見出し画像

義村様以外のお兄様方のことも知りたいです。教えて下さい。

じゃぁ、有綱兄と、重澄兄の事を語ろうか。

まずは有綱兄は、山口次郎。今の葉山の山口にいた。御家人ではあるんだが、本職は伊豆半島との貿易業。建久6年の頼朝様上洛に従っている。

記録にはあんま残ってないけれど、数少ない記録で「公家ウケがすこぶる悪い」って残っててさ…吾妻鑑の建仁2年(1202)10月29日条。御所で蹴鞠しようとして、京の蹴鞠名人を呼んで、準備したんだけど……なんでか兄貴にだけ難癖つけてきたらしくって……めっちゃキレてた。

重澄兄は、大河戸重澄。何男なのかはわかっていないけれど、多分、義村兄上とオレの間。

武蔵の大河戸広行殿の娘婿で、婿養子になった。あまり記録にはないけれど、宝治合戦の時に泰村と一緒に自害している。

あと、承久の乱の後、オレの子らの面倒を見ていてくれていたのかもしれない。

と、いうのはな。政村の嫁になったのはオレの娘なんだが、文献によっては重澄兄の娘ってなってんだ。

あ! ちなみに大河戸広行殿の妻は祖父様の娘。つまり重澄兄の妻は従妹だ!!

あとは異父兄の三浦与一近実(父・工藤茂光殿)と、異母弟の三戸十郎友澄がいるよ!


この記事が参加している募集

#日本史がすき

7,202件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?