見出し画像

胤義さんやご兄弟の矢の腕前は実際どのぐらいだったんでしょうか

兄弟で弓の記述があるのはオレと兄上ぐらいだが……兄上は流鏑馬や笠懸をした記録が何回か『吾妻鏡』にあるな。オレは『承久記』に出て来る。

まず流鏑馬(やぶさめ)というのは、神事。神様に奉納する儀式だから射手には「絶対に外さない者」が選ばれる。

笠懸(かさがけ)は競技。射手には「プロ中のプロ」が選ばれるのだ。

ちなみに、当時流鏑馬には年齢制限があった。40歳以上で選ばれることはほとんどないよ。

オレは『慈光寺本承久記』では京で一二を争う弓馬の上手と称されているし、 放った矢が敵の袖を貫通して後ろにある大黒柱に半分ぐらいぶっささったり、摩免戸では川を渡ろうとしている敵24騎を射殺しているぞ!


この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?