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「空の極みへ」から生まれた小さなお話⑥

長い時間だったのか、ほんの数秒だったのか。
閃光が収まり目を開けた時、隣にいたはずの少年の姿はなかった。周りを見回しても、あの小さな背中はどこにもない。
ふと視線を夜空に向けると、やはり幼い少年はいなかった。
その代わり、人間で言えば17~18歳位の青年が逞しい背をこちらに向け、大きな翼をはためかせ宙に浮いていた。
何より目を奪われたのは、さっきまで隣で泣いていた竜人の皇子の背から生えた翼が、圧倒される程に紅く染まっている事だった。
「あれは……まさか赤竜せきりゅう!?」
漆黒の翼を持つ竜人族の中で数世代に一度、紅い翼を持つ者が誕生する。
優れた能力と覇王の気質でもって国と民を安寧に導く存在だと、古書に絵付きで記されていたのをよく覚えている。
月の光を受けた紅翼は神々しく、それでいて視線を外すことの出来ない魔力にでもかかったかのように見入ってしまうほど妖しげであった。
ほぅ、と思わずため息が出る。
それが合図だったかのように、シンは更に高く舞い上がっていった。コトの手が届かぬ所まで。
「シン!!」
ハッと我に返り、凛々しい姿へと変わった大事な存在の名を呼んだ。
ちらっと後ろを振り返った青年は、コト譲りのイタズラっぽくはにかんだ笑みを浮かべる。
「…ありがとう」
そう一言残すと、真っ直ぐ前だけを見て、青白く輝く満月を背景に悠然と佇む、白亜の城の方へと飛び去っていった。

「シン。かつて、主であり友でもあった竜の皇子に、我が祖先がそっと贈った言葉があるんですよ。今のあなたにぴったりだと私は思うのです。いつかあなたも、あれに気づく日がくるでしょうか」

シンの姿が小さくなり、そして見えなくなってもなお、コトは胸元のペンダントを握りしめながら相棒の前途がずっと明るくあることを祈った。
多分な淋しさを押し殺して。



「いらっしゃいま…」
「おう、おっさん。相変わらず暇そうだな。いつものでいいか?」
珈琲屋KOTOの看板店員が店を飛び出してから更にひと月程が経ち。
伝説の赤竜が現れたという話は光の速さで街中に広まった。
あの夜、紅い翼を羽ばたかせ夜空を駆ける姿は多くの人の目に止まっていたようだ。
赤竜は誰なのか・いつまたその姿が拝めるのかと民たちは未だに浮き足立っていた。
一方、店は以前と変わらぬままに、穏やかな店主とちょっと口の悪い店員がいつもの客を迎えていた。変わったことといえば、少年ウエイターが青年ウエイターに成長したこととその彼がハットをかぶらなくなったことくらいなもので、美しい黒髪と立派に成長した優美な角を隠すこともせず堂々と客の注文を受けていた。
あの日の夜に貰ったものと同じデザインの真新しい制服は、子供のサイズだった服を客たちが一度持ち帰り、今のシンにピッタリなサイズに仕立て直してくれた。半ズボンは長ズボンへ、シャツに施された金糸の刺繍は赤と金を混ぜた糸に換えて作り直す力の入れ様だ。
「その制服を着たまま翼を生やしちゃダメよ、シンちゃん。せっかく私が作ったシャツが破けちゃうからね」
「わーったってば、おばちゃん。もう何度も聞いたって」
カランカラン
「なんや、坊や。少し見ぃひんうちにずいぶんおっきくなったなぁ。サボりの期間は終わったんかぁ?」
成長した姿を見ても動じることなく、数日ぶりにシャミーがやってきた。
しばらく仕事が忙しかったらしく、大人になったシンを見るのは今日が初めてだった。今日も目の覚めるような艶やかな服を纏っている。
「なぁ…見てよ。俺、もう坊やじゃないってば!」
「背が伸びようが体がおっきくなろうが、あたしにとっちゃいつまでもかわいい坊ややで」
そう言って自分より背の高くなった看板店員の頬をツンとつつくと、気だるそうにいつもの窓際の席に着いた。
「ちぇっ。なんだよみんなして。結局子ども扱いかよ」
不貞腐れるシンのその頬が桃色になっているのを、いつもの客たちは幸せそうに眺めて微笑んだ。


「本当に良かったんですか?」
日が暮れ、OPENの札をひっくり返した後、ランプの灯る店内で冷たいカフェオレを作りながらコトはシンに尋ねた。
シンは以前よりも砂糖多めがいいようだ。アジョも甘党だったなと兄弟らしい一面を思いつつ、掃除を終えカウンターでくつろぐ看板店員の前にそのグラスを置く。
「なにが?」
「ですから、本当に未来の王の椅子を蹴っても良かったのかと聞いているんです」
あの後、王宮は大騒ぎとなったらしい。それはそうだろう。なにせ伝説の赤竜の出現だけでも大事なのに、それが深窓の令嬢よろしく滅多に表に姿を見せない第二皇子だったのだから。
その事実に驚愕する者・作り話ではといぶかしむ者・以前皇子へ吐いた暴言を思い出し恐れ震える者。
王宮も市井同様この話題で持ち切りだった。
王族たちの中もシンを皇太子にと推す声があった。その筆頭がアジョだったそうだ。

ーー赤竜様の能力の高さは文献で何度も読んだ。シンが望むなら自分は喜んで皇太子の座を譲ろう。より良い未来のため、弟の片腕として支え続けるーー

「だからぁ。何度も言ったろ?俺は政治ってやつにはとことん向いてないって。今まで何もやってこなかったのにいきなり皇太子?王?冗談キツイって。俺を守るための力を付けるためとはいえ、ずっと心身の鍛錬とまつりごとに時間を費やしてきた兄上の方がよっぽど王らしいよ」
王族らしい話し方とは程遠いが、それがまた、周りがシンに親しみを感じる所以ゆえんだろう。店に復帰してまだ数日だが、端正な顔立ちもあってかもう新たなファンを開拓している。
シンはグラスを取ると一息に半分以上飲んだ。カウンターに残る水滴の多さが、すぐそこまで来ている暑い季節を匂わせる。
竜人の兄弟は腹を割って話し合い、わだかまりはすっかり解けたようだ。両親の血を同じくするたった2人の兄弟、これからも互いに支え合っていくと誓ったと、先日変装にならない変装でアジョが伝えに来た。
この際にと、今までなにかと悪さをしていた家臣たちの処罰も行ったらしい。その者たちの仕事の穴を埋めるのに今まで以上に忙しくしているようだった。
「甘い物でも食べなきゃやってられん。何か作って王宮に持ってこい」
そう言い残して去っていった次の亜人の王。きっとシンに届けに来てほしいのだろう。
忙しいならわざわざ自分が来なくても遣いの者を寄越せばいいのにと思うが、そういう所が絆を大切にする竜人族らしい。

「それにさ。ここの居心地の良さ知っちゃったし。俺はこの店で暇人達の相手をしながら、王宮の中からでは見えない所をしっかり見て、少しでも兄上の助けになれればって思ってる。だからさ…」
照れと不安が入り交じった顔をこちらに向ける。
「これからも…いていいだろ?ここに…」
聞かれるまでもない。
「もちろんです。シンは私の大事な相棒なんですから。いつまでも、ここがあなたのいる場所ですよ」
この上なく嬉しそうな安堵の顔。その瞳は飼い主に全幅の信頼をよせる子犬のようにキラキラと輝いている。
(数年後に王宮に戻らなければならないことも、なんとか王を言いくるめて無かったことにしてしまおうかなぁ)
シンに優しく頷きつつ、舌戦再来の予感に心の中で不敵な笑みを浮かべた。久しぶりに微笑みの短刀ダガーの腕が鳴る。
店主の不穏な空気を感じ取ったシンの体が勝手に身震いしていた。
「でもその口の悪さを治さなきゃいけませんよ。お客様の事を暇人だなんて…」
「いーじゃん。今は相棒しかいないんだしさ」
「………シン、今、私のことを相棒と…」
「あ…な、なんでもねぇよ!ゴミ!ゴミ捨ててくるわ!!」
残ったカフェオレを一気に飲み干し、コトと目を合わせることなく裏口から飛び出していった。
「あんなに顔を赤くして。まだまだですね」
シンが出ていった裏口を見つめながらそう呟いた店主の口元だっていつも以上に緩んでいるのを、グラスの中の氷がカランと笑った。


王宮の書庫には、かつての管理人へ贈られたという初代スウォナーレ王夫妻の肖像画がある。ウタ王妃も見に来たというあの姿絵だ。

椅子に座るのは気品のなかに朗らかさを醸し出す美しい人間の王妃。彼女の長く清らかな髪は、星々を輝かせ月を後ろからそっと支える夜空のような、艷めく黒に染められていた。
そして、そんな王妃の後ろで彼女を守るように立ちながら慈しみの表情を浮かべる王の背には、民の道標となり、未来を明るく照らす太陽のごとき雄大な真紅の翼が描かれている。

その肖像画の裏には、長い時を経て所々インクが掠れてしまったある言葉が、誰にも気づかれることなくひっそりと記されていた。当時の管理人が書いたであろう、とても小さな文字で。 


羽ばたく 少年よ 輝く 月へ昇れ
闇夜を 切り開く 光の方へ


《完》

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