"Why I am not a Buddhist"読書会3回目

昨日も仏教のアレさん主催のエヴァン・トンプソン"Why I am not a Buddhist"の読書会であった。

すでに3回目であり佳境に入ってきた。

今回はロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』批判である。

読書会では、まず進化心理学の説明で始まる。非常にわかりやすいレビューで、これに続いて『なぜ今、仏教なのか』との関連について解説している。進化心理学的にみて非常に仏教やマインドフルネス瞑想は合理的であると明快に言い切っている同書がベストセラーになるべくしてなったとよくわかる。

恋愛工学を始めとして、進化心理学の成果は様々な分野に取り入れられおり、欧米で流行っているタイプの仏教はその最たるものといえよう。しかし私はなにか胡散臭いというか、切れ味が良すぎると感じてしまうのだ。

エヴァン・トンプソンはそこを具体的についていく。まず進化を単線的にとらえすぎではないかと。自然選択による進化の結果として生み出された文化が遺伝子の淘汰圧に影響を与えることはおおいにありうるし、実際あった。

例えば人類は話し言葉だけでコミュニケーションを取れたのに文字というものを発明した。そして文字は脳に影響を与えてあらたな神経回路を創出するのである。進化心理学はこうした動的なプロセスを静的な仮定やモデルで説明しようとするので、私は胡散臭いと感じてしまうのであろう。

またライトがよく援用する心のモジュール理論も、単純化しすぎていると批判する。生物の神経はさまざまなクロストークがあって、いくつかの独立した、特定の機能に特化したモジュールにわけられるわけではない。もっともこのへんの限界はライトも指摘しており(モジュールはスイスアーミーナイフではない)、トンプソンの批判は藁人形というか、やや底意地が悪い。つまりモジュールという言葉を使う以上はなにか分解能な実体を前提しているのではないかと。

単純化ということについて言えば、日本であれアメリカであれ、巷間に流布している進化心理学はプロモーションのために単純化されすぎている。だから進化心理学のアカデミアからしたら言いたいことはたくさんあるに違いない。
そして進化心理学は研究の量も質も分厚くなっている。エヴァン・トンプソンがしているような批判は昔からあるものなので、それに対応すべく研究が進んでいるだろう。今後の進展が楽しみといったところであろうか。


昨日はだいたいこんな感じだった。
自分だけならここまで深く読み込めないという意味でも有意義な会であるし、最近何度か言っているように、音声をともなうことによる効果は大きい。自分ひとりで文字だけだと、その理解はどうしても痩せ細ったものになるように思う。雑多な情報やノイズが、厚みとか豊かさといったものを与えてくれるのではないか。

こうしたことはニー仏さんが数日前に解説してくださっているし、そこで引用されている東浩紀氏のインタビューも非常に面白いので参照されたい。


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はむっち@ケンブリッジ英検
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