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竹内朱莉さんの書道展『煌々舞踊 大阪』を受けて、今改めて思うこと

ごきげんよう。某田中です。
先日、8/29〜9/3の日程で大阪にて開催された竹内朱莉さんの書道展『煌々舞踊 大阪』に観覧に行って参りました。

竹内朱莉さんの書道作品。8/29 個展会場にて筆者撮影(撮影OKエリアにて)


まず、このnoteを書くにあたり自分で撮影した写真を添付できるのが何より有難い。撮影OKの寛大な心意気に感謝です。ありがとうございます。

竹内さんの書道展開催はこれで二回目。アンジュルムを卒業されてからは初めての開催、つまり竹内朱莉ソロ活動の第一弾とも言える今回の個展。改めて開催おめでとうございました。そしてありがとうございました。
書道作品に関してズブの素人である私が、いや私だからこそ感じられた事があり、それはきっと書道に詳しくない私であればこそと思い、久しぶりにこのnoteアプリを立ち上げた次第です。
「竹内朱莉さんの書道展がいかに素晴らしかったか」は私では語り尽くせるはずもないので早々に諦め、竹内朱莉さんに出会ったおかげで、書道作品という芸術を見て少しだけ変わった私の話についてまとめていきます。相変わらず私の話ばかりで恐縮です。



〜はじめに〜

皆さんご存知の通り、S Cawaii 『人生墨まみれ』の連載が始まった辺りから、本格的に竹内さんの作品を拝見できるようになりましたよね。私はあれを機に竹内朱莉さんの書道に触れ、過去にも色々な作品を書かれている事を知りました。
この『人生墨まみれ』では書についての話は勿論、竹内さんの人生やアンジュルムでの活動に対する考え方や感じたことも色々お話されています。一部Webで公開頂いている部分もございますので、まだの方は是非どうぞ↓


上の連載をまとめた書真集『人生墨まみれ』の購入リンクはこちら↓




【壱.「なんか」好きの話】

さて、では早速私の話をさせて下さい。
昔から、私は「なんか達筆っぽい漢字が好き」「和っぽいもの好き」という好みがあります。街を歩いていてもなんかそういう筆文字?に目がいってしまいます。この「なんか」ってのがポイントで、本当にあまりその件について思考を掘ってみたことがありませんでした。
しかし、その「なんか」にこの度、一歩前進があったと言えるわけですね(早く本題に入れ)(まだ入りません)


⚪︎書道と習字

はい、そもそもまず書道とは何か。改めて考えるとよく知りません。脳みそのない私はすぐにネットに頼ります↓

以下引用します。

習字とは読んで字の如し、字を習うことです。
正しい筆順でお手本通りに書くことで、バランスよく綺麗に整った字が書けるようになることを目的としています。
小中学校の書写の授業も習字の一種です。

参照:https://shodo-kanji.com/a1-1-1difference.html

習字はとにかくとても実用的です。日常生活では習字を学んでいると役に立つことがたくさんあります。ご祝儀袋や熨斗袋、年賀状や履歴書など、字を綺麗に書くことが求められる場面は多く、その全ての場面で習字で学んだことを活かすことができます。

参照:https://shodo-kanji.com/a1-1-1difference.html


なるほどなるほど〜。今さらながらハッとしました。どうしても学生時代に筆を持って書いていた自分の体が覚えているあの感覚から「書道はみんな親しみやすいはずの物」という先入観があったのですが、それはとんでもない勘違いでした。そもそも私達が学校でやるあれは「習字」なのですね。

え?
でもみんな、なんとなくの認識じゃなかった?
オレ今書道やってんだぜ(ドヤ)とか思いながらお習字してた人いるでしょ?
ねえ!


そうでしょ!!!





…失礼、取り乱しました。



しかし、いやはや勉強になりました。


では一方、書道とはどんな物なのでしょう?
先ほどのホームページを再び見てみると、このような物だそうです↓

 書道とは、筆と紙を通して自己表現することを目的とする芸術です。
ただ字を書くのではなく、字に思いや感情を込めて書きます。書道で学ぶことは筆順や筆の持ち方といった基本的なことに加えて、自分の個性が出た作品を書くための技術を身に着けます。まさに、書の道ともいえるべきものです。

参照:https://shodo-kanji.com/a1-1-1difference.html

日常生活で書道が役に立つ場面は?というと、実は特にありません。そもそも書道は芸術性を追求するものなので、役に立たなくても構わないのです。ですが、もし書いた作品によって誰かの心を揺さぶることができたのなら、書道は役に立っていると考えられるのではないでしょう。

参照:https://shodo-kanji.com/a1-1-1difference.html

あまりにも別物ですね。
書道作品は芸術性を追求するものだ、と。
ほうほう、なるほどなるほど。



勿論、コレは分かりやすくまとめてくださっているからこの表現になるわけで、何が正解不正解という話ではないと思うのですが。いや分からんけど。
とにもかくにも私達が普段なんとなく目にする筆で書かれた文字というのは、それが習字として書かれた物なのか、書道として書かれたものなのか、くらいは思いを馳せても良いかもしれません。

⚪︎なんか書道好き

私がなんとなく好きだと思う筆文字は、主に街中やインターネットで見かける広告に使われているような文字なのですが。それは今タップして書いてるようなスッと読めるような文字の形ではなく「なんかとんでもなくはらいが長いな」とか「え?これなんて字?」ってなるような物に惹かれがちなわけです。
つまり私は「筆文字」が好きというよりは「書道作品(に類する作品)」が好きということになります。いや多分よ。知らんけどな?

とはいえ仮にそうだとしたら、考えてみると自分的には割と合点がゆきます。
もうちょっと掘り下げると、私は正解のないコトが大好きです。そしてそれについてアレコレ考えるのも大好きです。私にとって音楽を聴くという行為も正にその一つであり、受け手の姿勢やその日の趣味嗜好、作詞や作曲の受け取り方により同じ音楽を聴いているのにAさんの感想とBさんの感想は違うものだったりしますよね。むちゃくちゃ分かりやすく言えば悲しいことを歌う曲なのに、Aさんにとっては楽しい思い出とセットで想起されちゃうから楽しい気分になる、とか。作品を受け取るということは、そういうことだと私は思っているのです。で、そういう「体験」がたまらなく好きで興奮するわけです(キモイ)(大丈夫?伝わってる?)


話を戻して拡大解釈してしまえば。
あえてわざわざ言い換えてしまえば。
音楽を鑑賞する行為と書道作品を鑑賞する行為は私にとって同義である。しかもその表現者が敬愛する人物なら尚更ということです。
コレに気づきハッとしました。自分の人生に無縁であったつもりの「書道という芸術を鑑賞する機会」を私に整えて下さったのは、他でもない竹内朱莉さんなのです。そして、私は元々たぶん書道作品を鑑賞することに興味があったのでしょう。
※繰り返しますが、これは私が感じたことであり読者の皆様には皆様の考えや意見があって然るべきだと思います。私は起こったことをすぐ必然の運命のように考えてしまう癖がありますのでお気になさらず。





【弍.竹内朱莉さんの書道作品を体感した日〜】

さて【壱】で書いた事は、竹内朱莉さんの書道作品を目にした瞬間に感じた事ではなく、あくまであとから考えた事に過ぎません。
ということで、当日書道作品を見た話について少しだけ。

妻と2人で観覧しに行ったのですが、東京には観覧に行けなかったので、これが初めての観覧となりました。
そして。
なんと。
私達が観覧に訪れた8月29日は竹内朱莉さんも在廊されており、気さくにファンの皆様とお話をされておりました。誠に僭越ながら、私達も多少お話させて頂きましたが(できていたかと聞かれると答えはNoだが)あまりにも神々しかった…
さて、お会いした話をあえて堪えて(精神が保てなくなるので)作品の感想の話をします。


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会場には所狭しと作品が並んでおり、様々なテーマで展示されていました。インターネット上で見かけたことのある作品も目の前にあり歓喜。「おおすげぇ」しか言葉にできません。

次に、印象的だったのは青いインク?を使って書かれた作品。「ほぇ〜」と。珍しいことを思いつくもんだ、と感心する激浅思考の私。この中でも「夢」という字のバランスがなんとなく気に入ったのでこちらの色紙を購入しました。

他にも、「ほろ酔い」とか「悪」とか「あなたなしでは生きてゆけない」とかが好きだったなぁ。なんでかは分かりません。

あとはそうだな。どの字を見ていた時かは忘れたけど、太い線から細い線がひとつなぎになっていて「ここはきっと筆をベンって置いてからそーっと持ち上げて移動させたんだろうな」と実際に筆を持っている手の動きをイメージしながら妻と話をしていました。
その後、会場で流れていた竹内さんが作品を書いている動画を見てビックリ。筆の動きは間違いなく想像通りだったのですが、私が思っている何倍ものスピードで筆を動かしておりました。意味不明でした。マジであれはみんな見た方がいい。手首どうなっとん!?ってなるから。「これぞ本物ってことか」

いやぁ全体通してすごかった。これが竹内朱莉さんの表現したかった作品なのだ。

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…こんな感じです。これが当日に思ったこと。文字にしてしまうと多分これ以上無いです。

【参.再考】

では【壱】のあとづけた話を踏まえて【弍】の当日見た感想について再考すると、どうでしょうか。


【壱】で私は「音楽を鑑賞する行為と書道作品を鑑賞する行為は私にとって同義」だと言っていますね。
では、ハロープロジェクトの皆様のライブを見て私から出る感想ってどんな物でしょう?




……

「すごかった」


……

「いやぁ…すごいよ」


……



「ちょっと待って…フゥ」


……


くらいのものです。
かろうじて息を吹き返してから「ダンスのこの部分が〜」とか「歌のここが〜」とか言えるのは、ダンスと歌を鑑賞するという行為を若い頃から繰り返しており普段からライブ映像を拝見しているから、なんとか絞り出せるわけで。


ではそれと比較して「書道作品を鑑賞する」という経験値はどうなのか。
書道作品を目の前にして、肉眼で、鑑賞した事は人生で初めてだったわけです。言葉にできなくて当然なのです。そうなのです。感じた事がちょっとしか無くたっていいし、うまく言葉にできなくたっていいんです。まだ書道鑑賞初心者なのだから。いや、上級者になっても案外これでいいのかもしれません。だって書道は芸術作品で、そこに正解はなければ、受け取り方にも正解は無いのだから。


竹内朱莉さんは事あるごとに、書道作品をもっと身近なものに、もっと色んな人に知ってもらいたいと仰られています。そのお言葉に甘えるなら、私のような鑑賞者もいていいのかもなと思いました。自分にとって陳腐な感想でも良いのです。それは好きな人が作った表現であり作品なのだから、それを見たいから見ているのだから、じょうずに説明できなくても、それで良いのだ。そう思い直すことができました。


〜最後に〜

改めてこの「縁」に感謝です。
妻に出会いハロープロジェクトに出会えたこと、アンジュルムを好きになれたこと、竹内朱莉さんに尊敬の念を抱けたこと、それら全ての「縁」が書道作品を鑑賞する経験を自分の人生にもたらしてくれました。



『煌々舞踊』は続きます。
次は福岡で開催とのこと!
迷っている方はぜひ!



私も、時間と交通費があれば、出向きたいなと思っています。竹内朱莉さんの書道家としての活動をこれからも応援しています。


それでは!

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