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警察に電話する

警察には必要なとき以外、絶対に電話をしちゃ駄目。いたずらでもかけてはいけない。
そう教えられ育ってきたが、電話をすることになった。在仏。

原因はアパート。多分古くてちゃちな作りなんだろう。隣人の寝息が聞こえるほど壁が薄い。始まりは、真上に新しく引っ越してきた住人がパリピだったこと。当時そんな言葉はなかったけど。

フランスは音に関してかなり寛容だ。日本が神経質すぎるとも言えるかもしれない。フランス・日本共に両極端な気がする。

でも寛容のレベルが桁違いなのだ。近隣の家が大声で1時過ぎまで窓を開けたまま、音楽をガンガンならしパーティーをしていても特にご近所さんが動くことはない。頻繁に同じ部屋が騒いでると、たまにどこかの窓から大声で注意が飛ぶことがある。3時頃に。その程度なのだ。特に誕生日パーティーは大目に見てもらえる。ハッピーバースデーの歌が聞こえてくると、私も深夜に心の中で一緒に歌ってお祝いする。

ただし連日となると話は別だ。しかも壁が薄いアパートの階下に住む者としては。

深夜1時から5時頃にかけて、いい塩梅になって帰ってきて騒いでまたどこかへと出かけてゆく。騒いだあと出かけず寝ることもある。だからこちらとしては予想がつかない。ある程度で終わるのか、相当続くのか。何時頃に始まり何時頃に終わるのか。

ドスンドスンという揺れで、ベッドの上の棚から本が落ちてきたこともあった。だから、堅苦しくないメッセージを郵便受けやドアの下に入れてみたりしたけど、全く効果がなかった。

昼間、足音で在宅してるのを確認して直接話に言った。気軽な感じで。出てきたお姉ちゃんは「ごめんなさいねえ、気をつけるわ。本当にごめんなさいね」と謝る一方。和やかな会談でやっと伝わったかと思ったけれど、何も変わらなかった。

大家さんにも相談した。同じアパートでも部屋により大家さんは違う。私の大家さんはとてもいい方なのだけれども、話を聞くに相手の大家さんは問題あり。私の件とは関係なく、既にウチの大家さん自身が手を焼いていた。大家さんはパリピ住人の問題を何度も伝えてくれたけど、効果はなかった。

ギャグのようだけど、うるさいときに箒の柄で天井をコツコツとつついて、迷惑していると間接的に伝えもした。直後は大人しくなったのでホッとしてたら、また復活。再びコツコツしたら、もうアルコールでテンション上がってるあんちゃん達が罵りながら一層ドタドタし始めた。こりゃ駄目だ。

別の日の昼間、もう一度直に、穏やかに話に行ったら逆ギレされた。こちらは冷静に話したけど、もう価値観が違いすぎて話が通じない。

そういうのを友達に愚痴っていたら、ある友人が「警察呼べばいいじゃん」と平然とのたまった。いやでも、警察ってそんな大事に…などと思っていたら「大丈夫だよ、かけな」と追い打ち。こちらが悩んでいると、後日、彼女の憲兵の旦那さんが直接「全然問題ない、そうしたら警官か憲兵が行って注意するから大丈夫。それよくあることだから心配しなくていいよ」とゴーサイン。

かけるのに悩んでいるのには、3つの理由があった。一つは、騒音ごときで深夜に電話をしてもいいものかということ。確かに困っていた。迷惑行為でもあった。ただここは騒音に寛容な国なのだ。そしていくら現場で働く人から「よくある」とゴーサインが出てても、夜勤は昼に比べ人も少ないだろうし、きっと交通事故や、もっと重要案件へ割く必要があるんじゃないかなと。そんな忙しい所に「上の住人がパリピで」なんてかかってきたら迷惑がられて、下手するとフランスだから酷い応対を受けることになる。

もう一つは、上階の騒ぎが不定期だったこと。これが一番の理由でもある。ほぼ毎日なのは確かなのだけれど、家に長くいる日もあれば、30分程でまた出かけることもあった。始まりや終わりの時間も不定。だから警察に電話しても、来たときにはいないか、静かな状態になっている可能性もあったのだ。これはどうしても避けたい。でも上階が出てくのか騒ぎ続けるのかは読めない。

3つ目は最初に書いたように、容易に警察に電話をかけるなと言われてきたから。

散々悩んだ。騒音を聞きながら、かけるべきか、かけぬべきか。本当に悩んだ。滅茶苦茶悩んだんだよ。受話器を取ったこともあったけどやめた。かけたと仮定して、どう伝えるかの練習もした。外にいるときにもどうすべきか、もう憑依されたように考え続けた。考えに考えて考え抜いて、ある日、上の騒動を様子見しながらやっと決心した。

受話器を取って番号をかける。フランスの警察の番号は二桁だ。もう心臓がバクバクして、うまく練習通り喋れるかな、想定と違う反応が来たらどうしようと、その短い間でも緊張が最大限まで急上昇した。数コール後、電話が切り替わるのが分かった。「もしもし──」と、まるで悪いことでもしているかのようにビクビクしながら話そうとしたら、



「おかけになった電話番号は現在大変混み合っており──」


へ ?


私、今、警察に電話かけたよね?
番号間違えた?
いや二桁の番号って特殊なのしかないし…。
押し間違えたかな。

今度はしっかり番号を見てかけた。

「おかけになった電話番号は現在──」

発信音ちゃんと聞いてから、かけたかな。
もっとゆっくり落ち着いて、そうそう、ゆっくりしっかり番号を…

「おかけになった電──」

想像力が豊かすぎて泣きそうになった。こんなことってある?
拉致監禁されたとか、暴力振るわれてるとか、身も心もズタズタで限界のとき、長い地獄に たまたま一瞬の隙があって警察に電話をしたら、

「おかけになった電話番号は──」

って言われたときの破壊力。心折れるよ これ。「もう一度おかけ直し下さい」ったって、そんなチャンスがないから今まで地獄だったんじゃない。んで電話かけたのがバレたりして更に酷い目に合ったら、もういいやってなっちゃうんじゃない?死ぬの待つだけじゃない。

幸い私はそういう状況になかった。極度の緊張から急に気が抜けた。あんなに悩み、躊躇していた期間は一体何だったんだろうか。相当な時間をかけたよ。豊かな想像力からくる怒りと好奇心がムクムクと湧き上がる。どの位かけたら繋がるんだろう。実験にすり替わっていた。切ってはかけ、切ってはかけを繰り返した。日本にいたときのチケット取りみたいだよ。懐かしすぎるなぁこの感覚。ただ相手は警察〜。

もはや上の住人がどうこうではなく、どのくらいで繋がるかが目的となっていた。チケット取りの方が早く繋がったように思う。20分位はかけてたんじゃないだろうか。30分超えてたかもしれない。

これ、フランスで拉致監禁でもされたりしたら もう、日本で言う110番に
期待するなってことだよ。時間帯にもよるだろうけど、二度あるか分からない一瞬のチャンスは活かさないと。繋がらないんだもん。回線潰されとる。まず他にかけてそこから呼んでもらうしかないんじゃない?3114の自殺防止番号とかそっちにかけた方が良いんじゃ?発信側の住所把握できるし。

ようやく繋がって、想定より親切な方が出てやり取りをし、すぐに警官を送ると言ってくださった。

しばらくして玄関のベルがなった。恐らく警官だろうが、念の為ドアスコープっていうのかな、外を覗けるレンズ。そこから見たら何も見えない。上階の住人のいたずらだろうか。

「誰!」とキツめに声を変えると「警察で〜す!」と陽気な声が。怪しさ全開。次に覗いたら陽気そうな私服のあんちゃんが二人見えた。レンズに顔を近づけたりして遊んでる。「警察手帳を見せて下さい」と真面目に返したら、あんちゃん手帳を近づけたり遠ざけたり二人でじゃれながら遊んでる。どこのドラマの刑事だよ、これ。

ドアを開けたら元気よく挨拶され、話も聞いてくれたけど、とても警官には見えない。「レンズも手で隠してたんだー、驚いた?」と嬉しそうに教えてくれた。ドラマにしか存在しない二人組であった。んで上階に注意しに行ってくれた。そして「何かあったらまた呼びなよ?じゃあねえ、バイバ~イ」みたいなのりで帰っていった。そこ「バイバイキ〜ン」と言って帰っていっても違和感がないほどであった。

真夜中にこっちはもう本当に疲れたよ。頭空っぽになって布団に潜った。
以降、警察には躊躇なく電話できるようになった。

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