藤圭子という名の流星。

今寝る前に読んでいる本が「流星ひとつ」だ。沢木耕太郎著のノンフィクション。久しぶりに次が常に読みたくなる本に出逢った。いろいろな意味ですごい本だ。まず、本のすべて(まだ全部読んでないが)が沢木氏と藤圭子の会話だけで成り立っている。

沢木氏のインタビューという形で、このやりとりは行われるが、最初、若い時の沢尻エリカのように藤はそっけない。しかし杯を重ねる度に、彼女の言葉数は増えていく。

沢木の会話の引き出し方もすごいが、藤圭子のさりげない一言一言に重みを感じる。そして、歌に対する真摯な姿勢。趣味の一環としてライブをやっている身(僕です)としても、これは姿勢を正さねばという気持ちになる。そしてかっこいいんだよなぁ。NHKから誘いがなかった年、もうでてやらないと啖呵を切ってまわりが慌てふためいた話とか、紅白でラインダンスをやってほしいと言われても頑として聞き入れなかった話とか。とにかく筋が一本通っている。

歌に対する姿勢。「面影平野」という曲に関しての藤の言葉が本当にささる。「あたしにはあの曲はいいとは思えないんだよ」という。確かに歌詞はすごいし、なんでこんな詩がかけるの、と思う。でも心に引っかかるものがない、という。自分が引っかからない歌に、聴いている人が引っかかる訳がない。結局この歌はヒットしなかったという。

藤にとって「心に引っかかる」曲は、「女のブルース」であり、「新宿の女」であった。そして実際動画で観ると、それを歌う時の彼女の目は、本当に輝いている。目はまっすぐで表情は真剣だが、歌うことの楽しさを抑えきれていない。そして、歌い終わったときにわずかに口角を上げるのだ。満足しきったように。

喉の結節を取り去る手術をした際、彼女本来のハスキーボイスまで取り去られてしまった。それを彼女はずっと悔いていて、引退を決断した一因にもなる。彼女は歌が大好きだったし、歌う自分の声も好きだった。でも、変わってしまった。楽しく歌えないということは聞いている人にも響かないということだ。

ウィキペディアを見ると引退の2年後には復帰し、ライブ活動もしていたというが、声が変わっても、歌の楽しさを少しでも感じようとしていたに違いない。

調べると彼女が自殺した約2カ月後にこの本は発売されている。しかし28歳の、引退発表した直後の藤圭子がそこにいる。沢木氏も、もしかしたら彼女が自殺しなかったらこの本を発表しなかったかもしれない。いや、自殺してもこの本を出すべきか迷ったかもしれない。後半、父親から虐待されていた過去も明かされる。それを読んだ時、彼女が垣間見せるおどおどした目の意味が分かった気がした。愚直なまでにまっすぐだった藤圭子。歌を何より大事にした藤圭子。僕は彼女のCD全集を予約してしまった。手にした時は、目をつぶって聞いてみたいと思う。

最後に、藤圭子が大好きだという「女のブルース」の歌詞の一節を。

どこで生きても 風が吹く /    どこで生きても 雨が降る   /    どこで生きても ひとり花   /    どこで生きても いつか散る


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