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献血と私

歯磨き粉がなくなったので、
「買い置き、あったかなあ・・」と洗面台の扉を開けてみると
献血の粗品の歯磨き粉がありました。

相方がもらってきたものです。
現在、献血の粗品はなくなってしまったようですから
以前にいただいたもののようですね。

私が、献血を始めたのは、13年ほど前、横浜に移り住んでワンルームマンションで一人暮らしをしていた頃です。
当時、献血の粗品の中に「お米」がありました。

献血には、200ml献血、400ml献血、成分献血があって、
400は、体重50キロ以上でないとダメ、200はあまり需要がないとのことで、私はいつも成分献血をしていました。

成分献血は、いったん取った血を、必要な成分だけ抜いて、また体内に戻すため時間がかかります。(40分から1時間くらい)
看護婦さんが、やさしく声かけしてくれ、毛布などかけてくれて、
飲み物をいただきながら、のんびりテレビを見ることも楽しみのひとつでした。
終わった後は、アイスクリームをいただいて、お米をもらって帰る。

成分献血は、2週間あいだをあける必要があるので、月に2回程度。
一人暮らしの私は、それで、お米をまかなっていました。

でも、そのうち、私の献血に3つの関門が立ちはだかるようになりました。

ひとつ目は、血圧です。

私は、血圧が低く、上が80を切ると献血を断られてしまうので、
軽く運動してから行くようこころがけていました。

ふたつ目が、ヘモグロビン値です。

事前に、採血検査があるのですが、そこでヘモグロビン値が12g以上でないとアウトなのです。

そして、2つの関門を突破して、さいごに問題となるのが
血管の太さなのです。

私は、採血時、看護婦さん泣かせの血管の細さで、
成分献血の場合は、取る時は良いのですが、戻す時に血管が細すぎると
漏れてしまうリスクが高いのだそうです。

私の場合、この3つの関門を通過して、やっとめでたく成分献血へとたどり着くのであります。
最初のころは、断られるのが3回に一回だったのが2回に一度になり、4回5回と断られ続けるようになりました。

歳をとって、血圧はあがり、ヘモグロビン値も問題なくクリアするようになったのですが、どうやら血管の細さだけがネックになるようです。

何度も断られて「ああ、もう 献血はだめなんだろうな。」と諦めムードでいたのですが、
先日、定期的に献血に行っている相方から
「こんなカードをもらってきたよ。」と一枚のカードを手渡されました。


受付でこのカードを見せると、看護婦さんが血管をみて判断してくれます。

せっかくので、ひさしぶりに、献血ルームに行っていました。

受付で、このカードを出すと、奥から看護婦さんがやってきて、私の腕をとり、血管を状態をみて、
「うーん、(血液を)戻す時のリスクが高いから今日はやめた方がいいですね。」といわれました。

「やっぱりね、もう還暦すぎて歳だしね・・」と心の中で思いつつ

「年齢は、関係ないのですか?」ときくと
「年齢は関係ないです。血管の状態は、気候やその日の体調によっても変わります。69歳まではできますから、諦めずにまたいらしてくださいね。」とと看護婦さん。

「せっかくいらしたのですから、飲みものを飲んで帰ってくださいね。」とやさしいお言葉をいただき、その日は温かいお茶をいたいだいて帰りました。


10数年前は、お菓子食べ放題、飲み物飲み放題、雑誌や漫画読み放題で、豪華粗品付き、10回・30回・50回・100回の節目には記念品がいただけました。
我が家には、私がいただいた記念品のガラスのお猪口もあります。

もっと以前は、図書券がもらえた時期もあったそうですね。

さかのぼれば、お金がもらえた時代もあったとか・・

いくらぐらいもらえていたかと言うと、1964年12月の新聞記事によると、400ccで1200円ぐらいだそうです。 当時の高校卒業程度の国家公務員(一般職)の初任給が約14000円(現在の初任給15万円程度)でしたから、1回の献血で1200円というのはけっこうな金額です。2019/08/19(抜粋)

献血ルームは、当時、ひとりで横浜に出てきた私の憩いの場だったのです。