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だいたいは屁みたいなものだから。

こんにちは。ボツイチ・ボッチしあわせ研究所の研究員Mと申します。
とある街にあるニッチな研究に取り組むちいさな研究所、
という設定でやらせていただいています。

40代も半ばになっていきなりひとりぼっちで世間に放り出されて
どーしよ・・・って呆然としていた時に思ったことは、
ボツイチ(未亡人)だからって腫れ物にさわるような扱いを
うけたくないなあ、ということと、面倒なおばさんになりたくないなあ、
ってことでした。
なので情報開示には慎重でほとんどの人には私がボツイチであることを
明かしてはいません。それでも私ってマイノリティなんだ。
って思わざるを得ないことはよくあります。
そんな言葉に出くわしたときのことと思ったことを
つれづれなるままに書きます。


嬌声

初めて訪れた美容院で私は、目の前に置かれた雑誌に目を通していた。
誰もが知る超高級住宅街と私たち庶民が住む昔ながらの住宅街の間の、
高級住宅街寄りに美容院はある。
隣町でお散歩を兼ねて徒歩でも行くこともできる適度な距離だ。
美容院のために電車に乗っておしゃれな街にわざわざでかけていくことが
なんだか億劫。その事自体がもう若くないんだ、と実感させられる。

雑誌はというとOL向けファッション誌で、私の年齢を察して
(そして恐らく気を遣って)若めなものを用意してくれたせいで
全く参考にならない。

「初めてですよね?何でここを知ったんですか?」みたいなよくある
普通の会話をしたと思う。
興味のない雑誌をパラパラめくって写真だけ見て、スキャンするように
情報収集した。へーこんなの流行ってるんだ(棒)、と
ひたすらパラパラとスキャンしていた。

彼も初来店の客を接客するのは緊張するのか、ややひねた様子の話し方で
たまに笑うときには高い声がひっくり返るようで、
嬌声、という言葉が頭に浮かぶ。
「この笑い声、知ってる」と思った。

絶句

OL向けファッション誌2冊を高速スキャンした後、
自分では絶対に買わなさそうな少し尖った雑誌にも目をやると
独特なファッションをした若い子の街角スナップのページがあった。
男の子がファンデーションやアイシャドウを塗っていた。
それだけでなんだか艶っぽく見えるから不思議だ。
ファッション系の専門学校に通ってそうだなあ、などと思いながら
アラフィフの私にはピンとこない高感度なのであろうスナップの
一つひとつ見ていると、美容師の彼が背後から言った。

「俺、こういうヤツ見るとぶん殴りたくなるんですよ」

「・・・・・・」
私は言葉に詰まってしまった。
ただ好きなファッションを着ているだけで、それを見てぶん殴りたくなる人
がいるんだ?と恐ろしく感じた。
少なくとも編集者がいいと思ったから雑誌にも掲載されているはずだ。
それが彼の素直な意見だとしても、初対面の客にそれを共有するのか。

偏見

辛うじて「どうしてぶん殴りたいの?」と聞いた。
男のくせになよなよすんなって、なんで化粧なんかするんだよ、
なんたらかんたら、べらべらべら・・・
どうやら化粧はオンナのすることだから男がするのはおかしい、
こいつはオカマだとかそんなことをいいたいらしい。
ひと通りの辛辣コメントをならべたてるのを聞きながら
私は彼の言動から彼はゲイなのかもしれない、と思っていたから
ぶん殴りたいなんて言葉が出てくる事自体が意外だなと思った。
自分のセクシャリティを隠すために雑誌の中の
見知らぬ若者を無駄に攻撃してたのかもしれないけど。

「でもさ、昔からファッションに興味がある人でお化粧する男性はいるよ。
別にいいんじゃないの。お化粧したい人はすればいいし、スカート履きたい人は履けば。それとセクシュアリティは別でしょ」と言った。
彼は「そうなんすかねえ、」と納得がいかない様子だった。
だいたい雑誌に載っている今後会うこともない男の子が
ストレートであろうがなかろうが彼には関係がないだろうに。

「いいじゃない、彼がしあわせなら。」と私が言ったら美容師の彼は
「マジ、菩薩っすね!」と目を剥いた。
もし私がレズビアンだとして、それを告げて「この話は不快だ!」と
怒ったらこの彼はどうするんだろう、謝るんだろうか。

「昔からミュージシャンやアーティストはメイクしてたじゃない」
と私はセクシャリティから芸能に話をすり替えた。

もともと性的指向には特に偏見はないつもりだし、
本人がしあわせなら私もそのほうがうれしいし、
(そんな感想はご当人にしたら余計なお世話なのも重々承知)
ぶん殴りたくなる要素がどこにあるのかさっぱりわからない。


だいたい、異性愛が当然とされる世の中で、人は結婚するのが当然、
子どもを産んで自分の代の家族を作るのがよろこびだし当然、
次の代へと受け継ぐのがしあわせだし当然、
というマジョリティから私自身が外れている。
40代にして未亡人、子なしの私はれっきとしたマイノリティだ。
しかも毒親の母とは接触機会はミニマムにしたいので本当にボッチだ。
しかもこのカテゴリーは認知されていないから
日々悪意のない差別や区別にもさらされる。

有名料理研究家のレシピ本を開いて「・・・。うわ。ひどいな。」
会社の人事評価サイト開いて「・・・。はあ?!なんなの?」
婦人科の問診票で「・・・。あほか。関係ないだろ。」
誰もひっかからないだろうことに私はひっかかる。
配偶者を亡くした人が見ると想定して作られていないからだ。

それにメディアからの配慮あるメッセージを
コンテンツに込められることもまずない。
人の死はエンタメ業界にとってコンテンツに深みを与え
人の感情をゆさぶる香辛料でしかないみたいだ。
ちょうど自宅でハンバーグを作る時にナツメグを入れると
簡単にプロっぽい味になるように。
それを見せつけられるから私は映画が見られなくなった。
大画面で見た日には、一生浮き上がれなくなるほど沈んでしまいそうだ。

言葉

マジョリティが当たり前に発する言葉や行動を、
マイノリティは同じように受け止められない。
私自身、そんな言葉に苦しめられたし、
言葉や態度は気をつけなくてはならないと思い知らされる。
それでも誰かを怒らせたり悲しませたりするものだ。
誰だって自分の生活に何かしらの不満があるから
ある程度普通に暮らしている人はなんとなく誰もが同じ程度の
不平・不満で暮らしていると思いがちだ。
だけどなんとか泣かないように、なんとか命を絶たないように
とどまっているギリギリの人が普通に身の回りにいる可能性を
忘れないでいたい。
何気ない一言が、そのやっとの思いで縁にとどまっていた人に
すべてをあきらめるきっかけを与えてしまうかもしれない。
思い切り押し飛ばさなくてもそっとふれただけで
崖の下へ落ちてしまうほどギリギリにいる人がいるのだ。

慈愛

だから私は毒舌はなるべく封印するし
なにか思うようにいかない時や意に沿わない時は
そういう考え方もあるのねえ、と無理矢理でも思うことにした。
念仏のようにぶつぶつ唱えなくてはならないときもあるし、
私は違うけど(怒)と気持ちが収まらないときもあるけど、
どうして気持ちが収まらないの?と自問自答して
「まだまだ褒められたいのね、私。」「認められたいのね。」
と気づくこともある。
その時は「いい子、いい子。よく頑張ったねえ。」
と自分で頭を撫でて褒める。
だって最愛の夫と死に別れることに比べたら
だいたいは屁みたいなもんなんだから。



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