見出し画像

自己解釈 「⑨」

 こんにちは、ぼうはちと申します。今回は、2018年7月6日に投稿されたてにをはさんとemonさんのコラボ楽曲「⑨」について、自己解釈のようなものを語っていこうかと思います。ヘッダー画像はみずすさんのTwitter(@tatakinofu)よりお借りしました。

⑨/鏡音リン■lyric てにをは (@edogawa_sampo)■music emon (@emon316)■illust みずす(@tatakinofu)

 

 さて、この楽曲には、二人の女の子が登場します。一番を歌っている子と二番を歌っている子です(物凄く適当な説明ですが)。この二人が卓球というスポーツを通して触れ合った互いのことを、そして彼女と過ごした青春時代のことを回想するという構成の作品なのですが、何と言っても対照的な二人の描写、そしてそこから見えてくる彼女達の物語が素晴らしいのです。

 今回は、曲中で表現されている二人のキャラクター性を比較して、そこから楽曲の世界観・二人の関係性などを解釈していきたいと思います。筆者の主観・想像が多分に含まれていますので、これが正しい解釈だとは思わず、「そういう見方もあるんだな」というスタンスで読んでいただけると幸いです。

 二人の性格を比較してみる

 二人の性格の違いは随所に表れていますが、一番わかりやすい例はリンの調教でしょう。一番の子は穏やかしっとりした声優しい感じです。人によっては少し内向的にも感じるかも。それに対して二番の子は力強くてハリのある声で、全く違った印象を受けます。また、声が切り替わる二番の歌い出しの部分はそれまでよりも重めのベース音が入っていて、雰囲気の変化が表現されています(ベースで合ってますよね…?)。

 また、一番の子と二番の子の性格の違いは彼女たちの言葉遣いにも表れています。ちょっとこの呼び方はまどろっこしいので、以後は一番の子を「Tちゃん」、二番の子を「Kちゃん」と呼ぶことにしましょう。…あまりにもセンスがない

 まず、二人の一人称と二人称の違いを見てみましょう。Tちゃんは「」「」なのに対して、Kちゃんは「あたし」「あいつ」です。どうやらKちゃんはTちゃんと比べると気の強い性格をしているようですね。こういった表現はかなりベタな手法ですが、そのぶん性格の違いがわかりやすく伝わります。

 また、曲中では二人が卓球をする描写がありますが、そのピンポン球を、Tちゃんは「宇宙で一番小さな流れ星」、Kちゃんは「直径4cmばかりのタマシイ」と表現しています。単体として見ても上質な比喩表現ですが、ここにもやはり二人のキャラクター性が出ていると思います。

 まず、「流れ星」という表現はどこかロマンチックです。乙女らしさなんかも感じられます。個人的には、スポーツ漫画に出てくる「天才型」っぽいな、とも思いましたました。対して「タマシイ」という言葉は熱血情熱といった言葉が連想されるものです。ただしこれがカタカナ表記になっていることで、「魂」という言葉の持つ重さが若干中和されています。真っ直ぐな熱血キャラというよりは、少し斜に構えているような感じでしょうか。

 さて、ここまで曲の中の対比されている箇所を並べてきましたが、2人のキャラクターが対照的な描かれ方をしていることがわかります。一言で言うと、大人しめなTちゃんと気の強いKちゃん、という感じです。


歌詞から色々考えてみる

 …なんというか、とても雑な見出しです。この項ではいくつかの歌詞に注目して、そこから曲の世界観などを考察していきたいと思います。

「私/君、ピンと言う 君/あいつがポンと返す」

 本曲の歌詞の一番と二番に共通しているフレーズとして、Aメロのこの部分があります。ここは二人がネットを挟んでボールを打ち合う様子を描いているのですが、その後の歌詞は一番(Tちゃん)が「ガムの味が消える」、二番(Kちゃん)が「世界が変わった」と続きます。

 これがお互いの実力を認め合ったシーンであることは間違いないとして、他にもいくつかわかることがあります。

 まず、この二人の卓球の実力差です。「ガムの味が消える」というのは油断できない相手を前にして気を引き締め直す、くらいの気持ちですが、「世界が変わった」というのは今まで出会ったことのないレベルの相手を前にした感想です。この時点では、卓球の強さはTちゃん>Kちゃんであったと考えられます。

 また、Tちゃんがスポーツ中にガムを噛んでいるというところも注目すべきでしょう。比較的穏やかな性格に見える彼女ですが、結構マイペースなところがあるのかもしれません。


あの日泣かされたこと ボールに書いてある(一番)
あの日負かされたこと 瞼に刻んでる(二番)


 今まで散々対比対比と繰り返してきましたが、そういう意味ではこの曲の山場はここでしょう。

 「あの日」に行われた試合でTちゃんはKちゃんを打ち負かした、だが涙を流したのはTちゃんだった、素直に読み取ればそういう状況です。しかしそれ以上の情報は与えられておらず、想像で補わざるを得ません。「あの日」に一体何が起きたのか、それを今から考えていこうと思います(三十年前の事件を特集した報道番組みたいですね)。

 TちゃんがKちゃんに勝ったということは二人に実力差があると考えれば当然です。問題なのは、試合に勝ったTちゃんが「泣かされた」理由です。

 ここからはもう完全に想像です。

 僕はその理由を、KちゃんのTちゃんへの嫉妬というところにあると考えました。「あの日」の試合の後、実力の違いを見せつけられたKちゃんは、相手のことをひたすら観察しました。人一倍卓球への熱意を持っていた彼女にとって、その敗北は屈辱的なものだったのです。「瞼に刻んでる」ほどに。しかし、自分を負かした相手はマイペースで控えめな性格の天才肌の少女でした。自分とは正反対の姿を見て、幼い彼女は自分の努力を全否定されたような気持ちになったことでしょう。それと同時に、大きな才能を持ちながらも卓球への熱意を前面に出さないTちゃんに対して強い憤りを覚えました。

「あたしはこんなに本気でやってるのに、あいつに追いつけない」

彼女はその思いを抑えることはできませんでした。刃のような言葉を何度も投げつけました。Tちゃんはおそらく何も言い返せなかったでしょう。

Tちゃんは泣きました。何度も泣きました。Kちゃんのことが怖かったのもあります。しかしそれ以上に、自分の才能が他人を傷つけることが恐ろしかったのです。泣いて、泣いて、悩みました。卓球への向き合い方というものを、初めて真剣に考えました。そうやって悩み抜いた挙句に、彼女は決意したのです。「誰より強くなる」ことを。そして彼女は手近にあったピンポン球を拾い、「泣かされた」思い出を刻み込みました。その日の決意を忘れないために。 


 …なんかもう考察の体をなしてないですね。曲を下敷きにして妄想垂れ流してる感じです。

 さて、次の歌詞をご覧ください。(続けるのか)

潰されてへこんじゃって 転がらないボールだって また温めればいい あいつ叫んでた

 二番に出てくるこの歌詞、印象に残っている人も多いのではないでしょうか。ピンポン球の特性から、打ちのめされても立ち上がっていくことの大切さを説いた歌詞は素晴らしいものです。しかし、この言葉が曲中のストーリーにどう絡んでくるのかという問題は、少し気になります。なぜなら、この言葉を言っているのはKちゃんから見た「あいつ」、つまりはTちゃんだからです。さっきの話の中にこの言葉は入りそうにない。僕は、ここにもう一つの物語があると考えました。今度はそれについて書き綴っていこうと思います。

 まず、「潰されてへこんじゃって転がらないボール」とは何の比喩なのか、僕は重いケガを負ったKちゃんのことを表していると考えました。

 これに関しては根拠のこの字もありません。「そうだったら面白いな」という妄想です。従ってこれから書くことも全て妄想です。その点をご理解して読んでいただくと助かります。お前何回予防線張るんだよという感じですが、一応。

 KちゃんはTちゃんというライバルを目指して、激しい練習を続けました。しかし無理がたたったのか、ケガを負ってしばらく卓球ができなくなります。このことは彼女にとって非常に大きなショックでした。天才に追いつくために必死でやった努力を否定されたようなものです。Kちゃんは塞ぎこんでしまいました。卓球をやめよう、そんなふうに考えたこともあったかもしれません。

 そこに現れたのがTちゃんです。自分が強くなろうとするようになったきっかけを作った本人が落ち込んでいるところを見た彼女は、どうにかしてKちゃんを励まそうと思いました。そうして出た言葉が上の歌詞だったのです。と言っても、その「叫び」は教え諭すようなものではなく、自分の感情を整理せずにそのまま吐き出したものでしょう。しかし、そのまっすぐな感情に触れて、Kちゃんは自分の道をもう一度走り出すことができたのです。嫌われても貪欲に「一番」を目指し続ける、それこそが彼女の物語でした。


 おわりに

 連日深夜テンションで書いてたらなかなか恥ずかしい文章が生まれていました。このnoteについて言いたいことは結構あるんですが、言い訳8割自分語り2割みたいになってしまったので割愛。とにかく、皆さんがこの機会に⑨という曲を聞こうと思っていただけたら幸いです。 

 最後まで読んでくださってありがとうございました!

 







 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?