宮元啓一『わかる仏教史』わかりやすかった
インド哲学研究者の宮元啓一氏の『わかる仏教史』がとてもよかったのでご紹介だ。
本書の大半はゴータマ・ブッダから中観思想あたりまでのインドでの仏教の展開についてである。
紀元前5世紀ころガンジス川中流域では商業が盛んとなっており、カーストにうるさい旧来の宗教よりも自由な都市型の宗教が求められていた。仏教者のいうところの六師外道はそうだし、仏教もこれにあたる。
ゴータマ・ブッダが新しかったのは此縁性といって因果関係を徹底的に考え抜いたからで、西洋よりもだいぶ早い。
またゴータマ・ブッダは同時代の思想家のように善悪不定論はとらず、出家者には戎を守ることを求めた。もちろん悪を行うと心がみだれるからであるが、世俗との折り合いのために必要であったからと思われる。
しかし在家信者には戎を守ることは強く求めなかった。在家のことは出家者にとってはどうでもよくて、
仏教の出家たちは、だからこそ、こうした俗事にわずらわされることなく、立派な僧院の奥深くで、修行、教育、教学研究に専心することができました。仏教の思想、哲学がインドでは長らく突出した影響力をもったというのも、そのためです。
これがジャイナ教やヒンズー教と違うところで、在家信者を組織することができなかった要因でもある。その結果、のちにムスリム勢力の侵攻にたいして仏教は無力でインドから消え去ってしまうのだった。
さらに興味深いというか、知らなかったのは無記とか捨置答と呼ばれるものについてである。つまり我があるのかないのかというメタな問答にゴータマ・ブッダは答えなかったことなのだが、著者は、
経験的事実を出発点としない形而上学的議論は、はてしない水掛け論に陥ることをかれは熟知しており、弟子にもそのような形而上学的議論にかかわるなと強くいましめています。
と述べている。弟子にもやめとけと言ってたのは知らなかった。さらにこれはヴェーダの哲人ヤージュニャヴァルキヤに影響を受けたものらしい。
ブッダ入滅後についても面白くて、ギリシャ人国家バクトリア系のミナンドロス大王と説一切有部ナーガセーナ長老の対話とか、ギリシャ哲学の影響なんか歴史のロマンって感じがする。
そして第二結集と根本分裂があって、出家たちが奥の院にこもっている間に民間でブッダの神格化が進んでいったというのも面白い。これに仏塔信仰や出家でも在家でもない法師たちがあいまって本格的な大乗仏教が誕生する。ここまでくるとゴータマ・ブッダの思想そのものはあんまり関係ない感じで、魚川祐司氏が指摘していた仏教は二次創作とはこういうことかと得心したのであった。
仏塔信仰って山岳信仰みたいでなんかおもろいね。上座部と大乗は根本的に成り立ちが違うということもよくわかりますね。
こういう民間主導だった大乗仏教もやがて学究化していって、上座部と同じく教団は形成されなかったらしい。そして上述のごとくイスラムに滅ぼされるのだけど、チベットに輸出されてようやく教団化されたというわけである。
輸出というと、仏教は自由で普遍的な宗教であったから中央アジア(中国からみた西域)に容易にひろまっていった。なんせシルクロードで多様性の地域だ。そして中国にも入っていくのだ。
ここらへんまで来ると著者はナーガールジュナとか色々な人をボロクソにdisり始めるのだが、なんでそこまで熱くなるのかはよくわからなかった。私の勉強不足であろう。
玄奘和尚はもちろんdisられるわけはなくて、そこから中国、日本への歴史的展開の概説は面白かった。
学校の歴史の授業で習ったとおり、日本の仏教の移入は統治の手段という側面があり、これが江戸時代に強化されたわけである。廃仏毀釈とか太平洋戦争での敗北を経ても葬式仏教が変わらず現代まで続いてるのもゆえなきことではないのだなあと確信した。
江戸時代にお寺は公儀にガチガチに管理されるが、民間の修験道(山岳信仰)とか霊場巡りとかは逆にこの時代に盛んになるというのも歴史の妙味って感じがしてよいね。
紙幅の関係で中国や日本(特に明治期意向は無視である)はさらりとしか触れられないし、チベットや東南アジアはそれ以下の扱いである。とはいえ興味をそそる書き方ではあったのでそれらもいつか勉強したいと思いなすのであった。