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友情の換金という概念

友情の換金とは何か?その名の通り友情を金に換えることです。ときには、時間であったり労力であったり、あらゆるものに変換されることがありますが、友情を売っても、手に入れるものは大抵見合わないものだと思います。なので友情の換金は避けるべき、と私は考えるようにしています。今回は、友情の換金という概念について掘り下げてみたいと思います。

金で買えないものと言えば?」という質問について、私はいつも「信頼」であると答えています。金で買えるというのは、誰でも金さえ払えば物品やサービスを提供してもらえるという意味としましょう。対して「信頼」は、手に入れるためには、金銭以外に、労力や時間や、思想や相性、メリットとデメリット、将来性や共通の体験や一時の感情やら、さまざまな要素が必要になります。

金で友情は買えると思いますか?信頼同様に友情も金で買うことはできないと私は考えます。また逆に友情は金で売れると思いますか?これに関してはイエスだと私は考えます。友情は増えたり減ったりするし、友情と引き換えに何かを得て、友情がなくなってしまうこともあるはずです。しかし、友情は買うのは高くつくが、売ると安くなってしまうと、私は思うのです。

友情の売買について下記にまとめます。

(1)友情を買うためのコストは安くない
・友情を買うにはコスト(労力、時間、金など)がかかる
・友情は単純に単一のコストを払えば手に入るとは限らない
・良い関係を築くために様々な手段が必要になる

(2)友情は増えたり減ったりする
・良い関係性を築いていくと友情は増える
・関係性を壊すようなことをすると友情は一気に減る

(3)友情価格はお互い様で成り立つ
・良い関係性を築いていると友情価格が実現する
・友情価格はお互い様で成立する
・友情価格を値切ると友情の換金が発生する可能性がある

(4)友情を売ると安い
・片方が無理をするような要望が続く、大きすぎると、友情が減る
・友情がなくなると今後の友情価格は成り立たなくなる
・友情を売って得るリターンは友情を買うコストより安い

関係を続けるメリットより関係を手放して得るメリットの方が少なければ、関係が終わる可能性は低いはずですが、関係を続けるデメリットより関係を手放したデメリットの方が少なければ、関係が終わる可能性があります。

また関係が終わるとき、無理な要望をする側は、自分が要望する代わりに、自分はそれ以上のリターンを相手に与えていると考えているか、あるいは、何のデメリットも与えていないと思っているか、いずれにしろ自分に正義がある信じているからこそ、無理強いをしています。つまり、無理強いをする側は、無理強いを無理強いだと自覚していないと思われます。このように、自分が悪だと考えない相手に対してできることは、説得ではなく距離をおくことが良いだろうと、無理強いされる側が考えるのは仕方がないことです。あるいは冷静に、損をしない関係性と対応に切り替えるでしょうが、それは友情というよりはビジネスの関係に近いと思います。ビジネスの関係が悪いというわけではありませんが、具体的には「味方できる範囲が狭まる」と、個人的には気にしています。(この「味方」の考え方については別の機会に書きたいですね。)

以上で、友情の換金は合理的に考えて損であるからやめたほうがいいという結論になるのですが、そもそも関係が悪化して終わるのって嫌だよねという話でもあります。しかし関係が悪くなっていく瞬間というか、友情が減るという感覚がわかりにくいの事実だと思います。また人によっては「うわー、よくそんなこと言えるな、空気悪くなったやん」と大体の人が感じているが一人だけわかってないという状況も多々起きたりするはず。友情が貯蓄されていく感覚や友情が減る感覚が鈍い、鋭いという個人差は確実にあると私は思っています。そしてこの感覚が鈍いと、深い関係が築けなかったり、関係そのものが長続きしないとも考えています。

「それは友達でも嫌だ」っていう体験をさせられたときに、それまで貯蓄された友情が減る感覚が、私にはあります。それを感じるのが、労力、時間、金の問題が起こったときであり、特に金の問題は著しく友情が減る気がします。「それは嫌だ」と、思っていても「友達だろ!」ということでやらねばならないとき、友情の換金が発生します。友情の換金がされると友情は労力や時間、金に換えられて減っていきます。それがゼロになったとき「この人とはもう付き合いたくない」と関係を絶つ考えに至ります。

この「友情が減る」という感覚が鈍い人は、友達の、いいえ、他人の労力や時間や金までもを、使うことに躊躇がないように感じます。自分のために、他人に動いてもらうのは悪いな、という気持ちに対して鈍くなりがちなのではないでしょうか?逆にいうと、そういう人は初対面で一気に距離を詰めることが得意で、営業向きというか、関係を早く作ることに向いているのかもしれません。これはビジネスの世界ではとても有能だと思うのですが、友情などプライベートの世界でいうならば、浅く広い関係であり、センシティブな部分までを晒すような関係を作るのには不向きだと思います。ではどうしたら良いか…というところまでは私は至っていないのですが、単純に寂しいなという感想が出ます。

改めてまとめますと、友情は貯蓄するときは時間がかかり、換金されてなくなるときは一瞬。友情は売ると安くて、友情の換金は見合わない損害が発生する。よって「友情を売るのはろくでもない」と考えるようにしています。

文中でも書きましたが、次回は「味方」という概念について書きたくなってきましたね。ビジネスは利害一致の関係、友情は利害以外の個人的感情や、センシティブなことやプライベートなことも含めた味方という関係だと私は考えています。友情関係を発展させた「味方」を得ることの大事さについて書いてみたいと思います。

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