僕と麻雀 高校編7本場

「ミズサン」

麻雀を覚えてすぐに、とにかくお世話になったのが「ミズサン」だ。テスト期間が終わり、普通に授業が始まると、ノートに手役一覧を書いてそのページをビリリと破って渡してくれた。授業中、授業をそっちのけでその手役一覧表を読み続けた。まあ普段から授業なんてほとんど聞いてなかったから、ちょうどいいものをもらったというほうが合ってるような気がする。貪るように読んだら、放課後が待ち遠しくなってくる。もちろん雀荘Mに直行!

しばらくすると、今度は阿佐田哲也の「Aクラス麻雀」を貸してくれた。戦術もさることながら、文章のテンポも良くてあっという間に読み終えた。これがきっかけとなり、僕は「麻雀放浪記」をはじめ阿佐田哲也作品にのめり込み、さらには色川武大作品まで読むようになる。まあ当然の成り行きですね。

麻雀を始めた僕は、すぐに週に5日は雀荘に通うようになる。すると場代も嵩む。1日1000円でも2万円以上はかかる。さらに負け分も。

当時の僕の収入は、3人の姉兄から小遣いを5000円ずつで15000円。親から昼メシ代が月に1万円。合わせて25000円。麻雀を始める前は余裕があり、大好きな本やマンガを買っていても余るくらいだった。

しかし、麻雀を始めてハマり始めたら少しずつ少しずつお金が足りなくなってきた。まず最初に切り詰めたのはマンガを買うこと。次は昼メシ代。昼はキリンレモンかスプライトの1Lサイズ(ビン入りで、今はもう販売してないです)を、友人と二人で購入して、それを交互にラッパ飲み。炭酸でお腹を膨らませると、もう食欲は失せる。坊や哲が負けたらかけうどんに唐辛子をたくさんいれて食べ、しばらくは食欲がわかないようにするのと似ているかもしれない。

そんな努力をしても僕の財布は火の車となり、5月には何人かの友人に麻雀の負け分で借りを作ることとなった。次第にその額(総額5万円くらい)が多くなった頃、ミズサンが僕の方々にある借りを肩代わりしてくれた。そして「返すんは何時でもええで」と神のようなお言葉。僕は本当に有難いとは感謝しながらも、何もできないもどかしさを覚えた。

何かお返しをしたい。そう考えていた時に、僕はロバート・デ・ニーロが出演する「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の封切りが近いことに気づいた。「この前売り券を買って招待しよう!」と考えついた。ただ、ミズサンだけだとなんか変な感じかなぁと思い、カンとテツを誘った。前売り券を自分の分を含めて4枚買った。10月に封切りされた映画は、魂を揺さぶるほど熱く面白くて、この選択は間違ってなかったように感じた。

そんなミズサンだが、親御さんが厳しいので有名だった。麻雀で勝って持ち帰った成績表が見つかって酷く叱られたことがあってからは、監視の目が強くなった。「爪の間に緑色」がついていたら「麻雀マットのものじゃないか」と言われるとか、「ズボンの膝の裏側にシワが多い」と「誰かの家で麻雀してたんちゃう?」と言われるくらいのチェック体制。ミズサンは対策バッチリ!爪をまめに切り、爪に入らないようにした。誰かの家で麻雀をする時は、着替えをわざわざ持参した。当時の僕達は、そうまでしてでも麻雀はするもんだった!

正確なタイミングはもう記憶にないが、そうこうしているうちに、肩代わりしてくれていた借金をチャラにしてくれた。未だに感謝している。飲み会や同窓会で会うが、ミズサンはその時のことを恩着せがましく言ったりすることは全くない。ホンマに素敵な男です。あの丁寧で綺麗な麻雀とまた対戦したいもんだ。

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