承久記が軍記物語でありながら史料価値を認められているのはなぜでしょうか?
まず、承久記はいくつかの類系があるんだ。
だいたいは以下の四つになる。
慈光寺本承久記
前田本承久記
古活字本承久記
承久軍物語
史料として評価されているのは、慈光寺本だ。
何故、慈光寺本が史料として評価されているのか。
それは野口実氏の『慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察』という論文が、承久の乱あたりの中世史研究者に高く評価されたからだ。
なので読んでみればこの質問の答えは全て書かれているワケだが……ざっくりと説明してみるぞ!
慈光寺本の成立年代
慈光寺本は、乱の直後に描かれている可能性が非常に高い。成立は、遅くとも1230年〜39年。
根拠は本の終わりの方に、大内惟信殿の配流の事が書かれている。
大内殿の配流は1230年。
そして後鳥羽院の事を「今ノ太上天皇」と書いている事。これは存命中でないと書けない表現で、後鳥羽院の崩御は1239年。
慈光寺本成立年代については、こちらを参考にしてほしい。
とにかく、著者はリアルタイムで承久の乱を知っている可能性が高いのだ。
人物描写の生々しさ
リアルタイムで知っている可能性が高い、という根拠の一つに、人物描写がリアルというのもある。
詳しくは、野口殿の論文を読んでほしい。
それから、もしかしたら慈光寺本承久記は、三浦の関与があるのではという意見もある。
北条視点がない貴重な「坂東武者の姿」が読めるかもなぁ……。
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