2019年上半期VOCALOID10選(前編)

こんにちは、ぼうはちです。今回はタイトルの通り「2019年上半期VOCALOID10選」というテーマで書こうと思います。こういう期間指定系の10選についてnoteを書くのは初めてですね。実はここ数ヶ月ほどvocanoteのチェックが滞っており、毎月やるみたいな雰囲気を出していたこのシリーズも二月坊主になってしまっていて、さすがにこれはちょっとやばいなと思って筆をとった次第であります。大した分量でもないのに前後編に分かれていますが、単行本が文庫化される際に謎の分冊化を遂げる現象と同じようなもんなので気にしないでください。

atman/案山子

とにかく気持ちいい曲です。自分は楽曲を好きになるときに結構理屈で判断することが多いのですが、この曲を聴いたときは違いました。不協和音じみたAメロからの、鬱憤を晴らすかのように爆発するサビ。そして間髪入れずに突入するスタイリッシュな間奏……とにかく圧倒されました。脳内から理性の殆どが排され、訳も分からぬまま狂乱する脳細胞たちを必死に押さえつけるような感覚になったことを覚えています。ただどうしても人間は「慣れて」しまう生きもので、この文章を書いている時の私は、五ヶ月前に感じた感動を思い出すことはできても、それを再び体験することはできません。何か文章に残しておけば良かったなあと後悔するばかりです。


東京メランコリータ/砂粒

気持ちいい曲パート2。でもこの曲の気持ち良さは先の「atman」とはだいぶ違うような気がします。例えるなら、「atman」が暗闇の中に極彩色を浮かべて刹那に消える花火なのに対して、この曲は水晶玉の中を飛び回る豆粒大の宝石という感じ。美しくて、激しいのだけれど、その輝きは拡散していない。だからこそ、その光の軌跡を一つひとつ目に留めることもできるのです。

やたらと抽象的な内容になってしまいましたが、他にもこの楽曲の魅力は語るに尽きません。紙透みふさんの油絵は独特な雰囲気で可愛いし、所々に入る言葉遊びも楽曲を覆う緊張感への良いアクセントになっています。GUMIのか細い声も魅力的で、サ行の音に関しては普段ボカロの声に深いこだわりを持たない自分でも一種のフェティシズムを感じてしまうほどでした。


wolf/cat nap

この曲は本当に色々な魅力を内包していて、以前にも少しばかりnoteを書いたのですが、今回はねこみさんの詞のヤバさについて語ろうと思います。

先日ツイッターにて「曲の歌詞をどれくらい聴くか」問題(?)が盛り上がっているのを見かけました。そこで自分の歌詞というものへの向き合い方というものを再考してみたところ、どうやら自分は、ワンフレーズで楽曲への関心が急上昇するような「キラーフレーズ」の存在を重視しているようです。楽曲を好きになるプロセスとして「キラーフレーズを見つけて、それを中心に好意が広がっていき、やがて曲全体を好きになる」というのが一つの典型的なパターンになっているのです(自分が見た範囲では、そういう聴き方をする人は結構多かった気がする)。そして、それを念頭に置いた上でこの曲をもう一度聴いてみることにしてみたんですね。

「なんだこのキラーフレーズの宝庫は…」

耳に入ってくる全てのことばが美しくて、連続性がある。自分ごときが言うまでもないですが、本当にすごいことだと思います。中でも個人的にお気に入りなのが、「血潮のうねりに頰擦る」というフレーズ。少し前の「氷に侵されたalcoholic」との温度的な対比が気持ちいい。直前の「だれかの阿吽が聴こえる」の心憎い演出にことばの美しさだけで比肩してるところも素敵だと思います。


ラストジャーニー/いよわ

人間というものが「精神」と「肉体」の二つに大別できるとすると、その二面性が最も表れるのは、人間が死んだ時なんじゃないかと思います。天高く上っていって神様のお膝元に迎えられたり、無垢で不可視の存在として現世をゆらゆらと彷徨ったり、どこかきれいで開放感のある精神のそれに対して、肉体の死はどこまでもグロテスクです。現代の日本では、すぐに火葬場に送られて残るのは綺麗なお骨だけ、という場合がほとんどですが、腐臭を撒き散らしながらゆっくりと時間をかけて液状化していく、あるいは近辺に生息する卑しい動物たちの餌となる……そんな末路を辿るのが元々の姿です。

この曲で描かれている「死」は、後者の色合いが強いように感じます。グロい描写が大量にあるではないのですが、私がこの曲を聴いたときに思い浮かべる情景は、決まって「からっとした晴天の日に歩いていたら、微かな風に乗せられて漂ってきた腐臭」というものです。でも、だからこそ、その中で在り続ける美しい愛に惹かれるのかもしれません。……なんか自分の考えていることがわかんなくなってきた。

…とはいっても、初めて聴いた時からそんな複雑なことを考えられるわけがありません。聴き始めた頃は例えばイントロのベースとか、繰り返しが多用されたアニメーションとか、どこかなよなよした花ちゃんの声とか、そういった部分に魅力を感じていました。もしそれらに魅力を感じていなかったら作品世界にこれほど深く入り込むことはなかったと考えると、一切音楽経験のない自分にも、歌で何かを表現することの大変さが伝わって来るような気がします。


これからはきみへの愛だけで生きていけるかな/沢田凛

この曲はとにかく2分20秒以降の展開が凄まじいです。

まず、ここから間奏の雰囲気がちょっと変わります。本番を前に力を溜めてる感じ(多分この概念には正確な名前がある)。これは何かが来るな…と思って身構えてると案の定手拍子も入ってきて、視聴者の期待は嫌が応にも高まります。

そこで出て来る歌詞が、「これからはきみへの愛だけで生きていけるかな」。ついに来ましたタイトル回収。最高のフレーズ。次いで来るのが「憎しみさえも愛おしい思い出のように思えるかな」。前半で触れられていた過去の境遇のことがだんだんとわかってきます。。

そして襲いかかって来るのが、この曲のしんがりとなる部分。

ただ愛してる ただ愛してる 愛がなにかは知らないけど        ただ愛してる ただ愛してる それをきみが教えてくれると知っている。

この歌詞が大好きです。「愛」を知らない人間をして「愛してる」と言わせ、きみといれば「愛」がわかるということを確信させる。そんな絶対的な、有無を言わせぬ信頼を、極めてシンプルな言葉で表現する沢田凛さんの技巧には感服の一言です。

しかし、この曲の真に恐ろしいところは、ここが曲の頂点じゃないところです。リスナーの感情を埋めつくしかねない重いフレーズを打ってきた直後に、それを上回るような轟音のギターソロが押し寄せてきます。その様はまさに感情の絶頂。でもそこに不思議と荒々しさは感じられなくて、あるのは圧倒的な多幸感です。

そして、ギターが大人しくなってくるのと時を同じくして、暗転した画面に白文字のクレジットが流れてきます。これがまるで映画のスタッフロールのように見えるのが単なる視覚的な要因によるものではないことは言うまでもないでしょう。

以上、後半の1分30秒間のことをちょっと珍しいくらいのテンションで話してきました。ただ、前半部分が語るに足らないものかと言うと全くそんなことはなくて、むしろこの部分をしっかりと聴くことで後半のカタルシスが完成されるのではないでしょうか。(実際私はこの後半に盛り上がる構成を理解できなかったために、投稿から約1ヶ月遅れで曲の魅力に気づくことになりました…)




最後まで読んでいただきありがとうございました。読みづらい文章ですみません。

後編に続いたらいいな



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