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【連作短編ホラー】呪いの言葉がトリガー最終章『記憶にございません』1

月曜日

 清水ミズエは政財界や芸能界で顔の効く凄腕の占い師だ。
 元々は大物政治家や俳優が出入りしていた銀座の高級クラブでホステスをしていた。
 接客の一貫として客を占っていたのだが、あまりにもそれが正確に未来を予言したため、その能力はあっという間に政界や芸能界で評判となった。
 未来を予言するだけではない。占う人物の背景にある苦悩や迷いをずばり言い当て、的確なアドバイスをした。
 そのおかげでミズエに心酔する政治家や俳優が後を絶たなかった。
 ある首相経験者もミズエに心酔していた。
 その首相経験者は議会を解散させようかどうか迷いっていた時にミズエにどうしたらいいものかと占いを頼んだのだという。
 ミズエは「風はあなたに吹いています。おそらく向こう四年は少なくとも……」そう言った。
 それを聞いた首相経験者は解散を決意した

 結果、彼が所属していた時の与党は選挙で圧勝。
 彼は首相の座を安泰な物としたのだ。
 この逸話は表には出ていない話だ。
 知っているのは政界のごく一部の人間だけ。
 私はその首相経験者の秘書として、間近でその出来事の一部始終を見ていた。
 私は四十歳の時に秘書を辞め、その後地元K市の市議会議員に立候補して当選した。
 それから五期、市議会議員を勤めている。

 私はミズエの占いの世話になったことはない。
 しかしミズエとは今でも懇意にしている。
 秘書時代は顔見知りであったものの、会話はほとんどした事がなかったので地元が同じだと知ったのは私が市議会議員になってからだった。
 彼女はホステスを辞め、占い師として独立して地元で店を構えた。
 私が市議会議員になったのとほぼ同じタイミングたった。
 あっという間に評判となり、かなり稼いだのだろう立派なお屋敷を彼女は建てた。
 地元で飲食店を経営する男と結婚し家族を持った。
 
 そんな彼女が私に「陳情」に来るという。
 考えうる限り幸せの全てを手に入れた、この社会になんの不満も無さそうな彼女が訴えたい事とは何なのか。私は純粋にそれに興味があり、彼女と会うのがとても楽しみだった。

 午後六時、私の家にミズエがやってきた。
 インターホンが鳴り、私は玄関まで行き家内と共に彼女を出迎えた。
 ミズエはジーンズに白いブラウスという出で立ちだった。ラフだがとても高級感があった。
 ミズエの傍らに髪の短い中性的な少女がいた。学校の制服を着ている。
 ミズエと顔立ちがどことなく似ていた。年の頃から察するにお孫さんだろう。
 
「城定先生、押し掛けてしまってすいません」
 ミズエはゆっくりと美しい所作で頭を下げた。
 釣られるように少女も無言で頭を下げた。ミズエよりも少し忙しないところに若さが出ているが、無駄のない美しい所作だった。
 
「とんでもないですよミズエさん。会えるのを楽しみにしてました。ところでこちらのお嬢さんは?」
 そう言うとミズエは少女の背中を押した。少女はミズエより一歩前へと躍り出ると、
「はじめまして孫のセリナと言います。よろしくお願いいたします」
 そう言ってさっきよりも深く頭を下げた。
「やっぱりお孫さんでしたか。ミズエさんと顔立ちが似ているので一目見てそうだろうと思いましたよ」
 私がそう言い終わるとすぐに横の家内が、「こんな所で長々と立ち話じゃ何ですから、さぁどうぞどうぞ」とミズエとセリナを家の中へと促した。
 私はミズエとセリナを応接間へと案内した。

 ミズエとセリナは並んで、私と向き合う形でソファーに座った。
 家内がお茶を運んでくる間は、たわいもない世間話で時間が過ぎた。
 お茶が運ばれ一息つくと、さっそく本題に入ることにした。

「ミズエさん、何にお困りですか? 私が見る限りあなたには何の不満もなさそうですが……」
「不満というものはないですね確かに。でも私は今とてもこの街の事が不安で仕方ないのです」
 ミズエの話のトーンはいきなり強い真剣味を帯びた。
「どういった所に不安が?」
「この所K市は嫌な気がそこら中から漂っています」
 治安の話だろうか? 即座にそう察した私はここの所立て続けにK市で起きた事件についてミズエに投げ掛けた。
「まさしくその事件たちに関連する話です」
「というと?」
「今からする話しは、聞く人が聞けば一笑に付すような話だと思います。話すべき人を慎重に選ばなければならない。私の能力を昔からご存知の城定先生になら話せると思って、ここへやってきたのです」
「それは名誉な事です。なんでも話してみてください」
「先ほど仰られた事件は全て、バケモノが人間の心の暗部に取り入ったことによって引き起こされたものなのです」

 あまりに現実離れした話の流れに私は面食らってしまい一瞬絶句してしまった。これは私を困らせるための冗談なのだろうか。しかし、ミズエがそんな事をするとも思えない。私は我に帰ってなんとか会話を続ける努力をして言葉を捻りだした。

「バケモノ……っていうのはあれですか? 幽霊とか妖怪とか……」
「そうです。そういった類いの物です」
 ミズエの口調にはなんの揺らぎもなかった。ミズエが続ける。
「そういったバケモノが出てきやすい環境に、この街がいつの間にかなってしまっているのです」

 ミズエはホステス時代から霊も見えると噂になっていた事を私は思い出した。
 これは他の議員の秘書から聞いた話だが、とある政治家が原因不明の体調不良を訴えていた時に、女の幽霊に取り憑かれているのが体調不良の原因だとミズエが霊視し、その幽霊をミズエが祓ったという。
 その女の幽霊は過去に一夜だけ関係を持った女だとも霊視し、名前や関係を持ったホテルまで言い当てた。この政治家は店に新聞記者やマスコミ関係者はいないかと顔を青ざめさせていたそうだ。
 ミズエのお祓いの後、その議員の体調はすこぶるよくなったということだ。
 もしこの話が本当なら、この街にバケモノが出てきているという話も少し説得力があるのかもしれない。

「ミズエさんの仰ってる事を信じるとして、私に頼みたい事というのはどんな事なんでしょうか? 私には霊は祓えませんよ」
「この街にバケモノが出やすくなってしまっているのは、あの世とこの世の境界が曖昧になってしまったからです。なぜそうなったのか原因を私は自分なりに調査しました。その結果、駅周辺の再開発が原因ではないかと結論付けました」
「再開発の何が?」
「再開発によって駅の北西にある森を一部伐採したことで悪霊がこの街に流入しやすくなっているのです。鬼門という物をご存知でしょう? 鬼門は北西にあり、悪霊は鬼門から流入してくる。つまり、北西にある森が結界となって今まで鬼門からの悪霊の流入を食い止めていたということです。先生にはもうこれ以上、森を切り崩さないよう議会で働きかけて欲しいのです」
 ミズエは鋭く私を射抜くような眼差しでそう言った。
 
 それは無理だ。一秒の猶予もなく頭の中で私はそう結論を出した。動き出した工事を止めることなど出来やしない。私はその事を包み隠さず率直にミズエに伝えた。

「城定先生は再開発反対派でいらっしゃったはずです」
 ミズエは食い下がった。
 確かに私は反対派だった。ずっと手付かずの自然は守るべきだと、緑豊かな場所である所こそK市の良さだと思っていたからだ。
 しかし、今のK市長は駅周辺再開発を公約に選挙に出馬し当選した。大都市に負けるとも劣らない街づくりをする。大型商業施設を誘致し、タワーマンションを建て他所から新しい市民を多数迎え入れて街を発展させると宣言した。そしてそれは大多数の市民からの支持を得たのだ。
 議会でも反対派は少数で大部分の議員は市長に同調している。
 私に出来る事と言えば森林を全て斬り倒すのではなく、僅かばかりでも緑を残すために、開発計画を注意深く目を光らせ監視する事くらいである。

「反対派として再開発を止められなかったのは私の不徳の致すところですが、もう動き出してしまった物を止めるのはねぇ……。それになんと理由をつけて計画を変更させるのか。オカルトめいた事を口にしたら私の立場も危うくなるよ……」

 計画を変更するにはそれなりの大義名分がいるはずだ。森林を伐採することによって市民生活に重大な危機が訪れるような現象が起きるような何かが。しかしそれはあくまでも科学的に実証されるようなものでなければならないだろう。幽霊だか妖怪だかバケモノが出るからなどいうのは絶対に通用しない。
 ミズエの能力を私は疑ってはいない。ミズエが言うならばそうなのだろう。ただ私には出来ることは何もない。ただそれだけだ。
 私はミズエにその事をそのまま伝えた。

「そうですか……。ならば他の方法を探すしかありませんね……」
 ミズエは神妙な面持ちでそう呟いた。
「悪いね。しかしミズエさんの調査結果には個人的に興味がありますよ。もしよろしければもう少し詳しく聞かせてくれませんか?」
 私はこのまま帰って貰うのは気が引けたのでそう水を向けてみた。
「分かりました……」
 ミズエがゆっくりと語りだす。

「今回再開発によって切り開かれる事になったあの駅北西の森ですが、昔から神聖な場所としてこの辺りでは取り扱われていたのです」 
「神聖な場所?」
「はい。郷土史を調べましたら、あの森は昔からこの辺りの人たちにとって神が宿る森として信仰の対象だったのです」
 全国各地にそういった場所があるのは知っている。しかしあの森がそういった類いの場所だったとは初めて聞く話である。ミズエは続ける。
「竜神川が洪水により氾濫し多数の犠牲者を出したとき、疫病が蔓延したとき、その他様々な災難に見舞われた時に昔の人々はあの森に事態収拾の祈りを捧げたのです。その人々の祈りが長い長い年月をかけて蓄積していったことで、より強い魔除け、厄除けの力をあの森は宿したのです」

 長い期間あの森は信仰されていたということだが、少なくとも六十代の私が物心ついたときには、あの森が神聖な場所だという人々の認識は完全に忘れ去られていたように思う。
 両親からも祖父母からもあの森については何も聞かされなかったし、学校でも教育されていない。
「あの森が神聖な場所だという事を、現代の我々はなぜ忘れてしまったのだろうねぇ……」
 心の中の疑問を私は思わず口に出してしまった。
「私も今回の調査で初めてあの森の事を知りました。どこかの時点で口承が途絶えてしまったのでしょう。意図的なのか、それとも自然な流れだったのかは知りませんが……」
 ミズエは深く溜め息をついてそう語った。

「しかしミズエさんの言うバケモノはなぜこの街を狙い打ちするのだろうね? この街だけではなさそうなものじゃないか、魔除けの力が衰えてる街は」
 私はソファーの背もたれに深く寄りかかり腕を組みながらまた疑問をミズエに投げ掛けた。
「おそらくこの街全体が大きな霊道になっているのではないでしょうか。いや、考えてみればこの街だけではないのかもしれません。他にも同じような状態になっている街があっても不思議じゃありません。ニュースを見れば不可解な事件が日々起こり続けてますから」
「つまり日本全体があの世とこの世の境界が曖昧な状態になってるかもしれないと?」
「そういうことです……」

 そう一言呟くとミズエは腕時計で時間を確認した。
「先生、長々と失礼しました。私たちはもうこれで」
「おかえりですか? 力になれなくて本当に申し訳ない」
 私はそう言って深々と頭を下げた。頭を上げるとミズエが神妙な眼差しで私を見ていた。
「先生もお気をつけください。油断すればバケモノに簡単に取り込まれますよ……」
 ミズエは横に座ってじっと黙っていたセリナに何か目で合図した。
「失礼します!」
 体育会系らしい溌剌とした声でそう言うとセリナは私の頭に手を当て目を閉じた。
 私の体が強ばる。
 しばらくしてセリナは目を開け手を頭から離した。
「何か見えたかい?」
 ミズエのその言葉にセリナは首を捻りながら、「特に何も……。因果関係は分かりません……」そう小声で言った。
 おそらくセリナは私を霊視したのだろう。

 セリナもミズエと同じ力を持っていたのだ。ミズエには一人息子がいるがその息子、つまりはセリナの父親は霊能力は持っていないと聞いた。隔世遺伝で能力が受け継がれたということか。
 霊視の結果、特に何も見えないというのなら安心していいのだろう。だが因果関係という言葉は引っ掛かった。
 その私の気持ちを察したかのようにミズエが口を開いた。

「不躾にすいません。先生申し上げにくいのですが、私もセリナも同じ物をこの家に来てからずっと見ているのです。この家に何匹も野狐がうろついています」
「野狐? そんな物は飼っていないが……」
 私の言葉にミズエは軽く微笑んだ。
「いいえ先生、野狐というのは妖怪の狐です。先生の目には見えていないのでしょうが……」
「なぜそんなものが家に?」
「はい、その疑問のヒントになればとセリナに練習がてら霊視させました。野狐に憑きまとわれている事が、何か先生の心の中の暗部と関係があるのなら、危険な事になるかもしれませんが、特に何もないというなら安心です」
 そう言うとミズエとセリナはソファーから腰を上げて立ち上がった。
「先生がご希望ならお祓いして帰りますがいかがなさいますか?」
「私はそういう類いの事は……先生の力は疑ってないですよ。でもやはりどこか抵抗感があって……」
「そうですか。ならばこのまま帰ります。何かお困りの事があればいつでも遠慮なく仰ってください。私は忙しいのでセリナが対応することになると思いますが」
 セリナはそんな話の展開になるとは思っていなかったのだろう、すっかり部屋の出入口の方を向いていたが慌てて私の方へ向き直って深々とお辞儀した。
「そうですか。じゃあ何かあったらセリナさん頼むね……」
 私のその言葉にセリナは忙しなく頭を下げた。こういう改まった大人のやりとりにまだ慣れていないのだろう。
 応接間を出て玄関までミズエとセリナを見送った。
 軽い挨拶を交わした後、家を出ていった二人は車で帰っていった。
 
 私は応接間に戻り天井を見つめた。
 あぁ……ミズエとセリナがいる間、アレがおとなしくしていてくれて助かった……。
 私は二階に上がり書斎へと入る。
 ドア横にある証明のスイッチをオンにする。
 部屋が明るくなる。
 ライトに照らされて革張りの椅子に座っている、私と姿形が瓜二つの、〈もう一人の私〉の姿が露になる。
〈もう一人の私〉が椅子を回転させて私の方を見るとニヤリと笑った。
「やぁ落ち目で無能のロートル議員さん。陳情なんて珍しいねぇ。まだあんたに頼ろうって市民がいるんだねぇ」

 ひひひひひひひひ────

〈もう一人の私〉の噛み殺した笑い声が部屋中に響き渡った。
「お前は狐なのか?」
 私は〈もう一人の私〉のすぐ側まで近づきそう呟いた。
「狐? 何言ってんだお前。俺はお前だよ。それ意外にあるかよ……」
 そう言って〈もう一人の私〉は、右の口角を不自然なほど上に吊り上げながら不気味に微笑んだ。
 私は踵を返して照明を消しドアを開ける。
 後ろを振り替えると〈もう一人の私〉の眼球が、ぎょろりと暗闇の中で光っていた。 

  

 
 

 

 

 

 
 
 

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