えているのなら
距離を置いたり防衛したり
気を付けることができます

しかし、、
見えないのだとしたら・・・!?
気を付けようがありません。

出来ることは耐性を付ける・・・
ですが、その能力は知識や経験を
積んだ強者にしか備わっていません。

ゲーム「ドラクエ」で例えるならば、
最初の街からモンスターと戦って
傷つき疲れた状態で休息を求めて
街へ戻ると村人Aからの心無い
誹謗中傷を受けるイメージです。

この例えは障害者に限らず
現代の子供の生活や
疲弊してしまった大人にも
当てはまることでしょう

子供が学校で周囲に気を使い
疲れ果てた状態で自宅に戻り
LINEやSNSでも休まることなく
攻撃される・・・
そんな子もいます。

なぜそんなことが起きるのでしょうか?
人と劣っている、または人と違うことが
ポイントになると考えられます。


昔々に遡ってみましょう。
狩猟民族と農耕民族がいました。

狩猟民族では
命がけで狩ることが重要です。
そのために人よりも鍛え、
強くあることが求められます。

自分が強さをアピール出来ることは
それだけ生存しやすくなるので
生まれ持つ本能とも言えるでしょう。

もし障害者がいたとするなら?
能力を発揮できない=生存できない
と判断して下に見られてしまう

中途半端な強さの人も
自分よりも下がいると判断して
自分はまだ上にいる大丈夫だ、と
自尊心を保ち安心するでしょう。

では農耕民族では
何が求められるでしょうか?
一緒に農耕作業を行い、
時間を掛けた食料を分配するには
協調性が重要と言えます。

もし障害者がいたとしたら?
一緒に作業できない、あるいは
作業効率が悪かったり、空気が
読めない等など、人と違うと判断し
排除していくのではないでしょうか

確かに昔は生き残るためには
その時代に適応できる人が
必要だったのでしょう

そんな時代から移り変わり
現代ではどうでしょうか?

私達の暮らしは豊かになり、
昔の時代と比べても
生きる死ぬという脅威を身近に
感じることは少なくなりました

医療界では様々な障害を
持つ人でも病弱であっても
同じ「人間」であるとして
平等に治療を受けられます

社会的弱者を皆で支えようという
幾つかの法律も施行されています。

国連サミットで採択された
「誰一人取り残さない」という
誓いのSDGsも出てきました。

ですが、世間一般ではまだまだ
障害、性別、人種などへの
偏見や差別が多々あります。

自分たちと何かが違うことを
笑い、怖がり、恐れ、攻撃して
自尊心を保つ人達がいる。

もしかしたら歴史から
そうやって生きてきた
昔ながらの本能が
あるのかもしれません


大前提として私たちは
同じ「人間」であることを
忘れないで下さい。

その上で少しの違いである
障害、性別、人種などは
認めて受け入れてください

古き時代にあった
強者が弱者を切り捨てる、
そんな時代はもう終わったのです

これから求められるコトは
強者が弱者を救い、
弱者が社会を創り、
社会が元強者を守る。

・・・と私は考えています。


人を知り、障害を理解し、病気に学ぶ
そして
「強くて優しい人」
になってください


そうして
この古く錆びた有刺鉄線が
取り除かれていくものと
私は信じています。

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