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令和6年5月おしまい:知を愛することは機械にはできない

はあ、もう今月もおしまいだ。

ちょっとやることがあって、あからさまに読書のスピードが落ちている。よろしくないが、まあしょうがない。

読書はやや停滞してはいるものの、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語のお勉強はちまちまと続けている。

そういうお勉強が金銭的利得につながる可能性は低い。

この白饅頭さんの記事でも説かれているように、たいていの知的作業は機械にとってかわられるだろうからだ。

これからの時代、ホワイトカラーを目指すべきなのは圧倒的な知性で機械を超えて、そして機械を利用できる人たちだけだ。
その他大勢はブルカラーのほうが容易く稼げるだろう。能動的な手作業にはまだまだ人間に優位性がある。例えば、現状の手術支援ロボットは、いわゆるマスタースレイブ型で、人間の感性に多くを依っている。自律的に操作するロボットは、たいていの手作業を代替することができないと思われる。

ホワイトカラーであるためにはメタ認知能力や人文知が必須である。もちろん機械を使いこなすための理系的な能力も必要だ。

ただし。それらすらも機械は身につけるのかもしれない。私が生きている間にそんなことがおこるとは想像もできないが。

人間が手を食わないタイプの身体性については、意外と早くとってかわられるのかも。。。

しかしそうなったとしても、機械にはできないことがある。消費することだけは、人間の特権として残り続けるだろう。

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労働者の解放を新反動主義、左派加速主義に則って論じる。その過程で生命至上主義、生権力、過剰医療を批判することになるだろう。

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