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三浦・鎌倉スポット

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三浦一族や鎌倉時代関連スポット紹介
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#史跡

橋本宿

橋本宿は東海道の宿場町。現在の静岡県湖西市新居町にあった。 1190年、頼朝様が上洛する際に宿泊したから、周辺には頼朝様関連の史跡がいっぱいある。また、1221年の承久の乱の時も幕府軍が宿泊した。 1190年 頼朝様上洛関連史跡源太の山 頼朝様が上洛の途中に橋本に宿泊した時に梶原景時殿の長男・源太景季殿が警護のため、金山(源太山の旧名)にあった大松の上で物見をして警戒にあたった、といわれている。 この事からこの山を「源太ノ山」、大松を「物見の松」と呼んだ。 大松は明

田村館

「田村」は相模川やいくつのも道が交差する流通の拠点。元々は大庭氏のものだったが、どういう経緯か兄上(三浦義村)の所領となる。 承久元年(1219)7月、鎌倉第四代将軍候補として連れて来られた三寅殿(藤原頼経)は五日間この館に滞在し 7月19日に鎌倉入りをした。吾妻鑑によると頼経殿はその後も数回来泊している。 田村橋の近くにある八坂神社は、田村の鎮守だが、特に兄上の話は伝わっていない。ちなみに御朱印もないそうだ。

木嶋神社(蚕の社)

読み方は「このしまじんじゃ」。地元民には「蚕の社(かいこのやしろ)」の方が伝わる。 オレが自害した場所。当時はもっと大きくて、下賀茂神社に似ていた。 郎党の藤四郎に「自害した後社ごと焼け」と言って自害したが、発掘調査のあと実際に承久の乱あたりに焼けた跡が出土したらしい。 江戸時代にはオレと息子の胤連を祀る「魂鎮社」があったが、明治時代に末社に合祀された。 本殿の左にある小さな社のどれかだとは思うが、宮司に聞いても「よく分からない」と言われてしまう。 近くの太秦広隆寺

曽我兄弟と虎御前の墓

曽我兄弟と虎御前の墓と伝わる五輪塔。ただし刻まれた銘文には、「地蔵菩薩を信仰する集団が平等利益を願い、永仁3年(1295)に建てた」と書かれている。 周辺には同年代に作られた摩崖仏や五輪塔がいくつかある。 こちらの宝篋印塔は、河内源氏の祖・多田満仲の墓と伝わるが、永仁4年(1296)に大和国の石工・大蔵安氏によって作られたとシッカリ刻まれている。

今度、母と横須賀の方にでかけるのですが、「ここは行っておくべき!!」という三浦氏ゆかりの場所ってありますか?

とりあえず車で行くか、公共交通機関でいくか、誰のファンなのかによるが、 衣笠エリアが間違いないな。衣笠城址・満昌寺(宝物殿は予約見学可)・父上の墓・祭神が兄上の近殿神社。 義盛ファンなら東海岸の浄楽寺(予約して見学すべし)は外せない。 崎に行ってマグロも良いが、今の季節なら松輪サバも美味いぞ!(松輪サバ食べられるかは運) 三崎に行ったら海南神社に行くと良い。食事はくろば亭おすすめ。おやつにミサキドーナツも美味いぞ。 ちなみに、兄上の墓近くにあるレストランKANEDAは