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ドイツヴァイマール時代のハイパーインフレについて調べてみた

日本にもインフレの波が来ています。政府財政や貿易収支の悪化、為替の円安などから「いずれハイパーインフレになるのでは?」と考える人も、おられるようです。

実際にハイパーインフレが起きた国として、アルゼンチン、ベネズエラ、ジンバブエなどが挙げられます。ただこれらの国は、新興国または中進国であること、資源国、政府体制の違いなどから、今の日本と単純には比べられません。

やはり最も参考になるのは、第一次大戦後のヴァイマール時代のドイツではないかと思いました。そこで、アダム・ファーガソン「ハイパーインフレの悪夢」を読んで、当時何が起きていたのか調べてみました。

結論から言えば、多くの要因は当時のドイツ固有であり、今の日本に直ちに当てはまるとは言い難いです。一方、日本と似ている要因もあります。また「もし仮に高インフレが進行したら起きるであろう」現象が学べました。

以下では、1で当時のドイツでインフレが起きた原因を、2でインフレ時に発生した事象を見ていきます。

なおドイツでのインフレは、①第一次大戦後からインフレが段階的に進んだ1922年夏まで、②ハイパーインフレが出現した1922年夏以降、③マルクの価値が天文学的に下落した1923年、の三段階に分けるとわかりやすいです。

マルクの下落。Wikipediaより

1 インフレの原因
(1)当時固有のインフレ要因
第一次大戦末期の1918年のドイツ革命によりヴァイマール共和国が成立しましたが、実はインフレは戦争中から進行していました。戦費確保のため通貨発行が増えたためです。

戦後も紙幣の乱発が続きますが、なんと当時は、紙幣の乱発が通貨価値の下落につながっていると誰も気づかなかった!とのこと。

また、1919年のヴェルサイユ条約で多額の戦争賠償金という対外債務を負い、これが紙幣の発行を加速。対外債務が膨らむ構図はアルゼンチンやベネズエラと同じです。

さらに戦後はライン側左岸が連合国の保護占領下に置かれてしまいます。ライン側左岸はドイツ重工業の中心的な場所であり、日本で言えば中京工業地帯が外国に占領されたイメージでしょうか。

1923年には、戦争賠償金の交渉難航からフランスがこのルール地方に侵攻。結果、ドイツ工業の中心地の経済活動がストップします。

このように、①戦争、②紙幣乱発への意識の無さ、③戦争賠償金という巨額の対外債務の存在、④中心的な工業地帯の外国による占領、といった事象は、当時のドイツに固有のものと考えられます。

(2)日本と似ているインフレ要因
一方で、今の日本と似ている要因もあります。1914年にドイツは金兌換を事実上停止し、紙幣刷り放題にします。日本が事実上日銀の国債引受けをして、MMTに近い政策をとっているのと類似。

戦後の帰還兵対策から、ドイツ政府は財政出動して失業手当を支出します。これは少しコロナ対策の財政支出と似ている。

こうした財政政策から、ドイツの国家予算は大幅な赤字となりますが、この点も社会保障費の負担により厳しい国家財政にある日本と同じです。

このように、①金融緩和の歯止めがないこと、②巨額の財政支出、③国家予算赤字、という要因は今の日本との類似点です。

2 インフレ時に発生する事象
(1)日本でも起きていること
段階的にインフレが進んだ1922年夏までに当時観察されたことは、今の日本でも起きている事象もあります。例えば…

・産業界は当初は通貨安を歓迎、輸出好調、工業株が高騰する。
・海外からの旅行者が増加する。
・為替の自国通貨売り・外貨建資産買いのキャリートレードが盛んに。
・労働者が二極分化し、非組合員の労働者が困窮。

こうした現象はインフレ時に共通して起きるようです。

(2)インフレが加速したら起きると予想される事象
一方で、主にハイパーインフレが発生した1922年夏以降には、今の日本では観察されない事象が起こります。これらは「もし仮にインフレが加速した時に現れるであろう現象」と考えられます。

・紙幣を持っていてもすぐに価値が下がるので、自国通貨をすぐに使い切る消費行動が見られる。
・農家は後で売った方が儲かるので、農産物を売らない(これはアルゼンチンで起きています)。
・ホワイトカラー、預金や年金生活者、戦時公債の保有者、公務員等の中産階級が没落。
・悪者探しが始まる。物価の上昇は株式市場の投機のせいであるとして、ユダヤ人の責任を問う声が出始める。
・インフレの進行に通貨発行が追いつかず、州や地方自治体にも緊急通貨の発行を許す法案が可決される。
・物々交換や外貨決済が広がる。
・農家が農産物を販売しないので食料が欠乏し、子供の成育に影響が出たり、結核が増加する。
・盗難、食料の略奪や暴動が発生する。
・通貨の価値が下がりすぎて配当の魅力がなくなり、工業株が下落。
・愛国主義の高まり。ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が躍進。
・左右の過激派が伸長し、また政治家の暗殺が多発する。
・1923年夏には外国貿易がほとんど停止。
・マルクの価値が下がり、桁数多すぎで換算が難しくなり過ぎた結果、通貨の価値発見機能が喪失する。
・1923年9月に非常事態宣言が出され、ヴァイマール憲法の7つの条項を一時停止。事実上の軍事独裁国に。
・1923年10月、レンテンマルク法公布。従来のパピエルマルクとは異なる通貨が発行される。
・新しいマルクへ乗り換えの動き。1兆パピエルマルクが1レンテンマルクになった。
・訴訟、書籍販売、建築、芸術、教育、医療などが後回しに。
・汚職や賄賂が発生。

かなり望ましくないことばかりです。
経済だけでなく、社会や政治、倫理までも変えてしまっている。先ほどの本の終わりには、こう書かれています。

「かつての豊かさと地位が失われ、古い道徳的価値観が崩壊しただけでなく、ドイツ社会における人間の柱と土台が損なわれ、傷つけられた」

これはおそらくジンバブエやベネズエラ、アルゼンチンなどでも同じと推測されます。
社会を守るためにも、経済の運営がとても大事だ、ということを改めて感じます。

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