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#2看護師を志したワケ


高校時代、幼なじみが亡くなった。
心臓疾患による突然死だった。
もうすぐ、12年が経つ。

親から
「〇〇ちゃんが亡くなったらしい」
そう聞いた瞬間、
なんてつまらない嘘をつくんだろうと思った。

本当だと分かった瞬間、
頭が真っ白になって、胸も苦しくなり、
うまく呼吸ができなくなった。

お葬式で、幼なじみのお母さんに声をかけられた。
「botanちゃん、来てくれてありがとう」
いつも笑顔が素敵な〇〇のお母さん。
あんなに苦しそうな〇〇のお母さんの顔、あんなに苦しい「ありがとう」という言葉、初めてだった。

子供が死んだんだ。
親が苦しい思いをしているのは当たり前。
だけど、10代の私には衝撃が強かった。

あの顔を思い出すたびに、涙が止まらなくなった。
面白いものを見ても、友達と話をしていても、
うまく笑えなくなった。
もしかしたら私が知らず知らずのうちに原因の1つになっていたのではないか。
〇〇は死んだのに私が生きていていいのか。
いろんなことを考えた。

初めて、人が亡くなることの重みを感じた。
人の死が生きている人間に与える衝撃の大きさを感じた。

〇〇が亡くなったことももちろんショックだったが、それ以上に〇〇のお母さんの表情がショックだった。

「もう誰かのあんな苦しい顔見たくない。」
そう思った。

でも人の死は避けられない。
今後も生きている以上、たくさんの死を目の当たりにするはずだ。

それならば、私は苦しい思いをする人たちの心を少しでも軽くしてあげられる人になりたい、支えられる人になりたい。

そう思った。
きっとそれは医療職者なんだろうと思った。
そこから漠然と医療職者を志すようになった。
でも具体的に「何」がベストなのか分からなかった。

その1年後、
偶然行ったオープンキャンパスで、とある教員(医師)のスピーチを聞いた。

「医師の仕事には限界がある。どれだけ医療が発達しようと、救えない命、治せない病気がある。でも、看護師の仕事には限界がない。その方が亡くなるその瞬間まで出来ることがたくさんある。無限の可能性を秘めた職業なのだ」

感動して、涙が出た。

それまで私は、看護師は医師の介助をする人という認識を持っていた。
「自分で考えて、自分で行動したい」
それが実行できる職業に就きたかったため、看護師は最初から除外して考えていた。

でも、違った。

看護師という職業は、「自分で考えて、自分で行動する」こともできる職業であるし、医師の補助のためにいるわけでは決してない(もちろんそういう業務もあるが...)。
看護師の実力次第で、患者やその家族を、亡くなるその瞬間まで、いや、亡くなってからも、身体的にも精神的にも支えることができるのだ。看護師以上に患者と時間を共有し、寄り添うことのできる職業はあるだろうか?

なんて素晴らしい職業だろう。
私が探していた「何」かは「看護師」だったのだ。

そして、医師という立場でありながら、看護師に対しそんな素敵な考え方を持っている先生のもとで学びたいと思い、この大学を受験することにした。

高校は地元でも有名な進学校であったため、
「専門学校でも取れる資格を大学で取る必要があるのか?」「今から道を決めるのは勿体無い」「医療職者になりたいなら医師を目指しなさい」
先生や親からたくさんの反対を受けた。
周りの大人を説得して、看護の道を選び、そして大学に進学した。


進路を決めた日から、約11年。
今、看護師7年目となって思うこと。
「大学に行って本当によかった」
「看護師になって本当によかった」
辛いことも、もう辞めたいと思ったこともあったが、この道を選んだ自分を誇りに思う。




でも...


来世は別の仕事に就きたい(笑)

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