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令和6年6月おしまい

めちゃくちゃ蒸し暑い。もう6月末なので当然なのだが。

今月も早かった。というか今年もう半分終わりか。。。

半年前に古典ギリシア語学習は半年で楽になれるか挑戦すると宣言してみたが、結論からいうと楽になっていない。

その原因は勉強をさぼっているからである。勉強をさぼっている理由は後述する。

ただしこうすれば楽になるだろうというのは見えてきた。

まずラテン語と違って基本的に名詞には冠詞がつくので、ラテン語ほど名詞の格変化を覚えてなくてもいいってことである。もちろんある程度は知らないと辞書が引けないが、それはたいしたことではなさそうだ。また奪格が無いのも良い。

面倒なのは動詞である。アオリストとかいう聞いたことない時制がある。また未来とアオリストには中動態と受動態が別々である。
ラテン語の完了幹もたいがいうっとおしいが、古典ギリシア語の完了の変化はさらに意味不明だ。
μι動詞とかいうものも地味に厄介だ。

さらにラテン語では不定法が現在と完了しかないが、古典ギリシア語ではほぼすべての時制にある。ちなみに中動態もあるぞ。

ラテン語の分詞は現在、完了、未来だけだが(もっとあったかも)、古典ギリシア語の分詞は無限である。

接続法と希求法はたぶんラテン語の接続法と同じくらいだと思う。

だから、まず能動態だけすべての時制の活用を全力で覚えるという作業をしないといけない。

次に中動態と受動態である。

不定法は活用がないので、さほど大変ではないだろう。

分詞はめんどくさいなあ。分詞の格変化は名詞とほぼ同じなのだが、そうすると名詞の格変化を覚えなくていいという古典ギリシア語のメリットがなくなってしまうんだよねえ。

というようなことをこの本を見ながら考えているのであった。

ちなみに『ラテン語とギリシア語を同時に学ぶ』は、どちらかもしくは両方をある程度以上勉強した人におすすめである。どっちもまだイマイチな人はやめといたほうがいい。
なお、古典ギリシア語の初心者向け文法書のファーストチョイスはいわゆる堀河テキストだろうが、あれは主格の次に対角が来るので違和感あるんだよね。

本書を見ていると、古典ギリシア語の動詞や分詞などがいかに狂っているかがよくわかる。ラテン語もたいがいなのだが、レベルが違う。

世の中にはラテン語を経由せずに古典ギリシア語に挑戦する人たちがいるんだけど、どうかしてるよね。そもそも、ギリシャ文字はやってみれば意外と簡単なのだが、見慣れたラテン文字に比べるとやっぱり慣れるのには時間がかかる。

あと地味にダルいのが小辞である。ほとんどはたいした意味がないとわかってきたが、はじめは本当に嫌だった。ラテン語のいいところは冠詞がない、小辞もほぼない、奪格があるおかげで前置詞が少ない、といったことである。つまり文章がすっきり締まった感じになるので、名言とか格言にするとかっこいいのである。


というわけで文字に慣れる、冠詞の活用を覚える、というところまではできたので、どこかで動詞の活用を気合で覚えないといけない。そこを突破すればなんとか楽になれる気がする。たぶん。


ほんで、ラテン語はキケロとかをえっちらおっちら読んでいるのだが、古典ギリシア語はだいぶ勉強時間が減ってしまった。

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労働者の解放を新反動主義、左派加速主義に則って論じる。その過程で生命至上主義、生権力、過剰医療を批判することになるだろう。

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