僕と麻雀 1浪編2本場

「H衛と茶屋町で」

予備校生活においてGWまではゲームでいえばチュートリアル。GWを過ぎていざ本番に突入した。

淀川の河川敷で遊んでいたら、理系クラスや私大クラスの知り合いも増えてきた。ランチも一緒に行ったりするようにもなった。新しい友人が増えるのはなかなか楽しいもんだった。

麻雀がない、刺激の弱い生活にもほぼ慣れてきていた。人はこうして飼いならされていくのだろう。

とある日、昼休みに同じ高校のH衛を話をすることがあった。昨日、梅田まで行って国公立理系クラスのK学院の子たちと麻雀をしたんだとか。H衛が麻雀をするのを始めて知った。K学院の子たちはハリハリ達の同級生で仲良かったらしい。僕は興味を持った。退屈な毎日にうんざりしていた僕は、次にやる時は誘って欲しいとH衛にお願いした。

その願いはすぐに叶うこととなった。H衛から日時が知らされた。僕たちは予備校が終わると、阪急電車に乗って梅田駅で茶屋町口で降りた。雀荘までの道のりは、かっぱ横丁から南側に通りを渡る。2階建ての木造の古民家が並び、そこを抜けると小さな雀荘Tがあった。

雀荘Tは、浪人から大学生の頃までとてもお世話になったお店だ。2020年現在、茶屋町は阪急不動産の開発で当時の風情はなくなったので、1985年当時の茶屋町を簡単に説明しておきたい。

もともとは鶴野茶屋という地域で、石畳のところや木造の民家が残る趣のあるところだった。雀荘Tは1階が店舗、2階は住居。左側に3卓、右側に4卓。左側奥におばちゃんがちょこんと座り、テレビを見ながら店番をしていた。右側には衝立があり、その向こうにトイレがあった。麻雀卓は全自動卓が2卓、残りはマグジャンと呼ばれる半自動卓だった。全自動卓は1時間1人200円。マグジャンは1時間1人150円。ドリンクはおばちゃんがお茶を出してくれる。他の飲み物は缶や瓶で、小さな冷蔵庫の中にしまってあり、1本100円だった。ビールやお酒もあったが300円とか400円くらい。出前もいくつかあった。焼き飯を注文すると、今は看板をだしていないお隣の喫茶店(クレイン)から裏口に届いた。銀の皿に乗った焼き飯がなかなか美味かった!

当時は梅田で麻雀となると、TとMがほとんどだった。たまに他の雀荘に行くのは新鮮だったが、居心地の良さはそれほどでもなかった。特にTはホームグラウンドという意識でいた。

そんなTに行く前に、茶屋町のLでお茶をした。ここはK学院の溜り場みたいな店だった。彼らは高校時代からよく通っていたそうだ。Lのマスターは黒光りした肌に鋭い眼光で麻雀もする。経験豊富でなかなか強い。たまにK学院の子たちとTで麻雀をする。マスターはそれを「こないだ裏で麻雀したわ」とよく言っていた。表通りに近いLが表、そこから古い民家を抜けた向こうのTが裏という発想だろうか?とても興味深い呼び方だと思った。今もNU茶屋町の一角に店舗を構え営業している。

そんなこんなで雀荘Tに突撃!メンツは、僕とH衛とK学院のS、Pちゃんあたりだっただろうか。高校の同級生以外との対外試合1戦目であった。細かな部分は記憶にはない。ただ、完勝だった。そして、高校の頃のメンツのレベルが高かったのでは?と思った。この麻雀を機に、僕はまた麻雀三昧の道に入ることとなった。そして、この疑念が明らかとなった。その後は破竹の勢いで勝ち続けた。高校のメンツに揉まれた僕は強くなっていた。高校時代のレベルはかなり高いと理解した。

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