渋谷すばるさんのファンとして生きるということ。


◆しばし自分語り、失礼します。

ちょこちょこ呟いたりもしているのでご存じの方もいらっしゃるかと思うのだが、私はかつて某Kpopアイドルのオタクをかなりどっぷりとやっていた。
Kpop界隈でオタクを突き詰めようと思うと、ファン同士における知恵と札束での殴り合いは不可避となる。

世界中のどこで公演をやろうと最前に集まるメンツは顔見知りばかり、
誰がTO(トップオタ)の座を得るか水面下で鎬(しのぎ)を削り合い、どんなペンサ(ファンサ)をされたかSNSを通してのマウント合戦、
「あの人はなんの仕事をしているらしい」とか真偽不明の噂ばかりが飛び交い、その消耗戦に、もう私はほとほと疲れていた。
どんなに頑張ったところでオタクは所詮オタク、その井戸の中で目立ってもいいことなんてひとつもねーな、と思った。

アイドル側も、どの公演をやっても毎回前列に同じメンツが座ることに慣れすぎていて、公演のラストに「みんなまた明日~」と言って帰ることすらあった(ドーム、アリーナクラスのアイドルが、である)。
まあ、あの狂騒はそれはそれで楽しかったのだが、「兵役」というタイムリミットがあるからこそ走り抜けられた青春のようなものだった気もしている。

そんな頃に観た関ジャニ∞『元気が出るLIVE』のDVDで、私は後頭部をシャベルでぶっ叩かれるような感覚を覚えた。言わずと知れた、大倉くんが病欠した例の公演である。

話は更に遡り、それ以前に…2014年頃だろうか、知人の家で当時出たばかりの『JUKE BOX』円盤の渋谷すばるをうっかり観てしまったことがあった。
もちろん、昔から渋谷さんのことは認識していた。でもそれは「鈴木福くん」を知っているのと同じくらいの温度感で認識していたに過ぎない。なんで福くんかに意味はない。ただその時、本当の意味で初めて渋谷すばるを知った。
陳腐な表現だけれど、雷に打たれたような衝撃だった。
人生で後にも先にもないくらい。
信じられないくらい、好きだと思った。

その帰り道、初めて「渋谷すばる」とGoogleに打ち込んで画像検索をした。何枚か保存した。人生で初めて私のカメラロールに日本人のアイドルが保存された瞬間だった。
しかしその頃K沼に頭頂部まで浸かっていた私は、「今この人を本気で追ったら人生が破綻する」と思い、一旦その衝撃に蓋をすることにした。

…で、まあ、以降しばらくは遠巻きから薄目で観る程度だった。友達にeighterがいるわけでもなかったし、知らない振りをしようと思えば生活は忙しく回る。
でも、我慢できず買った『元気コン』のDVDを観てしまったら、いよいよもうダメだった。

ちょっとでもかじったことがある方ならおわかりかと思うのだが、Kpop界では、メンバーが欠けた状態で公演に臨むことなど日常茶飯事なのである。
ケガとか病気とか不祥事で謹慎とか事務所と揉めるとか休養とか脱退とか中国に帰ったまま戻ってこないとか、めちゃくちゃ普通にある。ので、海外まで飛んだけどお目当てのメンバーが出なかったなんてことがあっても、「最悪や~」と愚痴ることはあってもファンも別にさほど動揺しない。

そんな文化に慣れきっていた私は、『元気コン』のDVDで、
公演前の舞台裏映像から、大倉くんが出ないことで泣いているファンがいることに本気で心を痛め、MCで「悲しい思いをした人がいると思うけど、でも、俺らはみんなの前に立とうって決めたんで…また来てくださいよ」と言って涙を流す渋谷すばるを観て、
こんなに純粋な人がこの世に居るのかと、
この人は15歳からステージに立ち続けているのに、どうしてこんなにも純度の高いままでいられるのだろうかと、

自分にとっての長いキャリアにおける公演のひとつとして事態を受け止めるのではなく、
1年に1度のコンサートを楽しみに毎日の生活を頑張って、あの場所に辿り着いたファン一人ひとりの心を想像して泣いてしまう
この人のことを、
その生き様を、歌う歌を、やっぱり絶対に見逃したくないと、
まあ、そんな感じで結局、渋谷すばるという人を本気で追うことに決めたのであった。(つまり、きっと多くの方が想像されるよりも担歴は極浅です。今更ですが。)

◆推しの「人間宣言」について

関ジャニ∞のオタクをやるのは楽しかった。
生で彼らを見られるのは基本的に年に一度のドームツアーだけ、ゴリゴリの新規オタクとしては認知など狙う気も起きようがない、ただ一方的に、彼が、彼らが歌ったり仲よさそうにはしゃいだりしている姿を遠くから見ているだけで、幸せだった。

オタクとしての自分の立ち位置を誰かと競う必要がないというのは、精神衛生上とても楽だった。たくさんいるファンのうちの一人として埋没し、無責任に湧いたり、疲れたら休んでもいい。誰も気にしない。お金をかけなくても楽しめるコンテンツが山ほどあって、ジャニーズってすごいなとしみじみ感心していた。

私にとって長い間、渋谷すばるは、空に輝くあまりにも眩しすぎる星だった。

3年前、「二歳」ツアーを見た私は、自分のInstagramにこう書いていた。

「結局、自分は男の人としてとか、人間に対するような感覚であの人を見ていないのかもしれない。サバンナで生きる獣とかを見るとなんだか猛烈に憧れたり切なくなったりする。そんなふうに彼のことを見ているのかもしれない」

Instagramより

星であり、サバンナに生きる美しい獣であり、
半径3メートル以内に近づくと自分が爆発すると本気で思っていた。
触れられない、触れたいとすら思わない、光。
一方的に降り注ぐ光で勝手に光合成をしながら、私たちは生きていくだけ。

危なっかしくて、正直すぎて誤魔化しがないからこそ気まぐれに見えて、
言葉が少なくて、何を考えているかわからなくて、
わからない、捉えられないからこそ、好きなのかなと思っていた。

そんな「スーパースター渋谷すばる」が。

この一年弱で、急速に、生々しい、実体を持った、切ったら血が出る「人間」になった。そのことの意味について、私はずっと繰り返し考えている。

そう思うに至る理由はいくつかあった。
数えると、昨年秋のツアーから、私は渋谷すばるを24回観た。
いずれもかつてでは考えられない程の至近距離だったし、公演後に偶然コンビニで遭遇して少しだけ話す機会もあった。

私は俗物だから、彼が事務所をやめると言った当初、
5大ドームを埋めて、たくさんのファンや華やかな人たちからちやほやされて、いい服を着ていい暮らしをして、そんな生活を進んで捨てる人の気持ちがどうしたって理解できなかった。
失ってみて初めてその有り難みがわかるんじゃないのかなと、意地悪なことをどこかで思っていた。

けれど、彼はそんな素振りは一切見せなかった。
「たくさん素敵な恰好はさせてもらったから、もう充分です」と穏やかな口調で語り、何年も同じ服を着てボロボロのサンダルで地方までやってきて、毎回2時間弱、小さな身体を拡声器のようにして全力で歌を届けて、音楽をやっている間だけ、本当に幸せそうに笑った。
ライブ後には当たり前に一人でコンビニに寄って、恐らくビールを買って帰っていった。

コンビニ寄ろう人間だ
ビールを飲もう人間だ

『ワレワレハニンゲンダ』より

なんだかんだやっぱり公演の二日目のほうがテンションが高いことも、うまく噛み合わないと少しもどかしそうにすることも。
客席のノリに煽られてテンションが上がっていくことも、愛されたら気恥ずかしそうに微笑むことも、本当に高ぶった時は語彙を失い、ただひたすら何度も「ありがとう!」と叫び続けることも。どうしたって、ライブを通して見る彼の振る舞いはあまりに人間らしかった。

その後開催されたFCイベントでは、積極的にファンと交流をはかった。配信での通信を含め、たくさんのファンが、一対一で直接彼と言葉を交わしていく。
質問のすべてに、嘘のないように、でも誰も傷つけないようにと、必死で頭を働かせながら答えていく姿に、そのあまりの誠実さに、何度も胸が苦しいほど熱くなった。

また、かつてないほど、彼自身から発せられる言葉の多い10か月間でもあった。
ライブやイベント、毎週更新されるFCブログ、会報、配信、雑誌インタビュー、二つのラジオ、次々に開設・更新されるSNS。
今、何を考え、どう過ごしているのか。これまで必死で想像していた彼の状況や気持ちを、リアルタイムで答え合わせをしながら確認できるという革命。
そして、そこに違和感や自分の解釈との齟齬を感じたことは一瞬もなかった。何を言いたいのか、何を感じているのか、染みわたるように、すべてわかった。そのすべては、生々しくて、ひとつの虚飾もない、生きた言葉だった。

そうか、そうだよな
この人は、現実と闘いながら私たちと同じ地平を生きている、人間なのだ。

『ワレワレハニンゲンダ』と叫んできた人が、ファンのことを同じ「ニンゲン」と呼ぶ人が、文字通り、切られたら血の出る人間として必死に生きている、生きようとしている。

そのことが、何かあるたびに、少しずつするすると腑に落ちていく。

先日、あるファンの方が開いたTwitter(Xか)のスペースに、彼自身がスピーカーとなり参加し、話す機会があった。

そこでも、彼はファンに対して「同じ人間なんだから」と繰り返し発言していた。同じ人間なんだから、こんな風に話すのは、普通のことだと。

そしてそのスペースは、彼がグループを脱退後、一人で海外に拠点を置いて生活していたことが、これまで一切語られることのなかった真実が、初めて明らかになる貴重な機会となった。

「独立してすぐ、海外に拠点を構えたんですよ。なんにもしてないとか言われるけど、俺は一人で海外に行って家の契約とかやってたんですよ。英語も一個も喋られへんのに。死ぬかなと思ったもん」

「海外で自分の音楽を試したいなと思って、なんの宛ても伝手もないけど、知り合いでこの辺でスタジオやっている人がいるよというのだけを頼りに。大使館に行って長期滞在できるように、ビザの手配もして」

「一回、生活するために口座を作りにLAのウェルズファーゴっていう銀行に行って、現地の日本人の方と遭遇したことがあって、情報があがったと思うんやけど、あれリアルやねん」

「ファーストアルバムの『二歳』収録曲のデモとか骨組みは向こうで作ってるんですよ。レコーディングだけしに日本に戻って、また海外に戻ってなんとか向こうでも何か形にできたらと思っていたら、ツアーが始まってコロナになって戻れなくなっちゃった」

「だから、海外に拠点は持ったけども、やろうとはしてたけども、何かをやったわけじゃないからさ。現地でCDの一枚でも出せてたら何か言えてたけど、何もやれたわけじゃないから。『お前何もしてへんやんけ』とか色々言われるけど、それに対して言えることがないんだよね」

「いいの、何言われたっていいんだよ。それに対して反論でもないし。『やろうとしてたんですよ』って言うのも違うし。なんか一個でも結果出してからそれ言えよって話だと思うからさ。だからなかなかね…なんか、もどかしいことはたくさんあったよね。今何年も時間が経って、そんなことも全部今に繋がってるから、全然いいんだけど。色々ね…頑張ってたんだよ(笑)」

いかん、書き起こしただけでまた泣いてしまう。
渋谷さんはこんなことを語り、寂しそうに笑った。

(改めて、スペース開催してくださったミカミさん、アーカイブを残していただきありがとうございました)

私はずっと、渋谷さん、本当は色々あるだろうに、何を言われても言い訳や説明をしないよなあと、
最後のスバラジでも、独立した後もあらゆる言葉を呑み込んで黙っている姿を見てきて、その姿がカッコよかったんだけど、カッコよすぎて寂しいなと思っていた。

でも、このスペースで、「ああ、本当は言いたかったんだな」と思った。
本当はきっと、誰かに引き出してほしかったんだと思う。語る機会を求めていたんだと思う。
それなのに、あまりに高潔で、ずっと一人で抱えて黙っていた。

実際にあった途方もない苦労の、ほんの一部だけだろうけれど。今回、ファンの前で初めて「言い訳」を吐露してくれたことが、すごく嬉しかった。

そして、改めて思う。

才能というギフトがあるかという圧倒的な差はあれど。
この人は、私たちと同じ人間でありながら、何からも守られることのない状態で、自分の名前を背負って勝負をかけてきたのだ。これまでも、これからも。
あらゆる憶測や邪推や、勝手な理想の押し付けや、そこから外れたことを「裏切り」と呼ばれたり、そんなことを受け止めながら、ここまで何も言い訳せずに、たった一人で抱えて生きてきたのだ。

彼は傷ついていた。我慢していた。そりゃそうだよな、と思う。本当は私もそんなことずっと前から知っていたような気がする。
でも、なんか、心中を想像するのもおこがましいような気がしていた。だって、良くも悪くも私とは違う、“特別な人”だと思っていたから。

それは「アイドルの魔法が解ける」という感覚とは、まるで逆の革命でもあった。
たった一人の、生身の、自分と同じ血の流れる人間が、見知らぬ誰かの心をこんなにも熱くさせ、人生を変えてしまうくらいに幸せにする力を持っているということ。

みんなのことを喜ばせて楽しませるためにどんなことでもやると、自分の人生はもうそれしかないから、「死ぬまで渋谷すばるとしての人生を全うする」と宣言して、今、かっこ悪かろうがなんだろうが、思いつく限りのあらゆることを実践すべくガムシャラに動いているということ。

それが、特別な、キラキラした、手の届かないスーパーアイドルなんかじゃなくて、ただの、生身の41歳の男の人が今、たった一人で挑んでいる人生なのだ。

その事実に、私は途方もない感動を覚える。自分の人生を生きる上での勇気をもらう。
いつだって、渋谷さんに恥じないファンでいたいよ。同じ人間として、あなたとちゃんと向き合えるように、私は生きる。

◆推しとオタクとSNSと

……さて、ここまでが先日Twitter(Xか)に投下した長文の焼き直しである。
今回の本題は、ここから先となる。毎度長くて申し訳ない。

「人間宣言」をした渋谷さんは、今猛烈な勢いで、あらゆる手段を用いながら、「同じ人間である」ファンとの交流を始めている。

先に触れたイベントや配信での交流もさることながら、この2か月の間での激変と言えば、突然のSNSの活発化である。

5月末のツアー告知インスタライブを皮切りに、閉鎖していたInstagramのコメント欄を開放。
Metaが立ち上げた新しいSNS Threadsにもアカウントを開設し、満を持して本人名義のTwitter(Xか)(どっちでもええわ)も再始動することとなった。

ブログやFCイベントで語った「もう怖いものなんてないんですよ」という言葉通り、傷つくことを恐れることなく、かっこつけることもなく、ガンガン真っ直ぐに発信していく。

さすがに全てとまではいかないものの、コメントやリプに対してどんどん「いいね」を付けていく。
更にはコメントを返したり、大喜利大会を開いたり、ファンの引リツをランダムにRTしたりする。
その挙動というか規則性はちっとも読めなくて、朝起きてTwitter(Xか)(以下略)を開いたら2日前のリプに突然返事が来ていたりしたこともあった。普通にぶったまげた。自由だな〜と笑ったりもした。

ファンに対するコメ返を見ていると、しみじみ感心してしまう。
彼は、一人ひとりの人生を精一杯想像しようとしている。
どんな仕事をしているのか尋ねたり、その人のキャラクター性を深く理解した上でアドバイスをしたり、優しく寄り添ったり、心からの感謝を伝えたり。
その有り様はちょっと、常識外れでさえある。

元ジャニーズアイドルだという前提を取っ払ったとしても、普通の著名人がファン相手にやるレベルを優に超えている。
すごいな、と思う。
さすが、『元気コン』で本気で泣いた人だと思う。
表面上に見えるモードは山の天気に劣らぬくらいどんどん変わっていくけれど、彼の根本はずーっと、何も変わらない。

一人ひとりと、人間らしい交流がしたい。
あらゆる手段を駆使して。
一人でも、多くの人と。
思いつく限りの手段で愛を伝えたい。
それはもう、執念にすら似た強い意志。

その結果、たくさんの幸せがそこかしこで生まれている。
「いいね」がもらえた、お話できた、リプが返ってきた、嬉しい、嬉しい。

その反面、どうしたって生まれる陰がある。
その事実が、私は今、気になって仕方がない。

一般論を駆使しても胡散臭いだけなので、自分自身の感情を包み隠さず語ると、
私は、渋谷さんからリアクションがあると、とても嬉しい。
その一方で、スルーされると、たちまち不安になる。
やべー、つまらんと思われたかな、嫌われたかな、と思う。

全部自意識過剰なのは理解している。
渋谷すばるがそんなことでファンを見放すような人間でないことは、自分が一番理解しているはずなのに。
誰かがそんな不安を吐露していたら、「絶対にそんなことないよ」と熱弁できる自信があるのに。自分のこととなると、たちまちダメなのである。

だって、大好きだから。
「推しから嫌われる、それ即ち死」の世界である。
世界で一番好きな人におもんねえ奴と思われるリスクを抱えて生きるのは、イカゲームくらいしんどい。ごめん、イカゲーム観てないんですけど。

そもそも、「推しとの心地の良い距離」というのは、ファンにとっても一人ずつ異なるものである。
何のてらいもなくリプやコメントができるタイプの人もいれば、どうしてもできない人もいる。
引RT祭りに怯えて、鍵垢に変えた人もいる。
全員、等しく渋谷さんのことが大好きだから。大好きだからこそ、それぞれ必死に適切な距離を測ろうと今、もがいているのだ。

そして、「推しとファン」の関係性というのは、そもそもにして対等ではない。その主導権は絶対的に相手側が握っている。いわゆる「権威勾配」があまりにも高すぎる。
誰も渋谷さんを悲しませたくはない。
彼がリアクションを求めるならできる限り返したい。与えてくれるのと同じだけの愛を、伝えたい。
けれど、どうしたって考えてしまう。

なんであの人には返事をしているのに自分にはこないんだろう。
なんで今回はいいねが貰えなかったんだろう。
自分の何がいけないんだろう。どうしたら彼に響くんだろう。

そんなことのすべてに、どうしたって心が掻き乱されていく。
うらやんだり、嫉妬したりしたくない。
好かれようと狙ったコメントをしている自分が恥ずかしい。
誰かと比べて、自分がどんどん哀れに思えてくる。

…そんなことが、途轍もなく苦しい。

◆じゃあ、どうやって向き合っていこうか

書きながら、それでもどこかで、この異常事態が巻き起こっている事実そのものが、極めて渋谷さんらしいなとも思っている。

彼は自分の名前を背負いながら、一人の人間として生きている。
ファンに対して「人間同士」のコミュニケーションを求めている。
その結果、完全に彼のフィールドに力尽くで引きずり込まれ、彼と向き合うことを通して、ファン側にも、己の言動すべてに責任が生じるようになってしまった。

言ってしまえば、渋谷すばるのファンとして生きるという、覚悟が試されることとなったのだ。

それは、私が関ジャニ∞を好きになった時に感じた、ファン同士の間に序列なんて一切無く、等しく対象と距離のある「埋没した無責任なファン」でいられる居心地の良さ、気楽さとは対照的な場所であった。

これまで、こんなにも切実に、自分のスタンスが問われ、己の発信 一言一句を顧みたことがあっただろうか?

考えてみれば、彼はずっと「その場所」にいたのだ。
自分の言動一つひとつをジャッジされ、持てはやされたり揚げ足を取られたり、時に悪意を持ってねじ曲げられたりする。
そういう中で、何を言うか、言わないか。
逃げ場がないまま、ギリギリのところでずっと闘ってきたんだろうと思う。
改めて、途方もない心労だろうなと思う。

そんな中で、彼が選んだ道はただひとつ、
「自分の気持ちに正直である」という姿勢だった。

彼は言葉にして言わないことは山ほどあったけれど、今もきっとあるだろうけれど、一度だって、私たちに嘘をついたことはなかった。

それがすべてであり、同時に唯一の正解なような気もしている。
本質的に大切なことは、推しから嫌われるかどうかではない。
自分自身が、自分を嫌わないでいられるかどうかだ。

「自分を嫌わない方法」は人それぞれだと思う。
私の場合、自分の発言の中に媚びて偽ったり誤魔化したりする部分があることを自覚すると、たちまち自分が嫌になるので、常に初心を見失わないことを心に決めた。

一年弱前、私が渋谷さんのことをnoteに書き、以降Twitterで積極的に発信を始めた理由はなんなのか。
渋谷さんが理不尽に貶められたり、彼のことでファンが心を痛めたりしている状況をどうにか払拭したいと思い、なるべく冷静に、できればたくさんの方に伝わるように、私が自分の目で見た彼の姿や、精一杯想像した彼の気持ちを発信するためだった。

私は、渋谷さんに好かれるためにSNSを始めたわけではない。
私はただ私のエゴとして、渋谷さんがたくさんの人に愛されてほしくて、彼はそれに値するだけの魅力があると信じて、Kpopオタクをやっていた時に得た教訓「ファンの中で目立ってもいいことなんてひとつもねーな」をぶち破って、積極的に発信する道を選んだのだ。

それを見失わない範囲内で、タイミングや伝えたいことがあれば今後もリプやコメントをし続けるだろうし、そうでない時は無理をしないことに決めた。

「自分を嫌わない方法」、それがアカウントに鍵をかけるという方法であるという人もいると思う。
しばらくSNSと距離を取る人もいると思う。
どんなに傷ついてもめげずにコメントし続ける人もいると思う。
それは、それぞれが一番居心地の良い道を選べばいいというお話。

本当に、苦笑するほどに極端な人なので、ここまでいきなり活動が活発化するとフット後藤じゃなくても高低差で耳がキーンとなるものですよ。

現場があれば行けない方は疎外感を感じるだろうし、情報を追いきれないことに心が折れる方もいると思う。
たまにFCからお知らせがあったと思えば「すばるパズル更新しました!」みたいな、それ以外にはなんの情報もなくて、みんな同じ歩幅で歩かざるを得なかったこの数年間と比べると、どうしたってファン同士の間で走る速度に差が生まれてしまう状況だけれど。

情報を追い切れなくても、活動についていけなくても、ファン失格だなんて引け目や負い目を感じる必要はない。
それこそ、彼が実際にSNSを通してあるファンの方にこんなコメントをしていたように。

「ついていけないくらい(情報を)出すけど
決して置いていかないからね。
ゆっくりでいいからね」

渋谷すばる公式Threadsより

彼はとにかく、誰も置いていくつもりがないということを、手を替え品を替え、必死で伝えようとしているから、どうかその愛と努力が歪むことなく真っ直ぐに、一人でも多くの方に伝わるといいなと、なんの立場かわからないけれど、私はただ願っている。

「自分がついていけなくなってもすばるくんは気にしないと思うけど」と言う方がたまにいる。

わからないけれど、勝手な想像だけど、
渋谷さんは、絶対にその選択を責めることはしないけれど、本音では寂しがると思う。
その人の代わりになる人なんて、この世界にはいないから。
ファンは、一人ひとり血の通った人間であることを、彼は知っているから。

自分の好きは、自分だけのものだから。
誰も代わりはいない。
たったひとつの、特別な、好き。

見失いそうになった時、私はアルバム『NEED』を聴く。『JUKE BOX』や『元気が出るLIVE』のDVDを観る。
ああ、好きだなと思う。頭がおかしくなるくらい、この人が好きだ。
走り出したいような、叫んで窓ガラスを割りたくなるような衝動が起きる。
私にこんな衝動を起こさせるのは、後にも先にも渋谷すばるしかいない。

苦しくなったら、その気持ちだけを抱きしめて、私は眠る。
そういう確かなものが、きっとファンそれぞれにはあるんじゃないかなと思う。

◆渋谷すばるさんへ/見知らぬあなたへ。

…さて、これを書きながら、私は万が一渋谷さんがこの文章を読んでいたらどうしようかと考えている。
以前だったらおこがましくて露ほども想像しなかったことだけれど、今は、想像しないことの方が失礼にあたるような気がしている。

実際に読むか読まないかは問題ではない。
ただ、彼のファンでいるからには、読まれてもいいような覚悟で書くことが大切なのだと思った。
嘘のない、本当の言葉で。

万が一これを読んでいたら、渋谷さんへ。
あなたは何も気にせず、自分の思うように真っ直ぐに生きてください。
あなたが自分で背負った、たったひとつの最高に素敵な人生だから。

ただ、一つだけワガママを言えるとしたら、
あなたが想像している以上に、ファンはあなたのことが切実に好きだから。
優しくしてあげてほしいです。
これ以上なく優しい人に、無茶なお願いだとは思うけれど。

どうかすべての渋谷すばるを愛する人が、彼のことと同じくらい自分のことを穏やかに愛せますように。

もし苦しくなったら、私でよければいつでも話を聞くので、連絡をください。見知らぬあなたへ。


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