路上園芸学会 | Ayako Murata
大学時代に実家を出て一人暮らしをした当初、大学の近くにあった家具付きの女子学生会館に住んでいた。1年ほど住んで、学生向けのマンションに引っ越した時、初めて家具類などを買い揃え、自分の部屋を作った。 実家からやってきて引っ越しを手伝ってくれた母が帰り際、「生活感を出しなさんなよ。布巾なんか台所にかけると、一気に生活感が出るから」というようなことを言ったのを今でも妙に覚えている。その後何度か引っ越しするたびに母が言ったことを思い出し、最初のうちはハンドソープやシャンプーなど、おし
ご縁ありここ3年ほど、デザイナーの藤田泰実さんと共にSABOTENSで、東北芸術工科大学という美大の、新一年生向けの講義を担当させていただいている。今年も、桜で彩られた春の山形へ行ってきた。 表現やデザインといった技術面というよりは、その手前部分。これからデザインを学ぶ一年生向けの、発見や観察を促す授業だ。 今回は全2回の講義で、校舎の裏手にある丘へ出向き、そこで各自採集した落ち葉や枝、小石などをじっくり観察し、発見したものをチームごとにA3大の紙の上で表してみよう、という
4月。今年も自宅の庭のドクダミが本気を出してきた。毎年この時期になると、ムクムクと、湯が沸騰するかの如くドクダミが湧き上がってくる。 あまりの旺盛っぷりに見かねて、昨秋に知り合いの工務店さんにお願いして庭の一部に石を敷いてもらった。これで少しは落ち着くかと思いきや、土の下ではドクダミ勢が今か今かと息を潜めていたらしい。敷石を侵食せんばかりの勢いで、土という土が、ドクダミたちに覆われている。 やっかいだなと怯えつつも、ぷりっとしたハート型の葉や、5月ごろになるとぽつぽつと現れる
日中パソコンに向かっていたら、外から「ドーン」と空砲のような音が聞こえた。 そういえば今日は地元の海岸で花火大会だと、何日か前にポストにチラシが入っていた。その合図だろう。 地元の花火はいつも、季節を少しだけ先取りして、初夏の平日夜に開催される。 今年は数年ぶりの開催である。ようやく、季節ごとの催しを思いっきり楽しんでよい雰囲気が戻ってきた。 花火本番は19時半から20時15分の45分間。19時半を回ると「ドーン」「ドーン」と派手な音が外から聞こえてきた。 ベランダに出て
少し前の話になるが、昨年11月に「はみだせ!街の緑たち」というトークイベントを行った。園芸や雑草など関係なく、街のちょっとした隙間にはみだす緑の風景を楽しもう、という趣旨のイベント。http://jimbocho.net/536 イベント用に「#はみだせ緑」というハッシュタグを作って、SNSで各地のはみだす緑の写真を集めたところ、予想以上に盛り上がった。 育ちまくったサボテンとか、見事に紅葉したツタとか、道の隙間から生えるパセリとか。ときには絶妙なキャプション付きで、それは
遅ればせながら年賀状作成。 郵便ポストまでの道すがら、今年やってみたかったことの一つ「家から最寄駅までの道に生えている植物を観察する」をやってみた。出来るだけ同定にもトライしてみたい。 すっぴんにボサボサの髪で、手には年賀状を握りしめているが、心の中はやる気満々だ。 いざ。 まずは家の前に生えていたこいつら。 うーむ、のっけからわからぬ。毛がふさふさしている方はオオアレチノギク、紫の茎の方はコハコベとかだろうか? 図鑑をみるも今いち確信持てず。 はい、次。 家のす
年が明けた。 年末年始、手帳を新調したり家族で集まったり初売りへ行ったりと、色々イベントの多い時期だが、私の予定に組み込まれているのは「アロエ」だ。 12月から1月頃にかけて、ダチョウの頭のような形の真っ赤な花をつけるアロエ。 路上でおなじみすぎる植物だけに普段はあまり意識されることもない存在だが、この時期になると急に異彩を放つのだ。 私がアロエをはじめて意識したのは10年ほど前だろうか。 当時住んでいたアパートの一階で、急に真っ赤でトゲトゲした物体が視界に飛び込んできて、
今年もきづけばあと一週間。 年始はここ数年、伊豆白浜にアロエを見に行っている。 この間、生えまくって咲きまくったアロエを見たばっかりだったのに。 早い。 今年は活動の幅が色々広がり、忙しくも楽しい一年だった。 台湾には展示やイベントで、4回行けた。 あんなに行きたい行きたいと身悶えていた台湾がこんなに身近な場所となり、嬉しい。 来年も4月に行けることになった。嬉しい。 今日は仕事が落ち着いていたので、来年やりたいことをリストアップしてみた。 ・家の庭に生えている植
ことしの誕生日は、咳とひどい頭痛とともに迎えた。息を吸うと、のどがひゅうひゅういう。咳もゴホゴホでる。 あまり寝付けず、早朝に目が覚めてしまった。もう一度寝ようにも、息苦しくて寝られない。 寝不足のせいか、薄い頭痛が続いている。 在宅勤務だったのが幸いだった。 夜の予定をキャンセルし、仕事が終わって病院に行ったところ、アレルギー性気管支炎という診断だった。 なんだかついてない。 薬をもらって病院の外に出ると、まだ空が明るい。 昼間は蒸し暑いかったが、夕方の風は涼しく心地よ
スーパーで買い物をしていると、ベテランっぽい店員さんが手際よく食材をカゴに詰めていく様子に惚れ惚れすることがある。 軽くて潰れやすそうなものを一旦横に分けて、重いものや潰れにくいものから重ねていき、間に薄っぺらいものや長細いものをスッスッと挟み、無駄な隙間なくカゴに食材が詰まっていく。最後に潰れやすいものを一番上にそっと乗せてフィニッシュ。美しい。 自分はぼーっとしていて不器用なので、たまにイベントでものを売る時、会計でいつもパニックになってしまう。一度「正」の字で売れた数
むかし祖母が亡くなった後、遺品整理で母親が毛皮のコートを譲り受けた。 深い紺色のコート。丈は膝下くらい。モグラの毛だそうで、毛足は短く、そこまで「ザ・毛皮のコート」みたいな仰々しさはない。 シンプルだけど上品で、「いいなあ」と眺めていたら、母が「持っていけば」と言った。 当時まだ20代。とてもじゃないけど着こなせる自信はなかった。 「30歳になったら譲って欲しい」 と言った。 当時の自分にとって「30歳」という年齢は完全なる大人。 仕事も精神面も家庭も全て落ち着いて、「D
パッキンがなくなった。 ふだん米を炊くとき、鍋を使っている。 最近のお気に入りは、炊飯用の鍋。 火にかけてしばらく経ち沸騰すると、蓋が「ピー」と鳴る。 弱火にして、一合だと8分、二合だと10分くらい。で、火を止めてしばらく蒸らしたら出来上がり。 「ピー」が弱火に切り替える合図になるのと、蓋がガラスで中が見えるのが便利で、ここ一年くらい愛用している。 蓋の取っ手部分は取り外して洗えるようになっており、分解すると間にリング状のパッキンがかませてある。 そのパッキンがな
高校卒業して地元を離れて、地元で暮らした年数よりも、離れて暮らした年数の方が長くなった。 地元は九州。別に地元で何があったわけでもないけど、知り合いが一人もいないところに行きたいと思い、北海道の大学に行った。 地元へ帰るのは、年に一度程度。両親とはたまにLINEで連絡を取るくらい。「そういえば手術をした」という報告が、手術からしばらく経ってからきたりする。 親孝行とはほど遠い関係。 冷たいのかな、冷たいんだろうな。 地元や大学時代に知り合った人とも、ごくわずかな人を除い
平日は会社勤めをしている。 仕事から帰るのが、大体7時半とか8時くらい。 夫の方が朝も帰りも早いので、先に帰ったら米を水につけておいてもらう。2人で1合。炊き込みご飯とか、ご飯がメインの場合は2合。 スーパーで買い物して帰る日もある。 駅からちょっと歩くし、うちからも徒歩20分くらいかかるけど安いスーパーと、駅前にあってうちから徒歩10分くらいだけど高いスーパーがある。 仕事帰りに立ち寄るのは、迷いなく後者。 駅の改札を出てすぐ前にあるし、うちからも近い。 安い方
先日台湾へ行った。 台北の路地をぶらぶらと歩いていた時、とんでもない木の根っこに出くわした。 車道沿いの小さな緑地に木が植栽されているのだが、根っこが緑地全体に浮き出し、さらに敷地の端っこから流れ出して、アスファルトの下に潜り込んでいた。 はみ出た根っこの上には、ところどころ赤いペンキが塗られていた。 根っこが血飛沫をあげながらアスファルトにめり込むみたいで、どきっとする。 インスタにコメントをくださった台湾の方によると、赤いペンキで描かれた線は駐車禁止を示すらしい。
2月24日から3月3日にかけて、東京・谷根千を舞台に、都市を構成する小さな要素から「まち」を捉えるイベント「トークウィーク・まちがたり」が開催中だ。 その企画の一つである「都市の隙間に緑」というトークイベントに、ゲストとして出演させていただいた。 都市空間には、計画的に植栽された緑がある一方で、身近な場所に目を凝らすと、路地や道のちょっとした空間でも緑を目にすることができる。 路上のスキマに生きる緑を鑑賞し楽しむ私と、路上のスキマで緑を育てる「こちらのゾーン」さん( ht